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第3章 おしおき


 スアムは大きな客間の裏にある部屋で、床にすわって何か熱心にやっていた。長い竹の棒をきれいに割って、よく切れそうなナイフでささくれを削りとり、ひごをつくっていた。それから習字の練習用にもらった大きな紙に丸い穴をあけ、その下に墨でチョウを描いた。ひごで枠をつくり、紙をそこに貼りつけ、乾かした。それは凧だった。よその子どもたちが、家の前の城壁の上でそういう凧を飛ばしているのを見ることがよくあって、自分たちも欲しいとずっと思っていた。ああこれぞ、ぼくらの親がかなえてくれなかった望みのものだ。凧というものをよおく観察して、スアムは自分の凧を完成させたんだ。ぼくは尊敬の念でいっぱいだった。早く空高く舞い上がらせたいと、のりを貼ったり、乾かしたりするのをぼくも手伝った。
 次の日、こっそりと、最初の飛行を裏庭でやってみたが、凧は飛ぼうとしなかった。やってもやっても、ぶざまに落下した。何回もぼくは走っていって凧を風の中に投げ上げ、糸を持ったスアムのほうは反対方向にむかって猛スピードで飛び出していった。凧はまったく飛ぼうとしない。スアムはがっかりしていたが、もう一度、もっと細いひごともっといい紙を手に、新しい凧づくりにとりかった。スアムはついてなかった。ひとつ、またひとつと失敗に終わった。習字のために毎日、三枚の大きな紙をもらっていたスアムは、そのうちの一枚を凧づくりにつかっていた。さらに、裏部屋に並べられている最高級の紙の山にも、ときどき手をつけていた。夕方にはだれもその部屋に来ることはなかったから、邪魔されることなく仕事ができた。ぼくは疲れと落胆で自分の部屋にもどった。
 
 ふとんに入って、掛け軸の絵をあれこれ眺めるのが好きだった。部屋には八枚は下らない絵がかかっていた。山があり、岩や花、川や橋があって、海辺では水平線の上を雁の群れが飛びかい、それらすべてがろうそくの灯りの中で美しく輝いてた。一番好きな絵は、牛に乗って横笛を吹いている羊飼いの少年の絵だった。少年は背の高いしだれヤナギの前を行き過ぎるところで、はるか遠くの丘の合間に、帰るべき小屋がかすかに見えていた。日の光に満ちた道は楽しげで、ゆっくりと歩く牛も好きだった。至福の時のなかに横笛の音が聞こえるようだった。
 そうやってひとり横になっているとき、ぼくと二つしか違わない一番下の姉がやってくることがあった。セッチェは変わった少女だった。夜になると裏庭に集まっては女の子どうしの遊びに興じる姉たちやいとこたちに、あまり関心がなかった。かわりにぼくの部屋にやって来て、おとぎ話のあれやこれやをするのだった。星や太陽や月、ツバメ、野ウサギやトラ、貧乏なお百姓や木こりのお話をたくさん知っていた。
 あるお話は、山に薪を集めにいった貧しい木こりの話だった。ハシバミの実がひとつぶ、突然、斜面をころがり落ちてきた。「母さんに持って帰ろう!」と木こりが言って拾うと、たくさんのハシバミの実がいっせいに落ちてきて木こりのポケットはいっぱいになった。木こりが家に着くと、木の実はみんな金に変わっていた。
 また別の話は貧乏な漁師が大きな川で釣りをする話だった。一日中、運に見放された漁師は、これでは家に何も持っては帰れまい、と心配しだした。夕方になってやっと、ウロコが銀のように輝いているコイを一匹とらえた。コイを籠に入れようとしたとき、漁師はコイがさめざめと泣いているのに気づいた。漁師は悲しい気持ちになって、コイを川に放した。翌朝、漁師は南海の王に呼ばれて、「魔法の望みの樽」をほうびにもらった。命を助けたコイは王様のただ一人の息子、王子だったのだ。望みの樽は、漁師が願いごとさえすれば、なんでもかなえてくれる樽だった。
 ほかの姉たちと同様、セッチェも学校には行ってなかった。学校は男の子だけのものだったから。娘たちは、母親や年上の女たちから、女性としてのたしなみを教わることになっていた。セッチェはまだほんの子どもだった。縫いものや刺繍のやり方も知らず、料理もできなかった。無邪気に遊んだりおしゃべりしたりして日々を過ごしていた。セッチェが庭にひとりすわって、ホウセンカの花びらを絞って小さな指に巻きつけているのをときどき見かけた。それはセッチェの爪を赤く染めた。それがきれい、と信じていたんだ。壁にもたれて、分厚い本に夢中になっているところを見つけることもあった。セッチェはお話や物語を読むのが大好きだった。
 セッチェが読んでいた本はあの難しい漢字ではなく、20何文字からなる簡単な朝鮮文字で書かれていた。後になって教えてくれたことによれば、その文字は一字で「天」とか「地」、「日」とか「月」と読むのではなく、アとかオ、エとかクとかンの音を表わしている。セッチェは早くから乳母からその字を習っていたから、その字で書かれたお話や物語をなんでも読むことができた。学校に行ってない女の人でも読めるものだから、いろいろな本が出ているのだろう。
 セッチェはぼくに教えるのが好きだった。数の数え方、お祭りや記念日の名前、そのほか大切なことはみんなセッチェから教わった。お話のない日は、静かにぼくの横に寝そべって、腕に頭をのせて、ぼくを試すのだった。
 「四つの方角を言ってみて」セッチェはまずこう聞いてきた。
 「東、西、南、北」ぼくが答える。
 「じゃあ、色の名前は?」
 「青、黄、赤、白、黒」
 「季節はどういう順に来る?」
 「春、夏、秋、冬」
 「春が運んでくる美しいものは?」セッチェはつづけた。季節の美しさについての格言をたくさん教わっていたから、それを言ってごらんというのだ。
 「山は花咲き、谷間にカッコウ鳴く」
 「そのとおり。じゃあ、夏の美しさは何?」
 「恵みの雨は野を濡らし、ヤナギの青葉が塀をおおう」
 「秋の美しさは?」
 「冷たい風が野をわたり、枯葉は舞い落ち、ひとけのない中庭を月が照らす」
 「よくできました。じゃあ、冬が運んでくるものは何?」
 「丘も山も真白におおわれ、道行く旅人の姿もなし」
 「ミロクはいい子ね」セッチェはぼくを誉めてくれた。
 
ある夜、スアムがあれからどうしているかを見に、秘密の部屋に行ってみることにした。スアムは数えきれないくらいたくさん小さな凧を試作していた。さあ今から、本物の大きさのものを作ろうというところだった。スアムは自分が竹ひごを用意している間に、丸い穴の下に、墨で大きなチョウを二つ描くように言った。のりが温められ、こては火鉢の中で熱くなっていた。ぼくらはそのとき、紙に竹ひごを貼りつけているところだった。突然、戸が開き、父さんがそこに立っていた。あまりの驚きで、ぼくらはどうすることもできなかった。凧を隠す間もなかった。ぼくの父さんはもう見てしまったのだから。父さんは少しの間びっくりして、ぼくら二人と、凧と、使いかけの巻き紙を眺めていた。それから厳しい声で叫んだ。
 「すぐにここから出なさい」
 ぼくらは部屋から這い出た。美しい凧を部屋に残したまま。
 「ミロクは見ていただけなんだ」スアムはぼくをおしおきから守ろうとして言った。
 次の朝のこと。凧づくりそのものは別に悪いことではなかった。いけなかったのは、習字の練習用に与えられた紙を違うことに使い、高価な巻き紙の封を切って勝手に使ったことだった。ぼくらをおしおきする役目は、父さんから話を聞いた家庭学校の先生だった。ぼくらはズボンのすそを上げさせられ、竹の棒でふくらはぎをたたかれた。指くらいの太さのそのような棒を先生はいつも持っていたけれど、使ったことはなかった。ぼくら二人は、最初の見せしめになった。この退屈で平和な教室で。ぼくら二人の罪人は教室の真ん中にすわらされ、生徒たちはそれがよく見えるよう、壁際に二人を取り囲むように立たされた。教室は静まりかえった。恐いほどに。先生は学士帽をかぶっていて、いま一度、ぼくらの犯した罪について説明をしたのち、棒を一本取り出して試し打ちをした。恐ろしかった。先生はスアムにふくらはぎを出すよう言った。スアムは棒をにらんで、すわったまま動こうとしなかった。
 「自分の意志では来れないのか」、先生が声をあげた。
 スアムはため息をついて、先生の前に立ち、ズボンを引き上げた。三回つづけて素早いむちが走り、ぼくの大好きなスアムは、泣きはじめた。それからスアムは、ミロクは何も悪くない、ただ自分が凧を作るのを見ていただけだと、懸命に言った。とはいえ、ぼくも三回のむちを受けた。すごく痛かった。痛みは、まだがまんできた。最悪のことじゃない。耐えがたかったのは、みんなのあわれみの眼差しにさらされておしおきされたこと、その恥ずかしさと不名誉だった。


訳者ノート(朝鮮の凧、セッチェの名前の意味)