最低賃金で六ヶ月

アンドレス・フェリペ・ソラーノ 著

サマンサ・シュニー 英訳より
日本語訳:だいこくかずえ


トゥットコロレ縫製工場で働く百人の従業員は、ほとんど僕に気づいていなかった。僕が俳優だったとすれば、ここでは人目にとまらないエキストラみたいなも の。うまく変装したスパイ、と自分を思いたかったけれど、実際は倉庫で働くただの男。ここに来て一ヶ月、一日十時間働いている。この四週間というもの、毎 日ほとんど同じセリフを繰り返している。「はい、わかりました」「いえ、すみません」「すぐにやります」 配属されている二階のフロアを、バショウカジキ のすばしっこさで動きまわることを覚えた。

毎日僕は、スペースシャトルの骨組みみたいな金属棚に、服を運んでいる。それと高校のカフェテリアにあるような長いテーブルの上で、Tシャツやス ウェットスーツのリストをつくる。そしてボスから注文を修道士の慎み深さで受ける。ボスは僕や仕事仲間に音楽を聴かせてくれない、神経症ぎみの男だ。他の 階では、 みんなしかめっ面をすることなく働いている。リラックスして、ランチェラやメレンゲ、バラードを聴いている。僕らだけ音なしで働いていた。もし僕らが何で あれ、何か歌を口ずさむことができたら、二つのことが変わるのは確かだ。1.一緒に働いている男たちが、自分の女をいかに幸せにするかの議論をしつこくす るのをやめる。2.ルービックキューブがばらけたみたいな今の暮らしに、僕が文句を言い続けることがなくなる。

僕の仕事は朝 6:45分に始まる。はげ頭のモゴモゴものを言う夜警の男が、入り口のドアを開けて、愛想なく「おはよう」と声をかけてくる時間だ。入り口で僕は名前が書 かれた黄色いカードを探し、小さな金庫みたいな金属時計の口にそれを差し入れる。朝にそのガシャンという音(手錠みたいな)を聞くのはうんざりだが、夕方 五時に退社するとき、その響きを聞くのは大好きだ。指をパチンと鳴らされ、世の中に帰ってきたみたいな気持ち。工場でタイムカードを押すたび、自分の一日 が値づけされているように感じる。僕の場合は、14,500ペソ(785円)。

時計が 7:00を指す前に、収納棚49番から制服を取り出し、二階のいちばん端っこにあるトイレまで行く。そこにしか男性用便器がないのだ。それ以外のトイレ は、同じ階で働く、検品部門の女性のためのものだ。この女性たちは、上の階のミシンで縫われたものに欠陥がないか調べ、畳んで、袋詰めする。工場でいちば んの美人がそこで働いていて、チェックの上っ張りに身を包み、闘牛士が牛を刺すときの鋭い目つきで、ブラウスやパンツ、ドレスの縫い目をチェックする。僕 の制服は簡単なもの。青い綿のシャツで、分厚い襟がついていて、最初の週はノドが詰まりそうだった。ジーンズの上にそのシャツを着ている。町の中心街で 15,000ペソで買ったジーンズはウェストが妙に高くて、履き古した靴はスリッパみたいに心地いい。一日十時間、凌ぐための装備はそれだけ。

ここに来て二ヶ月たった頃、給料日が遅れ、僕の靴が窮屈に感じられはじめた。僕はきちんと忠実に自分の義務を果たしてきた。タイムカードを押し、 制服を着、商品を数え、動きまわり、箱詰めし、またタイムカードを押す。それなのに給料は二日も遅れていた。カミソリの刃とのど飴を買いたいのに、どっち か一つしか買うお金がなかった。他のバイトを探すことを考えた。たとえば、同僚の一人は週末に、ホットドッグ屋をやっていたし、別の同僚は薬屋の配達をし ていた。やつらは週に七日、年に五十二週働いている。二ヶ月に一回は新しいバイクを手にしている仲間がいるような、過密居住区で育ったのにだ。もうその昔 の仲間は死んでしまっている。工場で時を刻んで、生き延びる方がましではないか?

靴が死にそうなくらいキツくなってきたので、なんで給料が支払われないのか、事務所に訊きにいった。

「いつ支払えるか、わからないんですよ」 女事務員はお悔やみでも言うように返した。


トゥットコロレ工場は、メデジンの産業地区グアイヤバルの一角にある。バスの排気で木が真っ黒 になっている通りから、少し入ったところだ。加工食品製造業のノエル、コロンビアのタバコ公社、ソフトドリンクのポストボーン、プラスチック製品のエスト ラなどの有力企業に取り囲まれている。二年前、トゥットコロレは古びた二階建て家屋から五階建てのれんが造りのビルに拡張した。急な投資で息切れが起きた ように見える。二十世紀の初めにメデジンにできた最初の縫製工場のように、ある一族に会社は所有されていた。すでに死んだ経営者(エルネスト・コレア)の 五人の息子が、経営責任を分け合っている。がんで死んだ創始者で一家の長は、色あせた写真の額縁に収まっている。肖像写真は、各フロアの入り口通路に、守 護聖人の絵のようにして掛けられていた。写真の下のところには、ビジネス訓話がお祈りか何かのように書かれている。「労働は、解体されることのない、唯一 の資本である」

5 月2日、メーデーの翌日の午後、トゥットコロレのCEO(小男でいつも革のポーチを持ち歩いている。中身は誰も知らない)が、給料の遅れを説明をするため 従業員を集めた。皮肉なタイミングというより、悪い冗談のようだった。階段に姿を現したCEOは、母親からおまえは実は養子だと言われた子どもみたいな顔 をしていた。

「この三十年間で、現在は最も経営が下落した四半期となります」 そう言った。

製造フロアからやって来た三人の子持ちの女性が、くちびるを噛んだ。血が流れるのではないか、と僕は思った。

それは学校で出される課題のように聞こえた。CEOは僕らの給与(総計2週間ごとに5000万ペソ)が遅れている理由をあげた。1.信頼していた 従業員が数百万ペソを盗んだことによる財政難。2.ドラゴンの鼻息の影響(安い中国製品がパナマ経由で輸入された)。3.ドルの暴落(六ヶ月経たない内に 500ペソも)。この時点で、僕は話を聞くのをやめ、男のチックに目をとめた。ほとんど気づかないほどのけいれんだったが、それがために五秒ごとに右肩が ピクピクした。従業員たちは床を見つめていた。緊張した面持ちで、当惑しつつCEOは話をつづけた。なぜ給料が払えないかの四番目の理由(債務者の問題) をあげた。 たとえば、大金の支払い義務があるメキシコの会社が、未払いのままだった。従業員の反応を待つように、CEOはそこで口を閉ざした。一人の従業員が、ポツ リと言った。

「明日、ここに来るバス代がないんですよ。どうすればいいんです?」

食物連鎖で言えば、縫製工場としてトゥットコロレは中くらいのマグロで、クジラには簡単に食べられてしまう。僕ら従業員はプランクトンだ。給料が 二、三日遅れることは、電気代が払えずに灯りが消えることであり、身内でいちばん財政が安定している者に、通勤費を無心することを意味する。僕について は、部屋を借りている女性に部屋代の延期を頼む前に、気をそらせるようなつまらない冗談を言う。しかし厳しい状況下にあるのはトゥットコロレだけではな い。ドルの暴落による、縫製産業の苦悶の一例に過ぎない。2007年の前半だけで、縫製関係の従業員12000人が職を失い、解雇通知を受けるのを待たず に、辞めていった従業員たちもいた。仲間の一人は廊下で会ったとき、チョコ県の熱帯雨林にある町に行って、金物屋をやると言っていた。その人のトゥットコ ロレでの最後の日は、母の日だった。ラムレーズン・アイスクリームを添えたケーキ一切れをもらい、背をポンポンとたたかれ励まされた。この男が工場で、背 中を痛めながら働いた十五年の見返りとして。この街には嫌な臭いが漂っている。何千人ものコロンビア人が、熱帯雨林の中に道を通し、産業都市メデジンの街 をつくった。そして今、その子孫たちは、湿潤のジャングルへ帰ろうとしている。


ある朝、工場へ出勤する前に、財布の中に入れている小さなカレンダーに線を引いた。凍る水でシャワーを浴びたあと、敵機うなる空の下、婚約者の写真に見入 る兵士みたいに、それをじっと見つめた。今日、7月3日(火曜)のところを線で消した。一週間、僕は新たな任務につく。精神衛生上ましな仕事だ。トゥット コロレからの委託で、服に特殊な装具をつける仕事をしている家族経営者たちのところに、運転手の助手として行くのだ。留め具のようなものだ。僕は前任の助 手の代わりだった。その男は駐車場の警備で、最低でも今の二倍の給料がもらえる警備会社に勤めるためやめていった。倉庫から逃れ、街中に出ていくことで、 この四ヶ月間やりつづけた赤ん坊のロンパースを数えるといった、ロボットみたいな仕事から解放されたのだ。

ある午後のこと、僕は1253枚の服を数え終えた。数を紙に書きつけたので、一人の人間が金のために何をするか、決して忘れることはない。僕の倉 庫の同僚の一人は、以前にノエルで三年半、夜の十時から朝の六時まで、ベルトコンベアを通過していく何百万個ものクッキーを検閲する仕事をしていた。生ま れたばかりの息子のミルクのためには、そうするしかなかった。もう一人は、化粧品会社にいて、一月たった一回の日曜の休暇で、一日十二時間労働を三ヶ月つ づけた。 「それで死ななきゃ、問題はなかった。給料はよかったからな。いい思いをした」 制服を入れてある棚の前で、ある午後、その男が言った。

三ヶ月の間に、その男は体重を六キロ減らした。

僕の場合、この四ヶ月で一キロ半減らしただけだ。

そして今、僕は、メデジンをトラックで走りまわる、白髪まじりの巨漢ドン・ハイメ・イササの相棒となった。僕らはもう、五万ペソ札で七回分のガソ リンを使い、作業場から作業場をまわって、仕上がった袋詰めの服を何ダースも集めていた。多くは、スラムにある家の台所や居間にしつらえた、小さな作業場 だった。 天井につけられたネオン電球と止むことのないミシンの音で、道からでもそれとわかる。僕のお気に入りは、マンリケという地区の中にある、片目の犬が番をす る古い家だった。

僕とイササが服を詰め込んだ袋をいくつもトラックに積み終えると、前世紀から抜け出てきたみたいな女主人が、マルベリージュースをいつも出してく れた。ひと目でこのたくさんの服の袋は商売繁盛の印で、その年前半の厳しい時期は過ぎたように見えたし、少なくとも、背の高い愛想のいい(工場の床に糸が 落ちていれば、すぐに拾って捨てるような)新しいCEOはそう思っているみたいだった。彼にとってこの服の詰まった袋は、遠来からのいいニュースのような もの。そうであれば、僕らは郵便配達夫ということになる。

今日、7月3日火曜日は、アラスカの夏日みたいに長い一日だった。朝九時に、イササと僕はリゴネグロ空港まで車で行き、貨物室に積み荷を運ん だ。税関の役人がイササに、スペインに出荷される箱の中に、麻薬を隠していないという申請書にサインさせた。積み荷をトラックから降ろす前に、役人は箱の 前にイササを立たせて証拠写真を撮った。もしスペインの係官が、スウェットシャツやワンピースの中にコカインを見つけたら、誰を捜せばいいかがわかる。

と いうわけで、十時になって、この世の終わりみたいな雨の中、空港からラ・セハというメデジンから三十分くらいある村の家内工場へと向かった。ミシンをそこ に運ぶ必要があった。荷を降ろしているとき、イササがそこの協同組合住宅の中の市場で、母親のために野菜を買いたいので、金を貸してもらえないかと頼んで きた。僕は仕事のあとで買おうと思っていたビール代、3000ペソを貸してやった。午後早めに工場を出ると、町の中心部でアイスクリーム屋の前を通ること がある。メデジンでオールド・バーと呼ばれているものだ。寂しいアンティオケイニョース(メデジン生まれの住人)のための、喫茶店のようなもの。接客する 女の子たちは、熱帯のゲイシャ衆だ。お客にブランデーを買わせ、ジュークボックスで好きな歌をねだり、イササみたいな大きな手をした男たちの話を、辛抱強 く聞いてやる。

メデジンへの帰り道、窓を降ろし湿った草の臭いのする車内で、イササは僕にある場所を教えてくれた。それはテケンダマー国営観光ホテル。給料日の あと小金が残っていたら、ガールフレンドを連れて行き、滝が落ちる崖のそばでマスをご馳走するという。イササは僕にも同じことをしたら、と言うのだが、僕 は貧乏と慎ましく暮らす誓いをたてていた。

イササは五十歳で、ガールフレンドが一人、別れた妻が二人いる。

僕はまだ独身だ。いっしょにいた女の子は、なんで僕がメデジンなどに行くのか、全く理解できないようだった。

午後一時半、僕らは工場に戻って昼食をとった。いつものように、五階の電子レンジで弁当を温め、十五分でかき込んだ。それが標準の昼の休憩時間。 僕は煮込んだ鶏肉二切れ、ご飯、ポテト、それにまだ熟れてないバナナを食べた。二時になると、倉庫のマネージャー(音楽を聴かせてくれないやつ)が、ボタ ンとゴムと ラベルを、街の北にある13区*のサンハビエル区域に届けるよう言った。「二、三年前は、あそこに入ることはできなかったんだ」 イササがイグニッション を入れながら言った。

何年か前のニュースで、黒いヘリコプターが、サンハビエル居住区のトタン屋根を吹き飛ばすのを見たことを思い出した。そこはきつい坂の迷路のよう な道がつづく区域で、ちょうど今、僕が住んでいるような場所だ。警察と軍が、民兵組織や市民兵と至近距離で衝突していた。最後には、一人の男が家族に無事 を知らせようと、電話ボックスに近づいたところ、集中砲火を浴びて死んだ。コロンビアの街の一つで内戦が起きたのを、テレビで見たあの朝から五年がたって いた。イササの隣りで、サンハビエルの町を通り過ぎる三十分の間に、車椅子で移動する若者六人を目撃した。

その日の午後の二つ目の仕事場は、昔のゴミ捨て場の上につくられたスラム街だった。服を詰めた袋一ダースを取りに行く。そこはモラビア地区、あるい はその残骸。僕がメデジンに来る前の晩、この地区の二百軒もの家が火事で焼かれた。イササとの道行きは、この街で起きた悲劇の検証のようだった。モラビア で見たほどたくさんの野良犬を、僕は今まで見たことがない。四時半に僕らは工場に戻る。マングローブが干上がったみたいに、ノドがからからだったので、素 早く荷を降ろした。

もう五時に近かった。家に帰る時間だ。怪力を使い切った気分。袋を開けなくとも、中身を僕は言える。僕が今、二階に登る階段で背に負っているの は、コットンツイルのパンツ、だからすごく重いのだ。手で握っただけでダイアモンドの価値が言える宝石商のような気分、最低限の賃金で僕が手にした職能 だ。実際のところは、まだ階段を半分のぼったところで、背骨が折れそうだった。モラビアから運んできた最後の袋だった。裁断部の階まで行って、脊柱側弯に なるのを防ぐベルトを借りるのをまた忘れてしまった。重量挙げの選手が練習で使うようなベルトだ。もしこのベルトなしで仕事を続ければ、五年の間に、僕の 背骨はS字形になってしまうだろう。

十時間働いて、からだが汗臭さを放っている。僕は袋を検品部に運ぶ。汗でシャツがびしょ濡れだ。そこは人気がなかった。検品や袋詰めで働く女性た ちは、みんな三時には帰ってしまう。空っぽの作業場を見て、空しさに襲われる。商売道具が散らばったまま、寂しく放っておかれる光景ほど、悲しみを誘うも のはない。作業スペースの一つに、テディベアの表紙のノート、ポイと置かれた髪飾りシュシュ、先っぽに歯形のついたペンがあるのに目をとめる。別の場所に は、ラベルマシンがあって、「勇敢なる心」と書かれたステッカーが貼ってある。

あたりに人気はない。僕は検品監督の椅子の方へ歩いていく。彼女はこの会社でずっと働いてきた。メデジンから四十五分くらいった、カルダス県の川 のそばの家に住んでいて、キッチンテーブルの上の壁には、「美徳と破滅」の分かれ道に立つ男のポスターが貼ってある。一方に、庭付きの質素な家があり、く わが一つ、女が一人、笑顔の子どもたち。もう一方に、アグアルディエンテの酒瓶、札束、小銭の山、銃、そして棺がある。イササとともに服の袋を集めに行っ たから、このポスターを見たことがあるのだ。この女性は週末に検品の仕事を持ち帰り、いくらか余分の金を稼いでいる。わずかばかりのペソ、それだけのため に。一つを畳んで袋詰めするのに150ペソ。二、三ヶ月前に見たとき、そのポスターはマニ教じみたものに見えた。

今日、僕も、人生には二つの道があると思えた。ドニャ・ルス・カストロ(これが女性の名前)は、家には庭などないのに、「美徳」の方を選んだ。僕 が仕事中、なにか質問するため近づいたとき、彼女から滲み出る穏やかさは、それ以外の説明が不可能。彼女のそばに立つと、心の平和を感じとることができ る。ひどく形而上学的に聞こえるかもしれないが、他に説明のしようがない、それ以外の説明を見つけようとは思わない。ものごとは見たとおりのままである。 カンティンフラス**のしゃべりのようでなく。
「今この時というのは、一瞬にすぎない」と言ったのは、この男ではなかったか。

彼女が今ここにいたらなあ、このひどい疲労感を振り払ってくれたら。彼女ではなく上司がやって来て、もう一つピックアップの仕事があると言う。街 の反対側のカスティジャ地区に、三つ袋を取りにいく仕事。もう四時五十分なのに。疲れ知らずのイササが、下の道でエンジンをかけて僕を待っている。


僕がメデジンにやって来て、この工場で働き始めて五ヶ月半がたった。今日は金曜日、二階のいちばん奥にあるトイレにすわっている。耳を澄ませれば、工場内 のすべての音が聞きとれる。僕は目をとじて五階の裁断師を、四階の刺繍工と捺染工を、三階の五十台のミシンを、そして自分にとってキーボードを打つ音みた いに、すっかり馴染みになったその音を思い浮かべる。上司はきっと、僕が慢性の下痢症だと思っているだろう。何回もトイレに行くからだが、でも別の理由で だ。ここは僕が、最低賃金で暮らすのがどれだけ大変なことかについて、ノートを取っている場所だ。この小さな黒い冊子に何か書きつけるたびに、貨物船が東 洋に出ていったみたいに、答えは遥かかなたに消えていく。ここにすわっているとき、工場の女の子がこっそり渡してくれた、チョコレートクッキーの包みに添 えられた手紙を読んで、涙をあふれさせたことがあった。それは砂漠を歩くようなこの工場で、僕が厳しい仕事に耐えていた頃のことで、息継ぎに逃れてきたの がこの場所だった。

ここで働き始めてから、そうしたいわけじゃないのに、聖書の一節がときおり心に浮かんでくる。トゥットコロレのあるグアヤバル通りの角に、いつも より十五分早くバスが着けば、僕は近くの教会まで歩いていった。そこで僕は、全く経験したことのない、宗教的な恍惚感のようなものに浸された。いちばん後 ろの席にすわり、礼拝堂にある石膏像に、どうぞ夕方五時までやっていける力をくさだい、と頼んでいた。そしてすぐに、タイムカードを押す時間になった。また気 づけばドニャ・ルスのところに行って、なんとか正道を行く力を与えてほしいと頼んだことも二度あった。教会での短い祈りのあと、パン屋でロールパンを 100ペソでよく買っていた。僕はそれをミサのパンみたいにして食べた。それから工場に入り、件のトイレで制服に着替えた。

トイレの水を流し、手を洗って鏡を見る。メデジンに来る前に切ったきりだったから、髪がすごく伸びていた。あの日の午後、床屋を出たとき、僕の人 生は括弧で囲われた。そして今、あと何時間かで、その括弧は外れる。工場で働く僕の最後の日だった。手紙とクッキーをくれた女の子が、僕を呼んでいる。食 べものがちょうど届いたところだった。自分の本当の姿を伝えることのなかった男を見送るために、倉庫の同僚たちが、ケーキとコカコーラを買ってきていた。




*注1:13区は1990年から2000年代初期にかけて、メデジンでいちばんではないにしても、かなり危険な区域の一つだった。
**注2:カンティンフラスは、おかしな、妙に入り組んだ話し方で、南米一帯で知られるメキシコ生まれのコメディアン。


日本語版出版:葉っぱの坑夫




文学カルチェ・ラタン | happano.org



文学カルチェ・ラタン
004区 コロンビア





アンドレス・フェリペ・ソラーノ
Andrés Felipe Solano

1977 年、コロンビアのボゴタ生まれ。これまでに二つの小説「Sálvame, Joe Louis」(2007年)、「Los hermanos cuervo」(2012年)を発表。2007年、危険地帯として名高いコロンビアのメデジン地区に部屋を借り、六ヶ月そこにある工場で働く。その経験を もとに書いたノンフィクションが「最低賃金で六ヶ月」。この作品が、ガルシア・マルケスが委員長を務める「新イベロアメリカ・ジャーナリズム基金」の最終 候補作品となる。2008年、韓国政府に招かれ、ソウルにて六ヶ月間の文学レジデンスに参加。そこで現在の妻と出会 い、現在もソウル在住。






スペイン語 → 英語 翻訳者:
サマンサ・シュニー
Samantha Schnee




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photo by Dr EG (taken on May 15, 2011/Creative Commons)
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