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第6章 二人の母
春になって、チルソンとチルソンの母さんはぼくらの元を去った。路地向こうの小さな家に移っていった。伯母さんが自分たちだけのもっと広い家に住みたかったからなのか、ぼくらいとこ三人のいさかいがそうさせたのか、ぼくは知らない。どうであれ、別々になったことはよかった。もうぼくらは顔を合わせても、けんかすることはなかった。スアムもぼくも、年長のチルソンを痛めつけたことを恥じていたし。ほんとうにチルソンは清廉潔白でしゃくにさわったけれど、それは別にチルソンの罪じゃない。
チルソンがいなくなって間もなく、妙なお客(遠方からの年老いた女の人)が家にやって来た。その年老いた人は、ぼくのことを自分の幼い息子のようにあつかった。ぼくの母さんはその人のことを「母さん」と呼べと言う。その人がぼくを生んだというわけではないが、と説明されたところによると、母さんに跡取り息子が授かるようその人が祈って、それでぼくがこの世に生まれてきたらしい。その人、お婆さんは、子どもの欲しい人に子どもが授かるよう祈ってやる人、ということだった。お告げの書や運を見る扇子をもって家から家を渡り歩く占い師でも、音楽や踊りで霊をあやつってみせる巫女でも決してなかった。お婆さんはもっとずっと高貴な人で、生活の小さなことごとには関知しなかった。仏陀という名前の天の主やその弟子に直接、祈りの言葉をかけるのだった。母さんはこのお婆さんのことを聞くやいなや、外に飛び出していってお婆さんのお祈りを受けられるよう懇願したそうだ。その頃、母さんは息子を生むことなく年老いてしまうことをとても恐れていたという。母さんはそうやって天の調停者(お婆さん)を見つけ、そのお婆さんに祈りは四十九日間かかると言われたのだった。祈りは仏陀の弟子、聖なるの弥勒に捧げられ、それがぼくの名前となった。
ある夕暮れ、お婆さんが家に来て少ししてのこと、ぼくは二人の「母」といっしょに森へ行った。森にある聖徒・彌勒の像の前で、感謝の祈りをするためだった。町からはるか遠く、人里離れた谷あいの奥深くに小さな社があり、石で彫った実物大の聖徒の像が祀られていた。ぼくの「心の母」が近くの村から鍵をもってきて、扉を開け、ろうそくに火を灯した。すでに夜の闇がぼくらを包み、二人の母の間に立ってぼくは不安な気持ちでろうそくに照らされた像を見上げていた。像は静かに穏やかに佇んでいた。まぶたを下げ、長い長い耳を持ち、腕を胸に抱えるようにしていた。両の手はしっかりからみ合っていたが、足はといえば形があいまいで何となくわかる程度にしか彫られていなかった。
第二の母は三つ折りにした紙に火をつけ、石の像の顔をよくよく眺め、祈りを始めた。何をぶつぶつ言っているのかよくわからなかった。ぼくは暗い森の中で白く輝く聖徒の姿に気をとられ、この地にぼくをもたらしてくれた優しい瞑想の姿に深く心を動かされていた。
祈りが終わって社が閉められ、家に帰る道すがら、ぼくをこの世に導いてくれた良き魂の調停者(第二の母)に対して、感謝の気持ちでいっぱいだった。母の祈りがなかったなら、ぼくはどこか別のところで生まれ、スアムとも、クオリとも、姉さんたちとも出会うことなく育たねばならなかっただろう。ぼくはつないでいた母の手を握りしめ、母の方も「わたしの最愛の子よ」と何度も繰り返していた。
母はぼくにたくさんの贈り物をくれた。町に帰る前に、ぼくに何か欲しいものはないか、いまだ
果たされていない望みはないか、聞くことを忘れなかった。ある日、ぼくを喜ばせようと母がもってきたのは、大きなギリシャ陸亀だった。こんな生き物をぼくは見たことがなかった。背中は美しく彫られたインク壺のようだったし、お腹には漢字の「王」の字がくっきり刻まれているのを見て、いたく感動した。
その頃の「四つ足友だち」は、小さな可愛いリスで、ぼくにとてもなついていた。毎夕、ぼくが授業から戻ると、顔や首に飛びついてきて、ピーナッツや栗の実をあげるまで袖のまわりを走り転げた。第二の母にリスとのできごとをいろいろ話し、リスが最後には逃げてしまったことを告げた後で、亀はぼくにもたらされたのだった。
ごくたまに、細心の注意をはらって、ぼくは亀の背中にさわった。それ以外にどうしたらいいのかわからなかったのだ。亀はリスとはものすごく違っていた。飛び跳ねもせず、声をあげることもなく、ただゆっくりと外廊下を歩くか、何時間も同じ場所でじっとしていた。たいそう品位があるように見えたし、王者の風格をもち、思慮深く感じられた。ぼくの「心の母」が言うには、亀は人の運命について考えて、幸運、不運を言いあてることができると。未来を占うには、背中が平らになるまでからだを前にかがめて、背骨の上に亀を乗せ、亀が這いおりるのを待つ。右方向に降りたら吉で、左方向に降りたら凶だった。スアムとぼくは毎朝、地面に伏せて、亀が降りてくるのを待ったけれど、亀が降りてくるまで、相当な熟考が必要なこともしばしばだった。亀が左の方に這いはじめると、不安な気持ちを感じずにはいられなかった。スアムは左肩をほんの少し上げるようぼくに言い、そうすれば亀が右に動くというのだった。ひとたびお告げが下されたら、ぼくらは亀から離れた。一人になった亀は、その後一日中、二つの中庭を行ったり来たり、たんたんとのしのしと歩きまわるのだった。亀はキュウリとメロンを食べて生きていた。ぼくらはいつも充分な量を亀に与えていた。南の土地では、この風変わりな生き物が、毎朝くちびるに落ちるたった一滴のしずくで生き延びているという話を聞かされた。
真夏がまたやって来た。第二の母はぼくらのもとを去った。暑さが厳しくなり、授業は午前中だけになった。午後には小川に行って、好きなだけ水浴びしてよかった。その頃にはぼくらは泳ぎが達者になっていて、深いところまで潜っていって遊んでいた。山の川はどこも水が澄み渡り、何メートルも下の石や砂に届く光までもが見通せた。カエル泳ぎをしたり、飛び込みをしたり、上向きになって流れに身をまかせたりした。それ以外の時は、岩に寝そべって、目を閉じ、水音を聞いていた。
スアムとぼくはいつも亀を連れていった。亀も泳ぐのを楽しんでいた。行きと帰り、ぼくらは大きなメロンの葉っぱで亀を包んで、陽射しから守った。一回だけ、亀を連れて行くのを忘れたことがあった。そしてその日が悲劇の日となった。亀はものすごく水を欲しがっていたのに、置き去りにされて、あちこち水を探しまわったようだった。夕方になって亀の世話をしようと戻ったら、亀はどこにもいないのだった。ぼくらは家中を探しまわった。家のみんなも手伝ってくれた。だんだん暗くなり、闇が降りた。メロンの花が夜の闇の中で明るく花咲き、こうもりがぼくらの頭上をばたばたと飛びまわっていた。けれども、亀はどこにもいなかった。みんなでろうそくやランプをもって、部屋から部屋へと探し、トウモロコシ貯蔵庫を見まわり、庭の溝をのぞいた。とうとうクオリが、鍋の中にいる行方不明の亀を見つけた。亀は身動きしない。床に置いてみてもじっと寝ているだけだった。亀は死んでしまった。
次の日、スアムはシャベルをもって裏庭にあらわれた。そこにスアムは友を埋めるための小さな土の塚を作った。その頃、朝鮮では平地に墓をたてる習慣はなく、どの家も自分の山があって、そこが家の墓地となっていた。だから、ぼくらも亀を土の塚に埋めてやりたかったのだ。スアムは午後中かかって、土くれの山が一メートルになろうかというところまで地面を掘り続けた。ぼくは二本の太めの小枝となわで棺台を作った。その上に亀を乗せて、二人で墓まで運んだ。そこで亀はまる一日を過ごした。茶碗の水を用意し(葡萄酒のかわりに)、山の霊とぼくらの遊び仲間へのお供えとして置いた。そうすると、死者の魂は平安を得られるんだ。日没になって、ぼくらは死体を埋めた。小さな墓が土でおおわれる頃には、ぼくら二人の心は悲しみに深く沈んでいた。
亀は長生きだそうで、ときに数千年も生きるとも言われる。わが家に起きたこの不思議な生き物の死は、その後の不運の前兆だったにちがいない。
参考:
ギリシア陸亀いろいろ(写真あり)
http://community.webshots.com/photo/368199494/368199494uuBXuX
http://www.chelonia.org/Articles/tiberagoldengreekcare_jp.htm
亀トリヴィア(英語)
http://www.tortoise.org/general/wildfaqs.html
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