もんごろねこの ちきゅうたび うたのにおいを かいでゆく

テキスト:3号室ロドリーグ


第2話 融合の中に語り継ぐもの

サーミの「ヨイク」ミュージック その2(ノルウェー)
マリ・ボイネ [eight seasons]


庭の雪もようやくなくなって、黒っぽい土が顔を出している。
鳥がよくやってきて、その土をついばんでいる。たいていはスズメ。たまにムクドリ。
うまい虫でもいるのだろうか。

もともと猫は狩人であるから、庭にそんな鳥たちがいようものなら、お尻をきゅきゅっと振って、とびかかっていきたい衝動に駆られる。
しかし、私の前には残念なことに、窓が立ちはだかっている。ご丁寧に、網戸付きだ。鍵までかかっている。そしてたいていそういう時、3号は留守。
したがって、この窓が開いて、私があの鳥たちを獲得することはほとんど不可能だ。
ちょっと若いころの私なら、悔しくて身悶えするところだが、この頃ではまあ、これはこれだ、と思えるようになってきた。

もしタフな野良猫がこんな私を見たら、「なんだ、へなちょこめ、やっぱりイエネコはいかんなあ」などと言うのかもしれない。
しかし、今日では、私の住んでいるこんな田舎町であっても、野良猫暮らしは結構大変なのではないか?
鳥などの狩りだけでいつも食事にありつけるわけでもなし、噂では、幼い猫らの中には餓死するケースもあるという。商店街へ出かけては、魚屋のおばちゃんの世話になっているやつもいる。集会所になりそうな空き地もあまりないし、駐車場で集まると汚いとかナントカと叱られる。
こうして窓や壁に囲まれていることがわずらわしいときも確かにあるが、外へ出れば出たで、車にはねられたり、心無い人間にいたずらされて死んでいく仲間の話も耳にする。恐ろしい病気もあるとかで、何もかも自由だったご先祖さんたちの時代とは、状況は変わっているのだ。
その中で、猫らしさを失わずに生き延びていくには、運もあろうが、それでもいろいろ考えなければならない。
仲間をはねたりいたずらしたりする人間には「人間なんか!」という思いも抱く。
しかし、3号のように「許せない」と本当に思っている猫側の人間も存在するから、人間の全部が全部悪いというのも、なんか違うような気がするのだ。
私の場合は、とりあえず3号と暮らしていても、猫であることに何ら問題があるわけでもなく、3号も私のことを理解しようとしている。
普通はうれしいときには喉を鳴らし、イヤだと思うときには爪を立ててフーッとかシャーッとか意思表示をするのだが、幸い3号が猫言語をある程度分かるので、こちらはもっと助かっている。
互いにいい意味で距離を考えて暮らしていると思う。
3号は私をペットだとは言わないし、私も3号を飼い主とは呼ばない。理由が明確なルールや互いの頼みごとや、かわいい甘えはあっても、上や下やの関係はないのだ。これが何より心地よい。


さて、冬の間は3号の興味も手伝って、サーミの歌をよく聴いた。その中でも、マリ・ボイネはちょっと特別だった。
マリ・ボイネはノルウェーのサーミである。アルバムでは、サーミならではのヨイクもあるが、ノルウェーの言葉、さらには英語で歌われている歌もある。
もともと、サーミの多く住む村に生まれ育ったが、歌との出会いは教会の聖歌隊だとか。むしろ、サーミの昔からの文化には、最初はなじめなかったという。
それがやがて、こうしてサーミの世界を含んだ歌を紡ぐようになったのだ。
決め手はその柔軟な考え方であろう。
伝統を守る、というと、それそのものに執着して、いかにオリジナルに近いか、ということに着眼点が行ってしまいがちだが、それだけではなく、例え異なったカタチとの組み合わせであっても、語り継いできた精神性が基盤に組み込まれているなら、それはそれで、多くの人に開かれた、現在進行形の伝統として大事にしてもいいのではないだろうか。
彼女は自分がサーミであることをやがて受け入れ、その文化に誇りを持ち、しかしながら伝統的技法に偏ってはいない。ほかのさまざまな音楽のテイストと融合させることで、より多くの人の耳と心に、サーミがずっと語り継いできた自然への畏怖の念や、彼女自身が感じてきた、生きることの喜び、哀しみ、願い、生きる上で守るべきものを伝えていくのだ。
最初に聴いたときは、私も3号も正直びくっとしてしまった。筋の通った、凛とした声。
しなやかではあるが、決して薄っぺらではない。私はそれにまず圧倒されて、耳がピーンとなってしまった。とにかく堂々としているのだ。まるで、伝えようとしている想いを、目の前で力強く練りあげていくように。
そうして練りあがった想いのビジョンが、サーミであり、ひとりの人間である彼女を生き生きと映し出す。そして歌の姿になって、聴く側に惜しみなく語りかけてくるのだ。
胸を張って、大きなめぐりを感じながら、信じた道の上で一生懸命生きたい、と。

融合というのは、必ずしも一色に塗りつぶしてしまうことや、混ぜて一色にしてしまうことではなく、むしろいいバランスでそれぞれが混在していること、と理解してもいいのではないか、と、この頃感じている。そんなわけでこれをきっかけに、私は猫なりに、人間の生活と猫の生活の融合を日々考えているのだ。「そんなの都合いいだけだ」と笑う猫もいるかもしれないが。

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3号よりヒトコト

留守の間に、ロドリーグがこんな深いことを窓越しに考えていたとは、ワタシもオドロキでした。

さて、マリ・ボイネは、ノルウェーのサーミを代表する女性シンガーと言われています。[eight seasons]は、通算10作目のアルバム(日本国内盤としては初リリース)。エレクトロニックな音と、ネイティブな音が、ロドリーグの言う「いいバランスで混在」し、ちょっと影がありながらも大きなビート感が心地よい作品です。ジャケットやレーベル面も、シルバーや白が基調のデザインでステキです。