アウグスティナ・サントマソ、ニコラス・アレン 英訳より
日本語訳:だいこくかずえ
その四人以前にも一人いたんだけれど、ボクは一度も会ったことがない。みんなはボクを見ると口元がその男のようだとか、性格が似てるとか今も言っている。
そんな感じ。誰かに似ているって言われても、ボクはたいして気にしていない。この世界にはいろんな顔があって、遅かれ早かれ、時が経てば誰かみたいになる
んだからね。でも、今ボクが話したいのは、会った方の人たちのことなんだ。ボクの人生に足跡を残していったその人たちのこと。ボクを通り抜けていった男た
ちのことを思い起こすには、どんな人だったかをただ書けばいいんじゃないか、と思う。それから何をボクに教えてくれたか、だね。そんなところ。
当時ママはピーターパン・ランジェリー作業所で働いていた。なんかスゴい名前だけどね。今もあるんじゃないかな。ボクのママは、みんなが言うことには、グ
ラマーの典型の悩殺タイプだって。きれいな脚にお尻、張った腰。ボクらはワンス地区にある小さなアパートに住んでいた。アニメのイヒトゥスに出てくる水道
管の家みたいだなと思ってた。ママの寝室に居間(そこのソファ・ベッドでボクは寝てた)、作り付けの小さな流し台。それだけ。ママの服が家じゅうに散ら
ばっていた。それから化粧品と雑誌も。ママの友だちの美容院から持って帰ったやつだ。ママは読者家なんだ。ママがダンスに出かけるときは、ママの友だちの
美容師といっしょに家にいた。パラグアイ人のその人は、ボクくらいの年の子どもがいて、父親とアスンシオンに住んでいると教えてくれた。当時、ボクは「ア
スンシオン」と聞いて、場所の名前とは思わなかった。動詞かなくらいに思っていた。
記憶では、カルメロが最初の男だったと
思う。ずんぐりした筋肉隆々の元ボクサー。ある夜ママは、カルメロがうちに迎えに寄ったとき、ボクに紹介してくれた。ボクは、美容師がシウダー・デル・エ
ステ(パラグアイ東部の都市)から持ってきたちっちゃなミニテレビで、何か見ていた。ねえ、それならわかるでしょう。「シウダー・デル・エステ」は街の名
前に聞こるからね。
カルメロはボクの方にやって来て、握手した。ボクは次にキスされるな、と思った。それはボクが子ども
で、初めて会ったときにはみんなボクにキスするから。でもカルメロは大きな硬い受話器みたいな手で、ボクの手をつかんだだけだった。その身振りがよかっ
た。そのときから、カルメロはいつも家に寄るようになり、しばらくすると、ボクの隣りにすわって、ボクサー時代の活躍を話してくれるようになった。そして
ある日、公園に出かけた日、太陽光線の下で、酷くびっくりすることが起きた。外気の中で、カルメロの肌がスコッチテープの色になったんだ。ちゃんとわかる
ように言うね。ミイラみたいに、スコッチテープで巻かれているようだった、という意味じゃない。カルメロの皮膚がスコッチテープの色つやをしていた、とい
うこと。それでボクは(自分の中で)こう名づけた。「スコッチのカルメロ」とね。カルメロはきっと、リングのスポットライトの下に半身裸で立ってたとき、
すごかったんだろうな、と思う。
少ししてボクは気管支炎にかかり、ママは病院で見てもらおうと連れていった。そこで加湿器
にかかり、注射を何本か打たれ、もっと日に当たるよう言われた。カルメロはボクの健康状態を一番気にしていた。そしてママに、ボクがもっと走ったり跳んだ
り、運動をした方がいいと言った。ま、そんな風だった。次の日カルメロはスポーツウェアを着て現れ、ボクをアスリートにするプランを練ってきたと告げた。
うちの小さなオレンジの合成樹脂のテーブルの上いっぱいに、ボクのからだを改善すると思われる、様々な運動メニューが書かれた計画表を広げた。というわけ
で、ボクらはカルメロが勤めているジムで、毎朝それを実行することになった。腹筋、短距離走、トラック競技。最高に面白かった。ボクが汗を滴らせている
間、カルメロはボクのそばに立って、声援を送った。「さあいけ、もっとだ。燃えつくせ。やれるとこまでやれ」 終わると二人でシャワーを浴びた。ある日、
からだを拭いているとき、カルメロは人生最高の戦いのことを話してくれた。ニコリノ・ローチェとの初対戦のときのことだった。「観客でいっぱいのルナ・
パークのリングに足を踏み入れた、それがどんなものか、わからないだろうな、、、輝くライトに自分ひとり照らされて、みんなが自分を見てる、、、暗いスタ
ジアムにタバコの火が赤く灯ってた、、、」 試合は引き分けだった。
その日が来るまで、ボクは毎日スコッチのカルメロの怒声を聞いてた。「燃えつくせ!」
ある午後のこと、ママがボクに言った、カルメロは解雇されたと。一週間ほどボクにしつこく問いつめられて、ママはやっとすべてを話してくれた。「あのね、
あの人があたしに手をあげたの」 ママは妥協しない人だった。自分の恋人をひとたび選べば、ルネサンスの女性のようにふるまったのだけれど。その後ママは
スポーツから芸術に鞍替えした。次に捕まえてきてボクに引き合わせた恋人候補は、ロカソ先生だった。ロカソ先生は代用教員として学校にやって来て、特に何
もしていなくとも、手に入れられるものは何でも自分のものにする、そういう人だった。午前コースだったボクが朝学校に行くと、教室に現れて机の上に朝食の
ペストリーかメレンゲ菓子を置き、足を組んで、それにがっついていた。ロカソ先生は、そのとき頭に浮かんだものを描くように、と言った。ロカソの授業で
は、好きなように白昼夢を見ていてOKだった。だからボクらは紙をもらい、何でも好きに描いた。描いた絵を見せにもっていくと、ロカソはくちゃくちゃやり
ながら新聞を脇にやり、絵に目をやっていつものフレーズを言う。「もっと色をつけて、いいかな、もっと色だ」 紙がテンペラ絵の具でケーキみたいに塗りた
くられていても、こう繰り返すばかり。「もっと色をつけて、いいかな、もっと色だ」 まあ、いいだろう。笑わずにはいられないけど。それでロカソ先生の名
は、モットイロヲ先生となった。ボクの驚きを想像してみてほしい。その夜、先生はいつものスモックを脱いで、ちょっとダブついたダークスーツを着込んで、
ワインの瓶を携えてボクの家の前に立っていた。モットイロヲ先生は四十代で、白髪の額が馬蹄形にはげ上がり、後ろ髪をボサボサとたらした男だった。おでこ
はビリヤードの球のようにテカテカしていた。運動選手のような体格で、校庭をのっしのっしと歩きまわっていた。
ボクがずっ
とあとになって知ったことでは、モットイロヲは七月九日のアルゼンチン独立記念日のときに、学校でママと出会ったようだ。その日、ボクは壇上にあがり独立
を祝う詩を朗読した。学校は多くの人で埋めつくされた。前の晩からボクは緊張でいっぱいだった。詩を暗唱するときになって、すべて忘れてしまうのではない
か、と恐れていた。でも素晴らしい出来だった。一行読み進むごとに、ボクは自分の詩を詠む才能を感じた。独立記念日の週の間、級友や教師みんながずっとボ
クの朗読を誉めていた。さてママの恋愛のことに戻ろう。当然のことながら、ボクはみんなの注目の的になった。友だち全員が、ママがモットイロヲと出歩いて
いることを知っていた。休憩時間のとき、ボクに嫌じゃないかと訊きにくる者までいた。ボクはそいつらに訊き返した。「キミらがそれを知っていることが?
それともママがあいつと出歩いていることが?」 沈黙。他の級友たちはなんとかボクに理解を示そうとしていた。それでもこんな風なことを言った。数学の先
生とだったら(数学は美術と違って骨の折れる科目だった)、まだましだったのにね。そいつらは正しい。ボク自身、同じことをすでに考えていたわけだから。
母親とモットイロヲのロマンスは、二年くらい続いた。二人が破綻したとき、ボクは五年生だった。スコッチのカルメロのときとは違い、モットイロヲとボクの
関係は気のおけないものだった。週に二回、やつはうちに泊まり、ときどき三人で散歩に出かけたりもした。二人だけで出かけたのはたった一回。やつはボクを
自分の敬愛するサルバドール・ダリの展覧会に連れていった。あいつはこういうひねくれたものが好きなんだ。ぐにゃりとした時計、宇宙からやって来た十字架
像。その日の午後、ボクらはこんな会話をした。
「わたしがキミのうちにもっと行くと、お邪魔かな?」
「いいえ」 ボクは一分ほど考えてから答えた。
「家に一人、男がいるといいんじゃないかと思ってね。それでキミのママと結婚することを考えているんだよ。まだプロポーズしたわけじゃない。まずキミの意
見を聞きたかったからね」
「一つだけ問題があるとすると、あの家はすごく狭いと思う」とボク。
「キミとお母さんが賛成してくれたら、よそに越すこともできる。パティオ付きの家にね。遊べるようなパティオがあるといいと思わないかい?」
「そうですね」 ボクはちょっと考えてからそう言った。
モットイロヲはボクの答えに満足げな様子だった。ボクらは握手して、それからやつは地下鉄乗り場にボクを連れていった。あらゆる乗り換え方法といろいろな
路線をボクに教えてくれた。家に戻ってから、その夜遅く、やつは寝室にいるママに話しにいった。二人は何か言い争っているみたいだった。ボクはパジャマに
着替えて歯を磨き、ベッドに入った。夜中に目を覚ましたら、やっぱり二人は喧嘩をしてるのだとわかった。次の週、モットイロヲは一時間と泊まりにくること
はなかった。話をしようとママに電話をかけてきたとはいえ、もう色はさめてしまったんだ、と感じた。いったいどの時点でやつが間違った方向へ向かったと考
えればいいのか、ボクは思い出そうとした。そして次のような結論に至った。ママにとって自分の家に男をもつこと、これが一番いいのだ。さらに、ママがパラ
グアイ人の美容師にいつも言っていたのは、ボクのために父親がわりの男を見つけたいということ。それはボクにも理解できる。友だちの家に行くと、みんな父
親がいることに満足げだし、自慢げにしていることが羨ましかった。だからママの結婚は、何の問題もなかった。おそらく食い違いは、家を越すことと関係があ
るのだ。ボクには(未だに)理解できない理由で、ママはワンス広場(「イレブンパーク」とママは呼んでいた)の豚小屋に愛着があったのだ。あの家の何かが
ママの琴線に触れたということ、だからそれに背くことなどできないのだ。
冬のある午後のこと、ママは髪にローラーを巻きな
がら、モットイロヲは殿堂入りした、とボクに告げた。今になって思い返せば、ボクの子ども時代は、ママがボーイフレンドをお払い箱にしたと告げることで区
分されていた、とわかる。それから三年間、五年生、六年生、七年生の間、モットイロヲの姿はよく見かけたけれど、校庭でバッタリ顔を合わせて気まずい思い
で挨拶する以外、互いを避けていた。とはいえ、彼には感謝していると言わねばと思う。街を走る地下鉄をボクは完璧にわかっている。まず迷子にはならない。
教会のリクレーションセンターで、毎日午後やっているサッカーの参加申請をしたとき、もうモットイロヲは過去の人になっていた。神父たちは素晴らしいサッ
カー練習場をおとりに、交換条件として、聖餐式に参列するよう頼んできた。それでボクはカトリックの入門教室に行って学習したあと、二、三のミサで侍者を
務めた。ある午後、ママがボクを迎えにきて、少し待つように言った。それはざんげをするためだった。ママには似合わないことに見えた。でも実際のところ、
その頃ママはベッドで過ごすことが多く、心が壊れてしまったみたいだった。マニュエル神父は告解部屋で、黙ってママのざんげを聞いていた。ママはざんげを
するために、あるいはマニュエル神父と歩きながら話をするために、一日おきに午後になると現れた。ママが言うには、神父は(とても若い人だった)生きる希
望を与えてくれると。「ママ、どうして生きたくないの?」とボクは訊いた。「生きたくないんじゃないの、生きる希望がもてないの」 そうママは答えた。
ある夜、ボクが友だちの家から遅くに戻ると、マニュエル神父がうちの建物から出てくるのに行きあった。ボクを驚かせたのは、神父が普通の人みたいな服を着
ていたこと。向こうはこっちを見なかったけれど、ボクは通りの向かい側からはっきりと神父をとらえた。ボクは声をかけなかった。うちに入ると、ママの目は
ずっと泣いていたみたいに真っ赤だった。次の日、ママはパラグアイ人の美容師と、一日じゅう寝室にこもっていた。トイレに行くときや台所で何か探すためド
アが開くと、すごいタバコの臭いがした。そのせいでボクはタバコを一切吸わないんだと思う。
ママが目の下に酷いくまをつ
くって居間にすわっているのを見て、マニュエル神父に会いにいこうと決心した。ママは娘時代からそこにすわり続けているみたいな様子だった。「うちの電気
製品はどれも自殺を決めこんでる」 ママはボクを見もせずにしわがれ声でそう言った。小型冷蔵庫とテレビはつかず、温水器はお湯を出そうとするとひどい音
をたてた。マニュエル神父は自室で聖書を読んでいる、と修道女が言った。ボクは緊急事態なんですと告げた。すぐに神父が入口まで降りてくるのが見えた。今
回はちゃんとした法衣を着ていた。二人で午後二時の空っぽのサッカー場を歩いているとき、神父はボクの頭をぽんぽんとたたいた。春の午後だった。
「神父さま、ママに何が起きたのか、わからないんです」 ボクはそう言った。
自分の声が胸の奥深いところから昇ってくるように感じられた。
「息子よ」 神父はすごく若かったけれど、そう言った。「カルバリーと我がキリストの話をキミは知ってるかな?」 そう訊いてきた。
「ローマ人とイバラの冠とユダの裏切りが出てくる話ですか?」
「その通り。我らが神の話のその部分を考えてみてほしい。人生において、大人というのは大きな犠牲を払わねばならないことがある。わかるかな?」
ボクには何のことかさっぱりだったけど、わかると言った。神父はボクを納得させようとしていた。
「キミのお母さんは模範的な人だ。そのことははっきりと言っておくよ。高潔な人間はしばしば、大きな苦しみを負うことがある。さあ、教会に行って、お母さ
んのために神にひざまずいて祈ろう」
それでこうなった。ボクらは黙って祈った。正直に言うと、ボクは祈ってなんかなかった。ボクの頭には、ビデオゲームみたいに、いろんな映像が飛び交ってい
た。マニュエル神父が法衣を着ているところ、うちの建物から出てきたときみたいに普通の服でいるところ、それから下着姿のところ、サッカーをしているとこ
ろ。祈りが終わると、神父はボクの手をとり、心配しなくていい、神様はなさっていることを知っていると言った。
そのあと何
があったかと言えば、ママは二度と教会へは行かず、二、三ヶ月後にマニュエル神父はコルドバの修道院に送られたということ。神様は何をやるべきかを知って
いた。ママは元気を取りもどし、取り憑かれていた憂鬱の虫からなんとか抜け出したのだから。ボクらはテレビと小型冷蔵庫を修理した。温水器を取りはずし、
もっといいものを買った。
残りの中学時代の間、ママがボーイフレンドをうちに連れてくることはなかった。
それから、大学に入る準備を始めようというとき、最後の、そしてボクにとって一番重要なママのボーイフレンドがやって来た。彼の名はロランド、屋根にアン
テナを設置する仕事をしていて、ボクにとって要となる人となった。それは父さんのことを話題にした最初の人だったから。ロランドはそれがどんな人であれ、
父さんのことで頭をいっぱいにしていたのだ。
ママはロランドとペナ病院の日曜集会のグループで出会った。それは「寂しい日
曜日」を支援する精神のリハビリグループだった。ママは日曜日に憂鬱になるからそこに行くのではなかった。パラグアイ人の美容師が日曜日の午後七時になる
といつも、自殺したくなるので付き添って行っていたのだ。ロランドの参加理由は、所属していたサッカーチームが、Bリーグに降格してしまったため、試合の
ない日曜日を耐えなければならなかったから。ママによると、ロランドはハートにまっすぐ突き刺さる相手だったとのこと。ロランドはくせ毛をおかっぱ王子風
カットにした、ガラガラ声のもち主だった。ボクはすぐ彼が好きになった。ロランドが屋根の上で仕事をし、アンテナを修理したり設置したりしていると知っ
て、その思いは増した。
ボクは誰であれ、屋根にいる人が好きだった。屋根から飛び降りるのも大好きだった。
それで時を置かずに(そのときボクは十七歳)、ロランドについてまわるようになった。素晴らしかった。その夏、ボクらは屋根のてっぺんに、クーラーと六本
パックのビールをもって上がった。食事前のときは、チーズとタッパーに入れたメンブリージョをもっていった。アンテナの修理が終わると、ちょっと話すか、
というロランドと並んですわった。ロランドは他の人の生き方にひどく興味をもっているみたいだった。「ハーレム・グローブトロッターズの相手になってる世
界各地にいるやつらを見てみろよ。正気じゃないな。現れたと思うと、あの黒いくそ野郎どもは人をバカにしてみせる。正気じゃないやつらがいるもんだよ、
な」 そしていつも、ビールがなくなると、ボクのパパのことを話した。「あの阿呆が言ったことをママが信じきっていたこと、どうおまえが思ってるかわから
んが。おまえのパパがゲリラにつかまったこと知ってるか? パパが家族をもちたがっていたこと、おまえの面倒をみたいと思ってて、成長を見たいと願ってい
た、、、そんでママはパパをたいした男だと思ってた、信じがたいよな。おまえはパパの写真をほんとに見たことがないのか?」
ある午後、ボクらが高いビルの屋上から、沈む日を見ていたとき、ロランドが言った。「オレがおまえを好きなこと、わかってるよな」「うん」とボクは答えな
がら鳥肌をたてていた。「でもオレがおまえの前に姿を現すまでは、どんだけおまえが父さんの『生き写し』かそればかり考えていた」 ボクはそれに答えな
かった。ロランドのその言い方に気を取られ、マニュエル神父がキリストは神の「生き写し(具現化)」だ、と言っていたことを思い出していたからだ。ロラン
ドはビールを全部飲み干すとこう言った。「イタリアではな、今の時間帯をポメリッジョというんだ、どうしてかわかるか?」 ボクは黙っていた。「ポメリッ
ジョはトマトのことなんだ。あの空の色、見えるだろ」 こいつはすごい。空は真っ赤だった。ロランドがさらに言った。「いいか、ここから街のすべてが見渡
せる。すごくないか? オレらがここから見下ろしてるなんて、誰もきづいちゃない。オレらはいわば神様みたいなもんだ」
と
きにロランドは、アンテナを屋根にたてる前に、片手で高くそれを掲げて叫んでいた。「ここに神来たる!」 二人で死ぬほど笑った。またあるときは、憂鬱そ
うな顔でボクに言った。「誓ってくれ。もしおまえの父さんが戻ってきても、やつに取り入らないとな」「どっから戻ってくるんだよ、ロランド」とボク。「ト
ンブクトゥとか。オレが知るわけないだろ」とロランド。
それからしばらくして、ボクは軍隊に招集された。地上部隊に配属さ
れたので、ボクは屋根から降りることになった。軍の将官の助手として、地獄で一年を過ごした。その年のどこかの時点で、ママとロランドは別れてしまった。
ママが手紙にそう書いてきた。家に戻ってすぐ、ボクはアンテナ修理の仕事を見つけた。近所のビルのドアマンから、噂を聞くことはあっても、ロランドにまた
会うことはなかった。そのドアマンが言うことには、ロランドはめまいの発作が起きて、高いところでの仕事をやめたと。その話は、なんだかSFみたいに聞こ
えた。
昼ご飯だけもって一人、高いところに上がるとき、ロランドがボクを連れて屋根にあがり、仕事を教えてくれたことが、
どれだけ素晴らしいことだったか身に沁みた。めまいを催すような屋根の高さは、一人だけの世界への誘いだったから。ここは神話の中の生きもののための場
所。誰もここに呼ぶ必要はない。
ファビアン・カサス
Fabián Casas
ファ
ビアン・カサスはアルゼンチンの作家。1965年、ブエノスアイレスに生まれる。詩人、ナレーター、小説家、エッセイスト、哲学者、ジャーナリスト。
1998年にアイオワ大学の国際創作プログラムに参加。小説に、Ocio、Los Lemmings、詩集に、Bueno, eso es
todo、Oda、El spleen de
Boedoなどがある。カサスの詩集は英語、ドイツ語、フランス語、アルメニア語、イタリア語に訳されている。
スペイン語 → 英語 翻訳者:
アウグスティナ・サントマソ
Agustina Santomaso
ニコラス・アレン
Nicolas Allen
タイトルフォト
アルゼンチンの少年
photo by Hamner_Fotos(taken on August 2, 2009/ Creative Commons)