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第5章 チルソン
ぼくの父さんは、親戚関係のことではあまり運がいいとは言えなかった。兄は若くして死に、その妻と三人の子どもの世話が父さんに残された。それから姉の夫が死に、喪の開けた年に、ひとり息子を連れて、ぼくらの家にやって来た。その子は十歳くらいで、ぼくら三人の中ではいちばんの年長者で、バラ色のほおと少年らしいすらりとした背格好の、とても美しい男の子だった。その子の美貌はただ一点、並はずれて分厚く固そうなくちびるによって損なわれていたけれど。それは以前にかかった病気の後遺症であると教えられた。その子の目はきらきらと輝き、耳はすばらしい丸みを帯びていた。きめ細かい美しい肌にバラ色のほお、もし男の子の服を着ていなかったら女の子に間違われたかもしれない。さらにぼくをびっくりさせたのは、手がひどく清潔だったことだ。自分の手とくらべてみて、大きな違いだった。
ある夕暮れ、ぼくとスアムが井戸の庭でいつもの羽根玉遊びをしていると、その子が突然あらわれた。近づいてきて、どっちがスアムでどっちがミロクか聞いてきた。ぼくらの前に立っている子が誰なのか、すぐにわかった。それはチルソン(七星)だった。これからいっしょに住むことになっている、新しいいとこだ。ぼくはその子がすぐに好きになった。とてもきれいな子だったから。すぐにいっしょに遊ぼうと誘った。スアムは関心をしめさない。井戸によりかかって、中断された遊びを続けようとはしなかった。「ここじゃ寒くて遊べないや」と言って、気の弱そうな新参者を見下すような目で見やった。
ぼくらがツェギを再開して少しした頃、チルソンがポケットから竹の小さな横笛を取り出して、それを吹き始めた。その厚いくちびるから、明るく生き生きとした節が流れでて、次にゆっくりとした哀愁をおびた、心地いい思い出を呼びおこすような曲がつづいた。なんともいえない陽気な気分がからだ中を満たし、見るとスアムもリズムに乗ってからだを動かしていた。ぼくもからだを動かしはじめ、チルソンの演奏はどんどん熱を増していった。ぼくらの踊りに刺激されて、吹きに吹いた。父さんと老紳士(チルソンのおじいちゃん)が、父さんの部屋の外廊下に出てきてにこにこと見ていたことに、三人とも気づいていなかった。
父さんはぼくが踊っているところなど見たことがなかった。ぼくらが母さんの部屋で夜、おばあちゃんの指揮のもと踊っているところに、父さんがいたためしはない。ぼくの姉さん二人が小さな太鼓を鳴らして子どもじみた歌をうたい、ぼくらは手足をバタバタ動かして踊ってた。でも姉さんたちがこんなに美しくて感動的な歌をうたったことなんてなかった。
それはタルチュウムという仮面踊りの曲で、一年に一回ぼくらの町で踊られる人気の無言劇の演目だった。数年前のよく晴れた春の朝、クオリがスアムとぼくをこの見せ物を見るよう町に連れていってくれた。ぼくらは群衆にまじって、三十人くらいの仮面踊りの人々が楽隊といっしょに町中をねり歩き、プキナン(北門)の野外ステージまでたどりつくのについてまわった。舞台のまわりのあらゆるところ、城壁や門番小屋の上、木陰の下の斜面などに、見物人たちがかたまってすわっていた。
最初に舞台にあらわれたのは、年老いた僧侶で、僧院を出て町に出て来た人だった。ここで僧侶は美しい女性と恋に落ちる。あまりに幸せな気持ちに満たされたため、僧侶は踊らずにはいられない気持ちになる。僧侶はとうとう、動くたびにシャンシャン音をたてる鈴の束をつけた陽気なばか者といっしょに踊りだす。最後に、ばか者は、僧侶の求愛を自分のものと混同して、美しい女性と駆け落ちしてしまった。哀れな老人はなすすべもなく、出てきた山へ、僧院へと帰っていく。その別れの歯切れよくも悲しげな踊りは、まる一日つづいたその演目の一番終わりのものだった。
この最後の踊りは日没にはじまり、夕闇の中へとつづいていく。ぼくの心は深く動かされた。老人が郷愁を誘うメロディーにのせて、長くたっぷりとした手の先まで覆う袖を前へ後ろへと揺するのを見て、疲れた足をゆっくりとそろそろと動かすのを見て、悲しげに円を描きながら背をいま伸ばしたかと思うと折り曲げるのを見て、そのすべてがぼくの心につよくしみ入っていった。そのときの踊りは、自分でそのとおりに踊ることができた。三人のいとこが出会った最初の夕べ、心通じ合って過ごした喜びを、父さんも感じていることがわかった。
ぼくらはほんとうに、素晴しく平和で静かな秋と冬を過ごした。年長のいとこはたくさんの新しい遊びを教えてくれ、それにぼくらはわくわくした。学校が終わるとすぐ、凍った川へ降りていって、暗くなるまでコマで遊んだ。家ではあらゆるものを彫って遊んだ。コマ、竹の横笛、竹棒、小さなタバコ箱、灰皿など。
年の変わり目には、ぼくらは家族で、一年中で一番盛大なお祭りを祝った。お祭りは先祖の祭壇にお供えものが捧げられる真夜中に始まった。ぼくら子どもたちは母さんの大きな部屋に呼ばれて、そこでおいしいご馳走や果物をいただく。その日は起きていられるだけ、そこで楽しんでいていいのだった。次の朝、一番いい服を着て、ぼくらは親戚や友だちの家に新年のあいさつに出される。寒さ厳しく、道々は凍りついて滑りやすく、刺すような風が顔に吹きつけるのだけれど、わくわくする気持ち、嬉しい気持ちでいっぱいで、ぼくらは家から家へと、そらで覚えた新年のあいさつを届けるために走りまわった。どこの家へ行っても、優しい言葉とお菓子や果物がぼくらを待っていた。なんて楽しいお祭りなんだろう、ただただ親切にされたり誉められたりしていればよくて、お菓子を食べていくことくらいしか要求されないんだ! 家でも、全員が(おばあちゃんからクオリに至るまで)一番いい服を着て、一日中にこにことして過ごすんだ。誰ひとり、不機嫌な言葉など吐かない。気の荒い住み込み守衛のスノクでさえ、いつもぼくのことをロクデナシと呼んでいるのに、その日は優しく朗らかで、いつかぼくもまともな人間になるだろうなどと言うのだった。みんながぼくらに冗談をふっかけたり、プレゼントをくれたりした。夜遅くなって寝に行くときも(ここのところ、スアムとぼくはいっしょの部屋で寝ていた)、まだこの先、十五日間まるまる授業なしの日が続くことを思い出して、天にも昇る気分だった。ぼくは「この世はすばらしい!」と心の中で叫んでいた。でもスアムはといえば、高いびきだった。
子どもたちの訪問が終わると、今度は大人たちがお客を招く番だ。数えきれないくらいのお客が(女の子、女性たち、老若の男たち)が家にやって来て、華やかな空気と笑い声に家中が満ちていた。こんな風にして、お祭りの日々は終わりなく続いていくように思えた。
お祭り気分で時間の感覚が薄れていく中、スアムは夜になるとすっといなくなり、遅くになって家に戻ることがよくあった。男の子のあいだで、新年交戦が始まっていた。スアムはそれに参加する誘惑に勝てなかった。スアムの晴れ着は、蹴られた跡や鼻血のしみで(目立たぬよう努力したにもかかわらず)汚れていた。ある夜、スアムはひどいあり様で帰って来た。両袖が半分ちぎれ、頭はあちこち打ち身になったり腫れたりしていた。捕虜となって、仲間に助けられるまでのあいだ、三人の敵にひどくたたかれたそうだ。このことがあってから、スアムの交戦への熱意はいくぶん冷めたように見えた。二、三日の間、夜になっても静かに家にいた。喧嘩はさらに暴力的になっていったけれど、それから少しして、最後の審判が下され終焉を迎えた。
それにかわって、家の中ではぼくら三人のいとこの間で、別の戦いが始まっていた。この戦いは他でもない、ぼくの父さんがもたらしたものだった。ある夜のこと、家にお客がなかったので、父さんはぼくたち三人を部屋に呼んで、珍しい遊びを教えてくれた。この国のあらゆる階級と公的な肩書きが、身分の高いものから低いものまで、しっかりとした紙の巻き物に書かれていた。一番下の階級から出発して、一番早く最高権力者にまで昇りつめた者が勝ちだった。父さんは本を一冊取り上げて、適当なページを開いた。ページの最初の言葉が韻を踏む言葉として選ばれ、ぼくらは古典の詩の中からその言葉で終わるものを見つけて暗唱する。それができた者は、先に進むことができる。チルソンの最初の言葉は「支配者」だった。長いこと考えていたが、チルソンはそれで終わる詩を知らなかった。つぎはスアムの番だった。当てた言葉は「春」だった。詩ではとてもよくある言葉なので、ぼくらはスアムの幸運をうらやんだ。スアムはちょっと口ごもってからこう言った。「路地沿いに春が巣ごもる」
「よし」と父さんが言って、スアムに文学書記官の地位を与えた。スアムの出来は素晴しかったけど、それが最初で最後だった。それ以降もう簡単な言葉は当たらなかったから、そこから進むことができなかった。スアムはたった1册しか詩の本を読んでなかったし、それでさえ暗記できるほど覚えてはいなかった。チルソンとぼくもそれほど昇級できたわけではない。チルソンは三度目で、ぼくは四度目で、打ちどめだった。勝者はなし。
二、三日後、ぼくらはゲームを再開した。が、今度は詩読みの競争ではなく、さいころ投げを競った。チルソンが、もっとゲームを簡単に進める方法として考えついたものだ。みんなすぐに官吏になり、つぎつぎに昇進していった。ゲームは1時間半で決着がついた。勝者は銅貨一つ手にした。こういう遊び方は本当は父さんの好みではなかった。それでもなお、ぼくらの遊びに助言したり、地位やそれぞれの官吏のもつ権力について、実社会では人はどのようにしてそういう地位につくものなのか、などの面白い話をいろいろしてくれた。
スアムは、一年前、ぼくらの道知事がおごそかに街に入場するのを見て以来、その地位にすごく憧れていた。この権力ある男は、道境から五キロくらい離れたところから、部下の役人たちに出迎えられてやって来た。馬で街に乗り込む前に、道境のこれから自分の領地となる場所で、男は最初のもてなしを受けた。クオリに連れられたぼくらは、家々の前に並んで待ち受ける群衆の間に立っていた。遠くの方から華々しい音楽が聴こえてきて、それから、ナンムンを通ってやってくる騎馬隊の列を目にした。先頭に、栗色の馬に乗った二列の楽隊十人ほどが進み、その後を馬に乗った四十人くらいの少女たちが鮮やかなシルクの衣装で行き、十組の厳めしい黒衣を着た高官たちがそれにつづいた。その人たちは、二十三区に分かれているぼくらの道の副知事だった。その後ろには馬に乗った知事がいて、二人の若く美しい部下の男を従えて通り過ぎた。知事の馬は乗り手の髪と同じくらい真っ白だった。知事の帽子は礼装用のもので真っ白な羽の冠をつけ、こはく色のひもであごの下でしめられていた。知事の後ろにはたくさんの職員や役人がつづいた。小さなスアムにとって、この偉そうに見える男は大きな感銘を与えたようだった。
ぼくはといえば、オサと呼ばれる人の方に興味をひかれていた。それは国中をあちこち旅して問題を解決したり、臣民が義務を果たしているかどうか見まわったりする男のことだ。王への報告ひとつで、その男は最高位の役人を解雇したり、最下位のものを昇進させることすらできた。もちろん男は他の人に知れないように国中を歩いた。ふつうは乞食に変装していたので、それがオサであると気づくものはいなかった。このオサについて聞かされた話は数えきれない。多くの貧しい人々に米と金を与え、罪のない囚人たちを解放したりした。ぼくは乞食のように見えながら、隠れた多くの使者を従え、並ぶ者ない権力をもつ、そういうオサになりたいと思っていた。ぼくがこの地位をゲームの中で手にし、六の目を出したとき、他の官僚たちは六の目を出すまで国から追放された。そのあいだに、ぼくはひとり昇進し続けることができた。道議員という安泰の地位で、恐れるにたるライバルもなく、次の者が来るのを待っていた。
このような追放に耐えることは、ある意味、非常な恨みを溜めこむことだった。一回のゲームで何回も追われたときにはなおのこと。スアムはたびたび追放の目に合い、そのたびにかっとなった。チルソンからそれをされたとき、怒りはいっそう激しくなることにぼくは気づいた。スアムの怒りは個人的な恨みになっていった。ほとんど毎晩、寝に行くときも、不機嫌のままだった。スアムは負け続け、やがて、正月の間に溜めていたこづかいを使い果たした。ぼくも同じだった。チルソンの一人勝ちだった。もともと、ぼくのいとこ二人は仲がよかったためしがない。ひとりは火のように激しく、もうひとりは水のように静かだった。それに加えて、チルソンはいつも、スアムに対して模範生のような位置をしめていた。たしかに、チルソンはいつも清廉潔白だった! 何ヵ月も着ている服がチルソンの場合は新品同様だったの対し、スアムの服は三日とたたずに見る影もないありさまだった。だから、この年長のいとこは、ぼくらの日々のトゲとなった。あやしい雲行きが三人の頭上を覆いはじめ、小さな火花がいずれ激しい雷雨となるのは必至だった。このゲームがまさにそれだった。正月休みが終わるまでに、ぼくもこづかいの全部を失った。ぼくとチルソンはぼくの最後の銅貨をかけて争っていた。父さんは不在だった。チルソンがぼくを追放した。ぼくはいったん戻り、また追放され、また戻った。スアムはとうに財産をなくしていて、端でぼくらのゲームを見ているだけだった。チルソンがぼくを追放するためにまたさいころを投げた。さいころが地につくより早く、スアムがチルソンに襲いかかり、長い髪をつかんだ。床の上で二人はあっちにころがり、こっちにころがりした。ぼくはスアムをちょっとだけ助けた。ああ、なんていい眺め、模範生チルソンが鼻血だしだし、上着は破れ。
これで三人の関係は幕となった。
判決はすみやかに下された。でもそれはぜんぜん正当じゃなかった。ぼくはチルソンが一番重い処罰を受けるべきだと思っていた。だってチルソンがみんなからお金を巻き上げたから、こんなことになったんだ。その次に、スアムは乱暴を働いたことで処罰をうけると思われた。スアムの攻撃はすごかったから。しかし、結果はまったく反対だった。チルソンは放免され、なんの処罰もなしに父さんの部屋から出された。スアムは父さんから、ふくらはぎを三回打たれ、声を上げることなくそれに耐えた。
「さあ、次はおまえだ!」裁定者である父さんが言った。
だけど、ぼくは足を出さなかった。だってどうしてチルソンが無罪放免されて、スアムとぼくだけが罰を受けなくちゃいけないんだ。
スアムはぼくの脇をつついて、ふくらはぎを出すよう合図した。すごく嫌だったけど足を出した。と、そのとたんに父さんがぼくを打ち始めた。ぼくの抵抗空しく、父さんは素早く力強くぼくをとり押さえて、逃げるすきを与えなかった。三回むちが走った後、ぼくは父さんに向き直り、残りの一人も罰を受けるときが来たんじゃないのか、と言った。とたんにもう一つむちが走った。今度は向こうずねで、恐ろしく痛かった。ぼくは悲鳴を上げた。スアムが突進してきて、父さんからカバの棒をねじりとろうとした。しかしスアムも手痛い一打ちを背中にこうむり、べそをかきながら退いた。ぼくはさらにいくつものむちをくらった。十は下らないむちを。
父さんが言った。「お前はこうされるだけのことをやったんだ」
ぼくは、そこから動かなかった。
「もっと打てばいいじゃないか」ぼくは言い放った。
「なんだと!」父さんは声を上げ、ぼくをさらに打った。
スアムが二人の間に身を投げ入れた。激しいもみ合いの末、スアムは父さんの手から棒をもぎ取り、それを持って走り去った。ぼくは部屋から追い出された。
「出て行け、その頑固さ連れてどこへでも。この強情っぱりめ!」
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