セルジオ・タバレス 著

ハファ・ロンバルジーノ 英訳より
日本語訳:だいこくかずえ

それはその子の誕生日だったから。選択の余地のない暮らしに、自分の望みが言えたのはそのためだった。おもちゃはいら ない、そう父親に言った。ご飯と豆ばか りの毎日に、男の子はあきあきしていた。卵を食べることだってあるだろう、そう父親は言ってみた。でもそれが食事に出ることは稀だった。ご飯と豆が昼も夜 もつづく。

男の子は肉が食べたかった。誕生日のプレゼントになりはしないか。たっぷりと厚い肉 に、オニオンとポテトが添えられたやつ。道ばたでキャンディを売っていたとき、見たことがあるのだ。サスペンダー付きのズポンをはいた太った男が、ガラス 張りのレストランで食べていた。その男は、銀のナイフとフォークで、一口一口さも満足げに食べていた。肉にナイフがはいると、肉汁が染み出てご飯の山に流 れた。大きくあけた口へ向かう手の動き。しっかりとした咀嚼。男の子は目をとじて、その一瞬一瞬を父親に話して聞かせた。ゆっくりと、何度も、つばの溜 まった口から舌を出し、厚いくちびるをなめ、それを味わっていた。

それで父親は、超過勤務をしよ うと決めた。息子のためだった。男の子の誕生日に、ステーキをプレゼントする。朝の六時から夜九時まで、そこで働き始めてから二週間がたっていた。月曜か ら土曜の仕事だ。食料品店のオーナー、ノータン氏に息子の誕生日までの二週間、超過勤務させてもらうよう頼んだ。プレゼント(できればケーキも添えて)を 買うために、余分の収入を得たかった。パック入りケーキだって買えるかもしれない。年配のポルトガル人オーナーは、鉛筆を耳にさすと、父親のほおをパンパ ンと軽く叩いた。よっしゃ、息子のためのご馳走かい、いい父さんだな。

とそんなわけで、朝四時に 起きだすと、歯磨きもコーヒーもそこそこに家を出て、電車に飛び乗って店にたどり着き、トラックから野菜や果物の箱、穀類や小麦粉の袋を荷下ろしし、背を 屈めて重い荷に耐えながら、箱や袋を運んだ。商品を棚に納め、床を掃除し、一番乗りの客の相手をし、女性客のために白豆半ポンド、トウモロコシ粉半ポンド を秤にかけ、食料品を徒歩か自転車で配達し、いつもの弁当箱からご飯と豆の冷たい昼を食べ、そして午後も同じことを繰り返す。月曜から土曜までずっと。あ の子のためだ、ものを考えられるなくなるくらいヘトヘトになったとき、そう思った。誕生日なんだから。それがすべてだった。男のからだは、試練に耐える必 要があった。

それも今日限りだ。今日がその日、やっときた。家を出る前、男はつま先立ちで寝室に入り、息子のカールした髪にキスを した。男の子は一枚のマットレスを五人の弟とわけあっていた。誕生日おめでとう。立ち上がるとすぐに、男は眠気を振りは らい、弁当箱を腰に電車に飛び乗った。荷下ろし、棚入れ、床掃除、接客、計量、配達、米と豆の昼ごはん。それを三口食べたところに、ノータン氏がやって来 た。口ひげをかきまぜるように楊枝を噛みながら、話したいことがある、と言った。男は床にすわり、ひざの上にはブリキの弁当箱が、口の中には冷たい飯が あった。ポルトガル人オーナーが約束のお金を今日払うことはできない、と言うのを聞いた。仕入れ先への借金、雲をつくトマトの値、あれやこれやの言い訳。 男はそれ以上食べることができなくなった。男はかっとなった。オーナーが約束を破ったからではない、息子がどんなにがっかりするかを想像したから。男は荷 紐の棚を通りすぎるとき、ナイフをズボンのポケットに入れた。

燃える怒りは収まらなかった。怒り の火が男を食いつくし、男は怒りを食いつくした。一日が終わる頃、ポルトガル人オーナーの妻が、八時のメロドラマを見ようと奥に引っ込んだ。店は男とオー ナーの二人になった。ノータン氏は男に背を向けて、鉛筆でその日の収支計算を書きつけていた。オーナーのデスクの灯りが、店内で唯一まだ消されていない照 明だった。男は闇の中でナイフの柄をにぎりしめ、その手のひらに爪痕を刻んだ。この恨みを晴らさねば。

息子の顔を想い描き、そこにすわっている人影を木っ端みじん無きものにする。怒りはジュージューと音をたてていた。こ の世の創造主を追い払うんだ、そうすれ ば生きものはもう現れない。男は太い首めがけて歩み寄った。手には鋭い刃物。しかし歩いているとき、子どもたちのことが頭に浮かんだ。男の子六人。もし自 分が逮捕されたら、あの子たちはどうなる。犯行中に殺された兄さんの息子たちと、同じ運命をたどることになる。父親同様その子たちも犯罪者となったのだ。 悪徳の連鎖だ。自分の息子たちにそれを望むのか。男はナイフをしまうと、レジから離れた。男が閉まった鉄のシャッターの小さな扉から外に出ようとすると、 自分の名が呼ばれるのを聞いた。振り返ると、十レアル札が目の前にあった。もっていけ、今おまえにやれるのはそれだけだ。息子に何か買ってやれ。

十レアル(500円弱)ばかりで何が買える。切符を買って、カシャーサを一杯やったら、残りはないも同然だ。こんなと きカサーシャなしにはいられない。前に 進む希望なく、男は首輪を引かれるようにして歩いた。市場に入ると、じゃがいもと玉ねぎ、パック入りのケーキとホットドッグをいくつか買った。肉屋の前 で、ショーケースの中の肉の切り身をじっと見たが、ステーキを買う金はなかった。安い肉さえ買うのは無理だ。息子はきっとホットドッグを喜ぶだろう。あの 子はまだホットドッグというものを食べたことがないはずだ。目新しいものを持って帰れば、うまいステーキの代わりになるんじゃないか。それにホットドッグ なら、切り分ければ、みんなに行き渡る。酒のせいで高揚してぼんやりした頭で、わずかな望みにしがみつく。さあもう駅から出たところだ。すぐに人波にもま れ、トラックや不法商売人が行き交う道に出る。男が息子にしてやれることはない。

そこから離れよ うと、男は道を渡った。とそのとき、男はやつを見た。最初、それは野郎だと思ったが違った、雌だった。男は雌を見た。路地のところで、暗闇に姿を消し、ゴ ミの缶の裏で大きなビニール袋に噛みついていた。すでにいくつかの袋は、切り裂かれていた。そいつは大きな雌犬だった。大型の雑種犬で、黒いふさふさした 毛をもち、もしちゃんと世話されていたらきっと美しい犬だっただろう。乳首がふくらんでいて、前足と後ろ足の間で乳房が、うす桃色のスカートのように垂れ ていた。二、三日前に、子を産んだところではないか。

あたりに誰かいないか、男は見まわした。そして注意深く雌犬に近づいた。犬は警戒しているようではなかった。男は袋を 開けて、ホットドッグを取り出した。それを犬に当たらないように、投げた。雌犬 は起き上がると、二、三歩おずおずと近づき、あたりを見てから食べものに噛みついた。男はさらにホットドッグを犬に投げた、袋にあったもの全部。犬がご馳 走を楽しんでいる間、男はまわりを見まわしていた。男は四角い石を見つける。それを握りしめて、雌犬にすり寄った。犬のすぐそばに立つと、石をふりあげて その頭を打った。雌犬はその場に崩れおちた。少し血をしたたらせて鳴き声をあげた。舌を垂らし、鼻面を前に向けていた。雌犬がなんとか起き上がろうとした とき、再度石を打ちおろした。男は袋の中の玉ねぎとじゃがいもを取り出し、空の袋を手袋がわりにして、犬を路地の中央に引いていった。わずかな灯りの元、 男はポケットに手をやり、ナイフを取り出した。

そのあとパーティがあった。息子がこんなに喜ぶのを、男は見たことがなかった。その子は分厚いステーキをオニオンとポ テトといっしょに食べていた。口を大きく開けて。みんながステーキを食べていた。なん てパーティだ。こんなことあった試しがない、なんと食べ残しが出たのだ。それから「ハッピーバースデー」を歌った。パック入りのケーキに飾るキャンドルは なかったけれど。テーブルに家族が集まっていた。男の子は最初の一切れを父親に差し出した。ギュッと抱きしめられ、男は息子の小さなからだの細い骨の一本 一本を感じた。パパ、ありがとう。息子の耳元で、父はささやいた。次の誕生日まで、待つことはないぞ。二度と待つことはないんだ。


初出:Contemporary Brazilian Short Story (CBSS)
日本語版出版:葉っぱの坑夫




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セルジオ・タバレス
Sergio Tavares

リ オデジャネイロのニテロイ在住のブラジルの作家。1978年生まれ。ジャーナリスト、書評家、作家。ブラジルの新聞や雑誌で、多くの作品を発表してきた。 2012年に"Queda da Própria Altura"(自分の背の高さから落下する)を出版、また"Cavala"(サバ/2010年)はNational Sesc Literary Awardの短編小説賞を受賞。




スペイン語 → 英語 翻訳者:

ハファ・ロンバルジーノ
RAFA LOMBARDINO

1980年ブラジル生まれ。高校卒業時より翻訳の仕事を始め、アメリカ翻訳家協会(ATA:英語、ポルトガル語の双方向翻訳)の認定を受ける。現 在カリフォルニア大学サンディエゴ校で、翻訳の役割について教えている。




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mercado central(中央市場)
photo by João Perdigão (taken on September 22, 2006/Creative Commons)
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