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第2章 毒薬


 毎朝スアムは、四つの新しい漢字を覚えなければならなかった。ぼくは父さんの部屋でスアムの横にすわり、スアムが解放されるのを待った。スアムは覚えるのがとても遅かった。四つの漢字が読めるようになるのにとても時間がかかった。まず一つ一つ、それから全部いっしょに、最後に意味が言えるという風に。
 少しして勉強はぼくにも始まった。ある朝、父さんは新しい本をぼくの前に置いてこう言った。「長いことじゅうぶんに見学してきただろう、こんどはおまえの番だ」
 ぼくの本はスアムのものと同じで、黄色い表紙を青い糸でとじてあった。本を開くと父さんが四つの漢字を教えた。ぼくはすごく緊張して、大真面目だったけれど、スアムはといえば、これからは二人いっしょに学べるし、自分ひとりでがんばらなくてもいいので嬉しそうだった。
 漢字の読みよりも、少しあとに始まった書き方のほうをぼくらは楽しんだ。ぼくらは一人ずつの習字道具と紙を持っていた。まず最初にやることは、墨をすることだった。すずり石のくぼみに、ほんの少しの水を入れて、墨の棒を水が濃くとろりとするまで何回もこすりつける。なんとも言えないいい匂い。それからそこに、太い筆を浸けて、線を描いていく。お手本に置いてある文字の形を真似て。がまん強さが必要だ。最初は「天」という一字だけ書くことから始めた。それを上手になるまで百回以上も書きつづける。ぼくらは筆をしっかりと握り、ちょうど掃除のおばさんがほうきを使うみたいに、きれいな紙の上から下まで塗りたくるのだ。手はすぐに真っ黒になる。それをズボンになすりつけて、さらに書きつづける。何につけぼくより激しいスアムは、すごい勢いで書いていって、ほんの少しの間にグレイのズボンは黒い十字のシミだらけになった。ピンクのブラウスの袖もどんどん黒くなっていった。最初の書き方の後では、家中の女たちは驚きあきれかえっていたけれど、罰はなしだった。父さんがかばって、こんな冗談を言った。「若き書道家たちの名誉あるしるしだからな」
 ぼくらの手は黒くなるいっぽうだった。墨は手のひらの細かいしわの中にまで入りこんで、洗ってもとれなかった。ぼくらは「墨坊やたち」と呼ばれるようになった。ぼくの手を朝洗うのが日課となったクオリは、それをからかった。
 「知りたいもんだわねぇ、どっちの方が黒いのかって。ボクの手、それともカラスの足?」こんな風に言っていたものだ。
 「天」の字が書けるように(塗りたくる、と言ったほうがいいか)なってから、手本にしたがって「地」を書き、「黒」を書き、「黄」を書いた。書き方は内庭の軒下でやらされた。家の中ではじゅうたんが汚れるからだ。ぼくらにとってはどっちでもよかった。すぐにぼくらは、「日」「月」「星」そして「惑星」を学んだ。
 勉強が終わったらすぐに、父さんの部屋を出なければならなかった。そして二度と許可なくそこに入ることはできなかった。どんな事情があれ、父さんや訪ねてくるお客のじゃまをすることは許されなかった。でもこの決まりを守るのはむずかしいことだった。父さんの部屋には、ぼくたちが見たくてたまらないきれいなものがたくさん置いてあったから。
 ある午後のこと、そのとき、部屋にはだれもいなかった。ぼくの両親もスアムのおばさんもでかけていた。ゆっくり部屋の中を見てまわるチャンスだった。ししゅうのクッションや長まくらをよくよく見、書き物机をあちこちひっくり返し、木製や陶器のタバコ入れの中をのぞき、しまいには飾り棚の引き戸を開けてみたら、そこには最高にわくわくするものがつまっていた。絵巻もの、帽子箱、中が空洞のゲーム盤(たたけば太鼓になりそうな)。飾り棚の隣には、大きくて黒っぽい引き出しのいっぱいついたいわくありげな箪笥があって、ああ、なんてことか、引き出しはすべて鍵がかかっていた。ぼくらは引っぱったり押したり、思いつくことを力のかぎりやりつくしたが、まったくの無駄だった。箪笥は神秘の扉を閉ざしたままだった。とうとうスアムが小さな鍵をみつけて、それで次々に引き出しを開け、中にしまってある神秘のものにあれこれ触ることができた。それが不運のはじまりだった。
 何かいけないものじゃないかなどとは少しも疑わずに、引き出しの中身を順番になめていった。固くて白い玉、細い枝状のもの、茶色の小さなカプセルと、さまざまな色形のものがあった。ぼくはほんのり甘い小さな枝をいつまでも手にしていたけれど、スアムはもっと挑戦的で黒い丸薬や白っぽい錠剤をたくさん口にしていた。少ししてスアムは妙にしんとして、黙りこんでしまった。
 「ミアク」とスアムが小さな声で言った。何か特別なことをぼくに告げるときのような声で。スアムは口がうまくきけず、ミロクの「ロ」が言えなかった。「ミアク、水もってきてくれ」
 カップいっぱいの水をスアムにわたすと、一気に飲みほした。それからじっと動かず、ぼっーとすわっていた。
 「ミアク、ぼくののどを見てくれ」情けない声で言うと、口を大きく開けた。スアムののどは真っ赤にはれていた。そのことを言うと、涙をうかべた。「死ぬんだ」スアムは悲しげに言った。
 ぼくたちはそこをそのままにして、内庭に走りこんだ。姉たちがクオリを両親を呼びに出した。スアムののどはどんどんはれていっているように見えた。
 スアムは息もたえだえで、ひどい苦しみようだった。かわいそうなスアム。こんな辛そうなスアムは見たことがない。息もきれぎれに、スアムは地面に横たわり、ぼくに目をやることもなく、もうほんとうに永遠のお別れを告げているような感じだった。
 医者をしたがえ、父さんがやってきた。医者はぼくにスアムが何を食べたのかつめよった。そして黒い汁をカップに用意しはじめた。
 その黒い汁は奇跡だった。スアムは翌朝には元気をとりもどした。いつもよりおとなしくはあったけれど。スアムは進んで苦い薬を飲んだ。医者はスアムの悪いところが全部わかっているみたいだった。これからぼくの大切なスアムは、ときどき検査をしたり、薬をしょっちゅう飲まなくてはいけない。スアムは文句も言わずにそれを守った。黒い飲み物に命を救われたと知っていたから。
 食い意地をつぐなうべく、おしおきを受ける災いの日がやってきた。スアムは病気になって充分苦しんだのだから、本当はだれもそのことを望んではいなかった。ぼく自身は、自分への小言や平手打ちは、ほとんど気にならなかった。ほんとうに、ぼくはスアムが死ななくてよかった。でもスアムにはまだ悪いことが待ち受けていたのだ。
 ある暑い昼下がりのこと、スアムは医者に見てもらうため、父さんの部屋に連れていかれた。医者が言うことには、スアムの背中に薬草を二山のせて、そこに火をつける、その熱が皮膚から体にはいり、悪いところを直すのだという。医者から説明を受けたスアムは、少しの間考えると、体を医者の方に折り曲げた。
 「ここにいてくれるよな」スアムがぼくにすがるような声で言った。
 「ここにいるよ」ぼくは力強く答えた。
 スアムとぼくのかあさんがスアムの手を横に広げて、暴れないように固定した。医者が灰緑のもので背中の上に小さな山を二つ作り、てっぺんに火をつけた。
 「煙がでてるよ」とぼくがスアムに言う。
 「痛いかな?」医者が聞いた。
 「ううん」スアムは強がって答えたものの、すぐに、「ああ、熱くなってきた」と声をあげた。
 「もうちょっとのがまんだ」と医者。「薬草の効き目が体に入っていくんだ」医者は指で、煙をあげている小山のまわりに円を描いた。
 「あーあー、焼けてるよ」スアムが叫んだ。「ミアク、それをとってよ」
 「もうちょっとのがまんよ」母さんたちが声をあげて、ぼくを押さえた。
 「とってよとってよ」スアムが死にものぐるいの声をあげる。「からだが焼けてるよ」
 「ごめんできない、スアム」
 「早く、とってってば、ミアク、早く、とって、ミアク、ミアク、ねぇ、ミアク」
 この悲痛な叫び声は、しまいには激しい罵倒となった。
 「なんてやつだ、くそったれ、へぼ医者」
 
 その頃、ぼくらは中国語入門書の勉強を進めていた。それは「千の漢字」と呼ばれていて、本の表紙にもそう書かれてあった。本には千個の漢字が入っていて、一列に四個ずつきちんと並んでいる。タイトルの下にもうひとつ「白髪の教本」という字あった。この本を全部終えたとき、父さんはこの意味を教えてくれた。
 この本の著者は、まだ若者だったのだけれど、中国の皇帝から犯罪者として死刑宣告を受けていた。しかしこの男はすばらしい詩人でもあったので、国中の民が男の命を救うよう皇帝に願いいれた。そこで皇帝は男に非常に難しい課題を与えた。もし男がそれを解いたら、命は救われる。その課題とは、一晩のうちに、皇帝が選んだ千個の漢字すべてを使って、すばらしい詩を作り上げることだった。とがめを受けている男は、この課題をみごとに成した。しかし、翌朝、詩をもって男があらわれると、だれもそれがその男であることがわからなかった。一晩中、男は自分の命のためにもがき苦しんだため、老人になってしまったのだ。だけれども、その詩は大変にすばらしいものだった。皇帝は男の中に詩人を見て、罪を許した。
 ぼくらは父さんの足元にすわって、物語に聞きいっていた。実際のところ、罪とは何を意味しているのかも、詩人がどんな罪を犯したのかも知らなかった。けれども詩人が命のための必死の戦いのために、髪を真っ白にしてしまったことは、ぼくらをとても悲しい気持ちにさせた。

 父さんがぼくとスアムのために先生をやとって、外庭に家庭学校のようなものを開いて近所の子どもたちを招いたことで、生活が一変した。そのときから毎朝、見知らぬ先生のもとで、書いたり読んだりを一日中やらされるようになった。じっと夕方まで静かにすわって学ぶこの新たな習慣は、ぼくらに何ももたらさなかった。ただひとつ、休憩時間だけが楽しかった。ほかの子どもたちがさまざまな遊びを教えてくれた。
 男の子のあいだで一番よくやった遊びは「ツェギ」と呼ばれるもので、羽根つきの一種だった。自分の玉を硬貨(真ん中に切れ目がはいっている)とやわらかい紙の切れ端で作った。それを片足で蹴りあげ、それが地面に落ちる前にもう片方の足でまた蹴りあげる。玉を落とさずに何回もたくさんできた者が勝ちだった。ぼくらは勝つ喜びのためにやっていたけれど、子どもたちの間では勝った者が負けた者をののしりいたぶったり、ときに二本指で手首のあたりをピシリと打つことも許されていた。スアムは「ツェギ」を興奮気味にやり、ときに興奮が過ぎるとけんかを始め、遊びは殴りあい、蹴りあいのうちに終わった。