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第4章 ナンムン(南門)にて


 クラスのほとんどの生徒はぼくらふたりより年長だった。だから勉強もずっと先に進んでいた。何人かはすでに唐代の大詩人たちの作品を知っており、韻を踏んで書く練習も始めていて、ほかの生徒たちの羨望の的だった。詩はたいてい花や雨、月の光や一杯の葡萄酒といったものについて語っていた。ぼくら以外の生徒たちは、十五巻は下らない「資治通鑑」と呼ばれる長大な中国の古代史記を勉強していた。それは非常に魅力あふれる書物だった。国々は戦争の最中にあり、王朝が倒されては、新たな覇者がそこに置き換えられた。ぼくらふたり(スアムとぼく)と年少の子どもたちは、まだ年少者用の本で道徳律と言われる五つの道(五常)や朝鮮史の簡略版を学んでいた。そしてついに、嬉しいことにこの入門書を終えて、本物の歴史書の第一巻を手にした。
 朝、学校では先生が教室に入ってくると、生徒はまじめくさって頭を深く垂れおじぎをする。それから昨日やったことを覚えているか、先生の質問が始まる。新しい課題はこの質問に答えられた者だけに与えられる。なんであれ、答えられなかったならば、もう一度学習しなければならなかった。全員の復習が終わったところで、生徒は自分のすずりを持って外に出て、墨汁の用意をし、先生から配られた新しいお手本を見ながら、その日の字を書いていく。短い休み時間をはさんで、読みの勉強にはいる。それぞれが、おのおのの本、おのおのの場所から声を出して読み上げるので、教室は蜂の巣をつついたようなあり様だった。
 午後は朝よりも休憩時間がいっぱいあって、夏には、ときに水浴びに行かされた。近所のスヤンサン(スヤン山)の峡谷にはきれいな小川がたくさんあって、ぼくらはそこで走りまわったり、水浴びしたり、遊んだりした。そこへ行く途中の道が、また素晴しかった。町を出発すると、岩山にはさまれて影におおわれた小道をどんどん進んでいく、すると大きくて深い池に到着するんだ。すぐに服を脱ぎすてると、透明で冷たい水めがけ、頭から飛び込んでいく。ぼくらはひどい暑さがおさまって、空気が少し軽くなるまで、水の中で遊ぶ。そしてもと来た美しい道をまた戻っていく。木の上ではセミのジージー鳴く声がいつまでも続いていた。
 夕食がすむと、母さんたちはちょっとの間、ナンムン(南門)に行くことを許してくれた。ぼくらは喜び勇んだ。二重の塔の建物は、日没につつまれて素晴しい見映えだった。城壁や家々に挟まれたくねくね道をぼくらは走り、長い長い石段を駆けあがって、塔の正面の近所の子どもたちみんなが待つ広場へと急いだ。ある者は古硬貨を地面に投げ、小さな平たい石をそれに当てる遊びに熱中し、ある者は羽根玉で遊び、ある者は片足でぴょんぴょん前へ後ろへと決められた幅を飛び超して、先に倒れた方が負けという遊びに興じていた。おしゃべりあり、自慢のしあいあり、言い争いあり、けんかもする。けれどもサンムン(三門)からの音楽が聞こえはじめると、みんなしんと静まった。サンムンははるか遠く、知事官邸のそばの町の中央にあったけれど、夕べの静けさの中、神聖なその響きはくっきり美しくナンムンのところまで運ばれて来て、ゆっくりとぼくらを静寂の中に溶かし込んだ。それは知事からの夜のあいさつだった。一日は幕を閉じ、夜が舞い降り、町のすべての民が緊張から解き放たれる時。静けさと安らぎがこの国に満ちていった。
 そう、夜の安らぎがやって来たんだ。家々から夕餉の煙が上がり、屋根の灰色はゆっくりと夏の闇に溶けていった。山々の頂上のところだけが、青い空に明るく輝いていた。この時間になると、ぼくは悲しくなった。今日という一日が去って、見知らぬ夜につつまれるからなのか。
 ほうけたようにすわっていると、背の高い男がゆっくりと石段を登りはじめ、塔の中に入り、鐘の塔の門の錠を開け、重いつちを取り上げた。しばらくの間、男は静かに立って、音楽を聞いていた。それが消え去ったとき、男はつちを後ろに引いて、大きな鐘を打った。とどろきが山のかなたまで渡っていった。ぼくらは男のまわりに佇み、指でその回数を数えていった。最初親指から小指の順に指を折っていって、次に逆順で開いていく。そうすると十になる。(左手の親指から数えはじめて、次は右手にうつる) 毎晩二十八回の鐘がつかれた。それは夜の鐘は大地に捧げられるもので、大地とは二十八の神様に治められているからだ。
 男は満足げな様子で、石段を降りてきた。ぼくらに向かって、夜の小鬼たちが石を投げつけてくる前に、さっさと家に帰るようにとうながして。子どもたちはそれに従う。石の手すりにまたがって下に滑り降りていく。ぼくとスアムも同じようにする。みんながそこを滑るので、石はすべすべになっていた。だからズボンのおしりが汚れたりはしない。
 ぼくらはアーチ門のところまで歩いていって、ナンムンの戸がしっかり閉ざされているか、チヂム売り*が屋台をいつもの場所に出しているか、確かめる。おいしいチヂム(丸いのあり、四角いのあり、長細いのあり)は、大きな板の上に並べられ、大きいの小さいの、中身の具も様々だった。そばには、小さなランプとチヂムを切り分けるためのはさみが置かれていた。チヂム売りはときどき、小さなはさみでリズムを打ちならしながら、チヂムに混ぜ込んでいるさまざまな薬味についての口上を哀愁をおびたメロディーで歌った。
 満ちたりた気持ちで、ぼくらは暗くなった路地を通って、家路についた。鬼なんか恐くはなかった。家々の灯りがぽつぽつとぼくらの行く道の上に落ちはじめていた。夕べの音楽のやわらかなメロディーが、心の中であたたかくくすぶっていた。
 ぼくは女の子たちの遊びを見に裏庭に立ち寄ったりしたけれど、スアムはこっそりどこかへ消え去り、夜遅くまで戻らないことがあった。ぼくらの地区の少年たちは、他の地区の子どもたちと戦うために路地や広場に集まった。知らない地区のやつらは一種、敵のようなものだったからだ。多くの場合、けんかはげんこつどまりだったが、ときにより、棒や石が武器として使われた。夜気が冷たく、月あかりが増すようになって、けんかの頻度は増えていった。スアムの上着がひどいあり様になっているのをたびたび見かけるようになったのは、その頃だった。


●チヂム売り
原文ではpieman(パイ売り)となっています。朝鮮半島の屋台料理を調べたところ、パイはチヂム(日本では「チヂミ」と呼ばれることが多い)のことではないかと思われました。チヂムは、お好み焼きのような食べ物で、ベースの生地として小麦粉、上新粉、そば粉などを(ブレンドして)使い、野菜やキムチなどを具に入れて焼いたものです。テキストに、「丸いのあり、四角いのあり、長細いのあり」とありましたが、じゃがいものチヂム(じゃがいもをおろして生地にしたもの)は丸いものが多いようです。