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第8章 新しい学問
「新しい学問」と呼ばれる学校のことはときどき聞いていた。去年の秋くらいから両親もその話をしていた。今までとまったく違うこの変わった学校はほんの2、3年前にできたもので、ぼくの住む町の北の方にあり、ピカピカのガラス窓がはりめぐらされた建物の中にあった。そこで教えられる教科はなんとも奇妙だった。生徒は古典や書き方も習わず、漢詩さえ教わることなく、「西洋」とかヨーロッパとか呼ばれる遠方の大陸から紹介されたあらゆる新奇な科学を学ぶという噂だった。どこにその大陸があるのか、科学とはつまり何のことなのか、きちんと説明できる者はいないようだった。あそこでは上級の算術や不可解な神秘術を教えているという者もいれば、天と地の科学などと言いだす者もいた。多くの人は、古典を教えないなんて、子どもたちを怠けさせ堕落させるものと心配していた。
父さんはといえば、この学校について知識があるようで、かなり違う意見をもっていた。母さんをはじめとする家じゅうの者たちと長いこと話し合った末、父さんはぼくを1年間その学校にやることを決めた。父さんが言うには、11才の男の子としてぼくは、かなりの古典を勉強してきた。ここ数カ月間学んできた「中庸」や「孟子」はさしあたってやるべきものではあるけれど、その先に進むとなるといずれにしてもぼくの年では難しすぎるのだった。
この学校に行きたいかと聞かれて、ぼくは嬉しいというよりは不安だった。ひとり息子である自分としては、そんな学校に行って堕落するわけにはいかず、それよりなにより、ぼくは古典を読むのが楽しく、漢詩が大好きだった。だけれどもぼくは父さんの言うことを信じて、父さんが望むなら行ってみると言った。
そんなわけで、よく晴れた春の寒い朝、父さんとともに町に向かった。ぼくは一番いい上下を着て、手には母さんが手渡してくれたこぎれいな籠に入った弁当を持っていた。父さんとぼくは家の前の細い路地を歩いていって、太い道路に出た。「本当なの?」とぼくは父さんに聞いた。「天の科学を学ぶって」。
「そのように聞いているけどな」と父さん。「天について耳にしたなら、ようく注意して聞いておくんだ。もっとも高度な知識だからな」
「ぼくに理解できるのかな?」
父さんはぼくを安心させるよううなずいた。「いつも心を素直にして聞くようにするんだ」 父さんはさとすように言った。
鐘楼の通りを渡って、道をひとつふたつ曲がったら、もうそこは大きな建物の門だった。これが、噂の「新しい学校」、その名は入り口の上にしっかり刻まれていた。ぼくは校庭に目をやった。広かった。
「さあ入ろう」と父さんが先にたって歩いた。「おや、おまえは怖がっているのか?」 ぼくが立ちどまっているので聞いてきた。
おそるおそる、ぼくは門をくぐった。入ったところでまた、ぼくは立ちつくし、たくさんの窓が並ぶ建物を見やっていたが、父さんはぼくの手を引いて中に入り、ひとつの部屋に向かった。老紳士が部屋から出てきて、父さんがぼくにおじぎをするよう言った。
「この学校の一番えらい方だ」とにこやかに紹介し、「ごあいさつして、いい子にするんだ」と言った。
父さんが校長先生と話している間、ぼくはソンという名の若い先生に連れられて日のささない薄暗い教室に入った。ぼくは先生に深くおじぎをすると、先生はぼくに座るよう言った。ぼくは先生のそばにある椅子に腰掛けていいのかどうか、聞いた。敷物の上に座る以外、何であれ座ったことはなく、椅子はぼくには立派すぎた。先生は座りなさいと言い、ぼくはおそるおそる腰をおろした。
「これまで何を勉強してきたのかな?」 先生は質問を始め、ぼくがものおじしているのに気づいて、「たとえば、資治通鑑はもう読んだのかな?」と続けた。
ぼくはうなずいて言った。「8巻まで」
「他には何を読んだのかな?」
またぼくは黙りこんだ。他に何を読んだのか、ぼくは思い出せないのだった。頭がまっしろになっていた。
「史略かな?」先生が聞いた。
ぼくはうなずく。
「孟子も?」
ぼくはまたうなずく。
「きみは中庸も読んだのかな?」
「はい、それも、読みました」
「たくさん読んだんだね」 そう言うと先生は引き出しから本を取り出して開くと、ぼくの前に置いた。「ちょっと読んでごらん」
ぼくは読んだ。
「意味はわかってるのかな?」
「はい」 ぼくは少しためらいつつも答えた。
「じゃあ、この言葉の意味は何かな?」と、先生は「アメリカ」を意味する文字を指しながら聞いてきた。
「おそらく、英国の近くにある国のことだと思います」 ぼくは答えた。ぼくはときどきヨーロッパについての話の中で、その二つの名前を耳にすることがあったからだ。
ソン先生はしばらく考えた後、ぼくを第2学年に入れることを決めた。
父さんはぼくを待つことなく帰っていた。校長室にはだれもいなかった。父さんはぼくを見捨てて帰ってしまったんだ。
第一日目、天について何も学ばなかった。博物学の授業は4頭の馬によって引き裂かれた一個のボールについてだった。それから、長いガラスの円筒をのぞきこんで、銅貨と羽根を端から端へ動かしているところを覗いた。それから算数が1時間あった。2時間の体操もあった。夕方になるころ、ぼくらは筒型のものを見せられた。目のところに当てると、中に見えてるものが無数の色になってきらめいた。
日が暮れた。クラスメイトたちは門からぞろぞろ出ていった。ぼくはソン先生に呼びとめられた。先生は教科書を2冊とカバン、鉛筆、石盤をくれた。それはぼく用に業者から購入されたものということだった。教科書を見ると、ひとつは「西洋の歴史」で、もうひとつは「自然の法則」だった。本を開いて中を見てみた。自然科学の本にはたくさんの絵が入っていた。はかりの絵、ガラスの円筒、帆船、ヨーロッパの汽船の絵など。昼間話されたボールの絵はなかった。
ソン先生が時計をもっているかと尋ねた。
「いいえ」とぼく。
「お父さんは?」
「いいえ」
「そりゃこまった」 先生はちょっと考えこんでいた。「新しい時間の計り方はわかるかな?」
「12時間です」
「そうだ、だけど12時間が2回ある。昼前の12時間と、昼の後の12時間だ。明日は8時に学校へ来るんだ。今日は、8時に南の運動場の壁に朝日があたっていた。いずれにしても、朝ご飯がすんだら、学校へ来なさい」
ぼくはまだ自然科学の本の中を探していた。
「ボールがありません」 ぼくはそう言った。
「なんのボールのことかな?」
「4頭の馬に引っぱられていたやつです」
「それについては明日、先生に聞きなさい。わたしは歴史の教師だから。さあ、家に帰りなさい。ご両親が待っておられるだろう」
父さんの部屋には家じゅうの者たちが集められていて、母さんと姉さんもその中にいた。みんなは教科書やカバンや筆記用具を興味深く見ていた。ぼくは父さんの夕飯の残りを食べていた。
みんなが自分の部屋に引き上げた後、父さんとぼくはふとんに入った。父さんは何を学んできたか尋ねた。
「いろんなことだよ、父さん」
「ヨーロッパのことは何か聞いたか?」
「うん、だけど、なんだか変なことばかりなんだ」
「そうか、それはどんなものなんだ?」と父さんは待ちきれない風だった。
「うまく説明できないよ。ようく聞いていたんだけど、先生が言ったことをもう一度言うことはできないんだ。先生はボールが4頭の馬に引き裂かれるとどうなるか説明したんだ。夕方になったら、ガラスの円筒を見たよ。校庭の石とか、みんなの着ている服とか、屋根の瓦とか、どんなものでもその円筒を目にあてたとたん、いろんな色になって輝くんだ。どうしてそんな風になるのかわからない。父さんはわかる?」
「先生たちはそれはヨーロッパから来たものと言っていたか?」 長い沈黙の後、父さんは聞いた。
「うん、そう言っていたと思う」
「それを見せたのは何という先生なんだ?」
「オーケー、って呼ばれている人」
「で、その人は何と言っていた?」
「光の分解、のようなことだった」
「光を分解する? 光を分解する?」 父さんはぶつぶつと繰りかえした。
少しして、父さんは明かりをつけて、部屋の隅にある入れ物から2、3の本を持ってくるようぼくに言った。それは父さんが首府から取り寄せたものだった。ヨーロッパの知識が盛りこまれた本だった。父さんは本に目を通した後、またそれを戻すようぼくに言った。
「おまえは学校でもっとよく聞いてこなくちゃいけないぞ」 父さんは失望して言った。「さあ、明かりを消して、寝ることにしよう」
「今日は一日落ち着かない気分だった」 ぼくは言った。「学校でやるすべてが変なんだ。あそこを好きにはなれないかもしれない。だって、ぼくの知ってるものとすごく違うんだから」
父さんはすぐには答えなかった。
「つらいのか、学校が?」 父さんが少しして口を開いた。
「そうかもしれない。前の学校や家のことばかり考えていたから」
「父さんのふとんにおいで」 そう父さんは言うと、ぼくを引き寄せた。「蘇東坡の歌を覚えているか?」 それは1年前に父さんに読んであげた船乗りの詩人の歌だった。「ちょっと唱えてみてくれないか?」
ぼくはすらすらと暗唱した。
「永遠の悲しみの歌を歌ってくれないか?」
ぼくはそれも歌った。それは50行からなる長い詩で、歌い終えるのに時間がかかった。
「気はやすまったか?」 父さんが尋ねた。
ぼくはうなずいて、自分のふとんに戻った。
「明日また、学校に行ってみるか?」
「うん。それが父さんの望みなら」
●中庸
儒教の教典の中で重要とされる四書五経の9種の書物のひとつ。四書は「論語」「大学」「中庸」「孟子」からなる。五経はそれより高いものとされている。
●蘇東坡
宗王朝の主要な詩人の一人に、東坡(Dongpo)に住むことから蘇東坡(Su Dongpo)と呼ばれる蘇軾(Su Shi)という詩人、作家、書家、政治家がいたが、文中では「船乗りの詩人」とあるので別人かもしれない。
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