ホアキン・トーレス・ガルシア / Joaquin Torres-García
ウルグアイ出身の画家、美術家で、モダニズムの先駆者、構成主義者として知られています。カタロニア人の父とウルグアイ人の母のもと、ウルグアイの首都モンテビデオで1874年に生まれました。1998年のウルグアイの5ペソ紙幣に、似顔絵と作品で登場しています。
これはトーレス・ガルシアが創業したおもちゃの会社アラディンの製品。画家以外の活動として、おもちゃ製造業者としての顔がありました。ヨーロッパ時代、経済的困難から「アラディン」という名のおもちゃ製造会社を始めます。その製品のユニークさは、現代においても人を惹きつける力があるようで、海外のアート好きのブログなどでよく取り上げられています。
トーレス・ガルシアの作品には、コロンブス以前のテキスタイルや、インカの建物や陶器の影響を感じさせる幾何学模様が多くつかわれています。パリ時代からホアキンはこういったプリミティブなアートに興味をもっていました。南アメリカの過去の時代の豊かさを呼び戻すことを、ラテンアメリカのアーティストとして強く意識していたと思われます。
1944年に出版した「universalismo constructivo」(建設的普遍主義)の中で、自分の芸術観をこのように宣言しています。「南の学派ということをわたしは主張してきました。実際のところ、われわれの北とは『南』だからです。われわれにとっては、われわれの『南』の反対であることを除けば、北などないのです。ですからわれわれは地図の上下をひっくり返します。これでわれわれの真の位置が示せます。たとえわれわれ以外の国の人が、見たいものではないとしても。アメリカといえば、『南』のことを指します、われわれの北です。」 そしてその考えを表わしたのが、よく知られる下左の絵です。
トーレス・ガルシアが関わった出版物
Hombre Constructivo(構成的な人)1938年
Constructivo,(構成的な)1933年
Arte Constructivo,(構成的作品)1943年
América invertida (さかさまのアメリカ) 1943年
1891年(ホアキン17歳のとき)、家族はスペインのバルセロナに移住します。バルセロナに住むようになって、ホアキンはほぼ同世代のパブロ・ピカソやジュリオ・ゴンザレスなどスペインの画家たちと、カフェEls Quatre Gats(カタロニア語で「四匹のネコ」)で過ごしたといわれています。三十代半ばにパリに移り、そこでモンドリアンなどと親交を結びました。1934年にトーレス・ガルシアはウルグアイに戻り、アート協会をつくったり、(ヨーロッパ帰りということもあるのか)芸術系大学の名誉教授になったり、また出版をしたりと活動を広げます。