<<

23.  沿岸線(アフリカ〜中東〜南仏)



 ぼくらはジブチ*に上陸した。初めて聞く国の名前だった。このアフリカのさびれた場所には、石炭を積むために立ち寄るだけだ、とぼくらは告げられた。活気のないわびしい港だった。海岸には白い家がぽつんと立っていて、入り口のところにヤシの木が2本あった。ほんの何人かしか岸に降りようとはしなかった。強烈な日射しは危険だった。ぼくらも降りるかどうか、しばらく考えていたが、結局小さなボートに乗り込むと、からからに乾いたやせた岸辺にやって来た。燃えたつような熱射の中で、あらゆるものが荒んで見えた。石だらけのダム、砂の丘、コーヒーショップの中でさえ、わずかばかりの客が黒人の小さな子どもたちのうちわで暑さをまぎらわせていた。
 ぼくらは初めて足を踏み入れる暗黒大陸*をできるだけよく見ておこうと、内陸の方へと入っていった。
 人影のない小さな家の前で、ぼくらは立ちどまった。インド人学校と書いてあった。年老いたインド人がすわっていて、20人くらいの子どもたちがドアの方に向かって壁際に並んでしゃがんでいた。子どもたちの前には小さなテーブルが置かれ、その上に手書きの教科書があった。
 ぼくらは原住民の村へと出かけた。そこはごく狭い通りをはさんで、家が両側に並んでいるだけの集落だった。集落の端は、どちらも燃えたつ砂漠だった。肌の黒い男たち、女たちが家の中や外にすわっていて、美しい目でぼくらのことをじっと見つめた。ぼくらは急ぎ足で通りを端まで行き、すぐにまた戻ってきた。砂漠のまっただ中で、こんな寂しい村で暮らしているとは。流れる川ひとつなく、実のなる木いっぽんなく、風になびくとうもろこし畑もない。わずかばかりのひさしの家並がたった2列。ここに住む人たちは、静かな月夜の晩は何をして過ごしているのだろう。ぼくらは船に戻っていった。
 船は紅海に入った。ある朝早く、ポングンがぼくを起こしにやってきて、甲板に連れ出した。「シナイだよ」そう言って、遠くの山を指した。
 その夜、船はスエズ運河を通過した。ぼくらの巨大な船が狭い運河を通るのは容易ではなかった。両岸には、月明かりに照らされた空虚な風景が広がっていた。船は輝く無数の窓明かりを放ちながら、ゆっくりと、人が走るより遅いくらいのスピードで、大きな影におおわれた空洞のような砂漠の間をすべるように進んでいった。
 灼熱の暑さは去っていった。ゆるんだ空気が引き締まり、波がだんだん高まり、甲板に強い風が吹きつけた。春がまた戻ってきたのだ。真青な地中海の空の下を、波に乗って船は進んでいった。
 北の方に、大小の島々があらわれた。ポングンが「ギリシアの島だよ」とささやくのを聞いて、ぼくはいたく興奮した。「これがギリシアかぁ」 ぼくは叫んだ。今、ぼくはソクラテスやプラトンの生まれ故郷ギリシアを、こんな間近に見ているんだ。霧がかかっていて、山も谷もくっきりとは見えなかった。とうとうぼくらは、ヨーロッパ沿岸に入った。ヨーロッパがついに目の前にあるんだ! 皆が笑顔になった。
 午後になって波が高まってきた。太陽は厚い雲の影にかくれ、あたりは暗くなった。船員たちが、嵐が近づいているから下の船室に行くよう注意した。大きな雨粒が落ちてきて、船の下の海が煮えたぎっていた。甲板はきれいに洗われていき、ハリケーンがうなり声をあげてやってきた。大きな船が海の上でクルミの殻が跳ねるように上下した。船は大波の中に投げ出されたかと思うと浮き上がり、また波の下に沈んだ。一晩中、船が嵐と戦っている間、船室には皆のうめき声が響きわたっていた。こんな嵐は生まれて初めてで、ぼくは船酔いにかかってしまった。
 悪夢の終わった後のように、穏やかで光あふれる朝がやってきた。船は鏡のような水面をすべるように走った。春の日射しの中に、エトナ山*の煙が上がっているのが見えた。
 船は陸地に近づいた。メッシーナ海峡*を通過。山々が近づいては行き過ぎた。丘の上には家々が見えた。日当たりのいい畑では、農夫たちが働いていた。汽車が海岸線を行き、トンネルに入った。船は数時間海岸線を走った後、母港めざして、再び沖に向かった。
 ぼくらがマルセイユ港に入ったのは、正午過ぎだった。2000人もの乗客が上陸するには、1時間もの時間を要した。スーツケースをしっかり手に、極東からやってきた学生たちは、こうしてヨーロッパの地を踏んだのだ。ぼくらは迎えに来てくれるはずの人を待った。フランス在留の中国人学生主任がやって来たが、ぼくらを連れて行くべき場所を正確には知らないようだった。あちこち聞いてまわった後に、ぼくらはいくつもの通りを渡って、学校らしい建物のある中庭に入っていった。ここで主任はぼくらに、歓迎の長いスピーチをし、滞在国の習慣を尊重すること、5000年の歴史を持つ文明国の子孫たちに対して、適切なふるまいを心してするよう言い渡した。かの孔子でさえ、郷に入らずんば郷に従えと言ったものだ、と。
 これからの生活に役に立ちそうなスピーチが終わって、ひとりずつ面談をした。ぼくらはパスポートや学生証をここで作り、所持金がどれくらいあるかを見せた。それから居住許可証や、フランスの各大学からの通知やその他の重要書類をもらった。一つまた一つとグループごとに校庭を去っていった。ぼくとポングンの番がきたのは夕暮れになってからだった。短い立ち話をしてから、ぼくらのグループは解散した。ポングンはドイツを案内するというぼくとの約束を忘れていなかった。なんと感謝したらいいんだ。ぼくとポングンはフランスに残る朝鮮の仲間たちにさよならを言った。二人ほどイギリスへの旅を続ける者がいた。ポングンとぼくは小さな宿をとると、これからの旅について話し合った。ポングンはぼくがまずはパリに行きたいかを聞いてきた。ドイツで勉強を始めるのに、それほど時間の余裕があるわけではなかった。今夜にでもドイツに向けて発ちたいくらいだと、ぼくは答えた。そのくせヨーロッパ最初の夜を迎えると、ぼくは憂鬱にとらわれた。ポングンとこの旅をいつまでも続けられたなら、と強く願った。ポングンは地図をしばらく眺めていたが、リヨン、ディジョンを通ってシュトラースブルク*に行くルートを選んだ。
 ぼくらは鉄道駅に行き、列車に乗りこんだ。乗ってすぐに汽車は走り出した。ぼくは年配の女性の隣の、端の席に座った。ポングンはフランス人の男性二人に挟まれて座り、腕組みをしてまもなく眠ってしまった。


*ジブチ:アフリカ東岸にある旧フランス海外領で1977年に独立。前章と同じ黒田清輝日記から。「午後二時少し過ニヂブーチニ着いた 余り暑いのと町がいかにニも下らないと云ふので日本人は一同上陸を見合せた ヂブーチは彿国領で石炭置場の様な處だ 木も草も無い焼け地の實にいやな處だ(1900年6月23日)」 黒田清輝はこの後、スエズを通って地中海に出てマルセイユまで行くという、ほぼミロクと同じ航路をたどっている。
*エトナ山:イタリア南部、シチリア島東部にある活火山。
*メッシーナ海峡:シチリア東岸とイタリア西岸の間にある海峡。ここを通過後、船はイタリアの西沿岸を北上したと思われる。
*暗黒大陸:19世紀を中心に、ヨーロッパ人にまだよく知られていなかったアフリカ大陸をthe Dark Continentと呼んでいた。
*シュトラースブルク: Straßburg(独)、ストラスブール(Strasbourg/仏)。現在のフランスの北東部アルザス地域の首府であるが、歴史的にドイツとフランスが領有権を争ってきた都市。1944年以降は政治的にはフランスに属している、とWikipedia日本語版にはある。ライン川左岸にある街なので、おそらくここからライン川を渡ってドイツに入ったのではないかと思われる。