<<

20. ヤールー川はながれる


(Shift-Jis --> utf-8)

 ぼくは中国国境近くを流れるヤールーの大河に近づいていた。ここへきて前に進むのも厳しくなってきた。イグサの茂みはどんどん頭上高くなり、行く手に田んぼや牧草地を見渡すこともめったになくなった。武装兵たちが巡回で歩きまわっていた。朝早くから夜半まで遠くで銃弾の轟きが止むことなく、なかでも夕暮れ時は逃亡者たちの動きが活発なのか、その数は増した。ぼくはと言えば、村から村へ、ときに家から家への移動でさえも、勇気あるお百姓や漁師に導かれて前進し、やっと目的地の廃屋にたどりついた。ここでぼくは身を潜め、川を渡ってくれる船頭を待つことになる。
 次の夜、学生もう二人が小屋に合流した。ぼく同様、川を越えることをとても心配していた。二人はぼくよりもさらに若く見えた。青白い神経質そうな方は17才にもなっていないように見え、逃亡の危険を犯したことを後悔しているようだった。しょんぼりと床にすわり、じっと壁を見ていた。
 3日目の夜になって、年老いた漁師があらわれ、ぼくらについてくるよう言った。明るい月夜だった。人目につくのを恐れ、3人は小屋を発つことをためらっていたが、月夜の晩は国境地帯の警備がゆるくなると漁師は言ってぼくらを説得した。漁師の言うことを3人は信じ、それでぼくらはアシやイグサがジャングルのように生い茂っている道なき道を進んでいった。休むことなく進んでいって、1時間少したった頃、雑木林に着いた。案内役の漁師が口笛を鳴らすと、すぐに草むらから返事があった。2人の漁師があらわれ、ぼくらを川岸に連れていった。恐ろしい光景だった。そこはヤールーの河口のすぐ際で、川幅はとてつもなく広く、川というよりは遥かかなたまでつづく海の一部のようだった。
 ぼくらがじっと待っている間、3人の漁師は小声でひそひそ話していたが、やがて停泊している3つの丸木舟を曳いてきた。1つの船に漁師1人、ぼくらの1人が乗りこみ、少しずつ間をおいて岸辺を離れた。舟は音もなくすべるように川を進んでいき、それは永遠とも思えた。中流域のあたりで、上流の方から銃声が聞こえた。ぼくの舟の漁師は気にしていない風だったが、口をきかないようぼくに合図した。少しして、あれは鉄橋から威嚇射撃しただけだとささやいた。広大な輝く川面に点のように浮かぶぼくらを、誰も見つけることはないのだ。
 夜中もずいぶん過ぎてやっと、向こう岸にたどり着いた。3人の漁師は、ここから歩いて3時間の国境の町までの行き方を教え、短い別れの言葉を告げた。少しの間、ぼくらは3艘の舟が故郷に向かってもどっていくところを眺めていた。それから黙って、でこぼこの小道を、中国の土の上を、生まれて初めて踏みしめ歩いていった。
 町に入ったとき、夜はもう明けていた。あちこちさんざん探しまわったあげく、やっと教えられた朝鮮人宿を見つけ、すぐに眠りについた。
 その日の午後、ぼくら3人は別れた。いちばん年下の仲間は山東(シャントン)に向かった。もうひとりは奉天(ムクデン)に向かった。
 ぼくは町を少し歩いた。狭い道には人が溢れ、あらゆるものがざわめき駆け巡り、朝鮮の町よりずっと活気があった。嗅ぎ慣れないじゃ香の匂いがどこに行っても流れ、看板は金ぴかの文字だらけなのに通りは黒ずんでいて、建物は白壁ではなく、人々はみな青い服を着ていた。
 町を少し離れ、川をもう一度最後に見ようと丘に登った。ここでは川は砂じゃリの上をながれ、山にはさまれて夕陽の中で青く穏やかだった。ぼくらが越えたところから上流にくると、ヤールーの川幅はずっと狭くなり、やっと800メートルあるかないかだった。川の向こう岸にいる人々の顔がわかるくらいだった。網を干している人々の姿が見えた。女たち娘たちが家の前にすわって、夕飯の豆のさやを取っていたし、子どもたちは追いかけっこをして遊んでいた。
 ぼくは故郷と満州を隔てる、とうとうと流れる川を見つめていた。こっち側はすべてが大きくて、くすんでいて、重々しかった。向こう側はみな小さくて、陽気だった。明るいわらぶき屋根の家が丘の斜面にちらばっていた。煙突からはもう夕げの煮炊きの煙が上がっている。はるか地平線を見れば、澄みわたる秋空の下、故郷の山々が幾重にも重なっていた。山の連なりは夕陽に輝いていた。そして青いもやの中にすべてが包まれてしまう前に、これが最後と一輝きを放つ。ぼくははるか南、かつて見たスヤン山の峡谷と小川を、子どもの頃、毎夕耳にした二重の塔から聞こえてくる夕べの音楽を心に描いた。それは故郷からぼくの元に運ばれてくる天上の響きのようだった。
 ヤールー川はながれる。とうとうと。夕闇がせまる。ぼくは丘を降りはじめ、鉄道駅へと向かった。


(Shift-Jis --> utf-8)
19章から、文字コードを多言語(utf-8)に変更します。Shift-Jisのままだと、ウィキペディアなどのリンクが正常に表示されないための変更です。