コロンビアを題材にしたアメリカ発のドキュメンタリー(スペイン語)
二人のエスコバル(Los 2 Escobar)(2009年 - 2010年 ESPN Films Presents、1時間44分)、英語字幕付き)
映画「二人のエスコバル」は、アメリカのテレビ局ESPNによって撮られ放映されたスポーツドキュメンタリー。監督はジェフ&マイケル・ジンバリスト。コロンビアのスターサッカー選手アンドレス・エスコバルの伝説的な悲劇と、同じ名前をもつ世界的な麻薬王パブロ・エスコバルの運命を描いている。
1994年6月22日 アメリカ、カリフォルニア
サッカーワールドカップアメリカ大会
悪夢のようなことが起きる
我々は勝たねばならなかった
最後のチャンスだった
どす黒い手が介在した
我々の選手に手が伸びた
あのオウンゴールが起きたとき
わたしは顔をおおった
そして言った「我らの国はやられた」
(1/11, 9分:1~11まで11に切り分けられた全編をYouTubeで見ることができる)
二人のエスコバルに、個人的、直接的な関係はない。
アンドレス・エスコバル:1967年~1994年、コロンビア代表のサッカー選手でキャプテン、ディフェンダー。1994年、ワールドカップの試合後、国に戻ったところで殺害された。
パブロ・エスコバル:1949年~1993年、コロンビア最大の麻薬密売組織「メデジン・カルテル」の創設者。コロンビアのサッカークラブのオーナーでもあり、そこにアンドレスは所属していた。
1994年サッカーワールドカップのアメリカ大会。コロンビアは南米予選で一位通過し、優勝候補の一角とも見られていた。しかし一次ラウンドの第二試合、開催国アメリカとの試合をアンドレス・エスコバルのオウンゴールがひびいて、1 - 2で落とし大会から敗退する。コロンビアは第一試合のルーマニア戦も落としていたため、この第二戦は負けられない試合だった。
こうした試合状況で、キャプテンを務めるような優秀なディフェンダーがオウンゴールを犯すことは、それほど珍しくない。もしゴールマウスが相手チームのものであれば、美しいゴールと称賛されてもおかしくないような「見事なゴール」が多い。アンドレスの場合もそうだった。この映画でもそのシーンがたっぷりと見れる。
アンドレスは国民の非難や報復が予想される中、応援してくれた人々に説明義務がある、と言ってあえて国に戻ったと言われる。その結果、悲劇にあった。帰国後メデジンで友人たちと会ったのち、店から出てきたところを銃撃されて死んだ。銃撃犯が「オウンゴールをありがとう」と言って殺害したとも言われるが、試合を賭けの対象としていた不法賭博シンジケートが関与していたとの見方もある。W杯後、アンドレスは「これで人生が終わったわけではない」と発言していたが、皮肉にも命を失うことで彼の人生は幕を閉じた。
パート1では、当時のコロンビアのサッカーの熱狂や若き日のアンドレスの映像とともに、世界最悪の殺人発生率と言われていたコロンビア、中でも危険地帯メデジンの街の様子を見ることができる。アンドレスの姉、かつてのコーチ、選手仲間、もう一方のパブロのいとこ、パブロの右腕だった麻薬組織の一員の男などが実名で登場し、証言している。
<映画より>
パブロ・エスコバルのいとこの話:
パブロはイタリア、ロシアなど世界のビッグなマフィアすべてと関係していた
パブロは一日で5億ドルだって稼げた
フォーブスも彼を現存最高の金持ちリストにあげていた
世界最大の金持ち犯罪者だ
メデジンの麻薬組織の一員の話:
パブロは自分の手で250人の人間を殺してきた
たくさんの人間の手脚を切り落としもした
メデジンカルテルはヒツジの群れだった
ヒツジはライオンに従うものだ
そしてライオンはパブロ・エスコバルだ
アンドレス・エスコバルの当時の代表監督の話:
アメリカW杯のとき二つのことが同時に起きました
一つはとても強いチームになっていたこと
二つ目はいい選手を保持するだけのお金がありました
「代表はパブロ・エスコバルに支援されている」と人々は言いました
アンドレス・エスコバルの姉マリアの証言:
とても真面目で節度ある子どもでした
でも学校が終われば、すべてがサッカーでした
一日に四つの試合をこなしていました
それでもあきることがありませんでした
毎朝学校に行く前に、母親とメサに行っていました
信心深い家族だったのです