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16. 入学試験


  ぼくが学校にもどると、同級生たちはとても喜んでくれた。どうやったら休んでいた間の遅れをとりもどせるか、いっときも早く大学に入れるようになるか、みんなで長い話し合いをもった。もしぼくが地元の学校に入学して、その後ソウルの中等学校で大学入試の準備をしようとするなら、あと3、4年の月日がかかる。みんなはぼくにこの期間を縮めるために、家で勉強をすることを勧めた。通信教育の助けを借りて、試験の準備をすぐにでも始めるのがいいと。この考えにぼくは乗った。よく知られた通信教育の学校にすべての学科を申し込み、勉強を始めた。
 最初は調子よく進んだ。教科はさして難しくなく、すべての学科でそれなりの成果が得られた。2、3ヶ月たつと、英語に少し問題が出てきた。何度も繰りかえして読んでも、日本語で書かれた込みいった訳文や文法についての説明を理解できなかった。ぼくには英語についての予備知識がほとんどなく、また同級生たちも同様だったのでぼくを手助けすることができなかった。地元の学校では英語の授業はなく、先生たちも他の高等教育科目同様、知識がなかった。英語の国からやってきた先生たちは数も少なく、ソウルのいい学校に取られてしまっていた。ヨーロッパ文明に近づきたいと思ったときに、学ぶべき最も重要な言葉は英語ではないのでは、という疑いもありやる気をなくしていた。
 ヤンマは化学と物理を、キソプは数学を、カクソンともうひとりの級友はヨーロッパ史を、とくに外国の地名や人名を覚えるのに苦労していたので、手伝ってくれた。級友たちは毎晩やってきて、ぼくが疲れるまで勉強につきあってくれた。みんなはすでに地元の学校を終えていたけれど、ソウルに行って勉強を続けることができない事情がそれぞれにあった。それが仲間の誰かひとりでも大学に行くのを目にしたいという、強い意志となっていた。毎晩ぼくの部屋は次々授業が行われる教室となった。学校と違うのは1人の生徒に3人も4人も先生がついていることだった。
 マンスは勉強を手伝わないただひとりの友だちだった。マンスはまったく変わっていなかった。17才になったというのに、勉強をするでもなく、仕事につくでもなく、友だちの家を訪ね歩いて過ごしていた。最終的には、朝鮮音楽の楽士になったのだけれど。
 マンスも毎晩家にやってきた。でもそれはみんなが帰って、ぼくがひとり本に向かっているときだった。しばらくの間、ぼくが勉強しているのをだまって見ていて、それから音楽をいっしょにやろうと自分の家へと誘うのだった。マンスはカヤグムという朝鮮の楽士がよく使う弦楽器をもっていた。ぼくがまだ勉強が済んでいないとか、疲れているからもう寝たいとか言っても、そんなに勉強ばかりしたら体に悪いと言ってきかなかった。ぼくを言い負かせる持論をいつも用意していて、本の読み過ぎは人間の精神を痛めるとか、ひとり息子は脳に重荷をかけないよう注意するべきだとか言うのだった。あらゆる説得に失敗すると、きみはぼくのたった一人の友だちなんだからいっしょに行こう、と懇願するのだった。
 ぼくはときどきマンスの部屋について行った。そこは石敷きの狭い中庭から離れたところにあり、部屋専用の出入り口があった。だから夜でも好きなときに出たり入ったりができた。部屋には教科書も、机も、目覚まし時計もなく、学生の持ち物類はいっさいなかった。実際その小さな部屋はからっぽと言っていいような状態だった。部屋の一方の隅には寝具がまるめてあり、もう一方の隅にはにかわのつぼを乗せた火鉢があった。壁際のたんすの中に持ち物全部が収められ、そこからマンスは酒びんと果物の入った銅の籠を出してきた。
 「さあ飲もうよ。きみのために今日、買っておいたんだ」 マンスはそう言った。
 それからガクナムに手をのばし、ぼくのひざにの上にそれを乗せ、分厚い、伝統音楽がすべて網羅されているという古い楽譜の束を広げた。ぼくにはマンスがどうやってこの伝統楽器を習得したのか、こういう音楽と出会ったのか、見当もつかなかった。マンスは楽譜のある部分を指すと、そこを歌ってみせた。ぼくはゆっくりそっと弦をはじいて、指がなんとか間違わずにひと節を奏でることができるまで弾きつづけた。しんぼう強くマンスは歌ってみせては指づかいや音を正した。ぼくの演奏にほぼ満足すると、笛を出してきて合奏しようとした。ぼくらは夜が深けるまでいっしょに演奏した。
 「なあ、ミロク」 マンスはこんな風に聞いてきたことがある。「どうしてもソウルに行って勉強しないといけないのか?」
 「うん。試験に受かったらそうするつもりだ」
 「もしきみがここに残って、こんな風にいっしょにいつも音楽をやれたら、すごくいいと思わないか? 勉強したりしなくてすむし、何ひとつ困ることはないだろ。人間としてあるがままに、楽しく生きていける。いつでもそうしたいときに、友だちに会いにきてもらえるし、好きなだけみんなと天と地について、世界について、人間の心について語り合うことができるんだぞ。山の中に小屋をたてて、小川のせせらぎに耳を澄ましたり、雲がいきすぎるのを見ていることだってできるんだ。母さんも喜ぶだろうし、きみも静かに暮らせるし、ぼくもきみとずっといっしょにいられる」
 「だめだ、勉強があるから」
 「きみは変わってるなあ、ほんとに」 そう言ってマンスはため息をついた。
 
 その年はあっという間に日々が過ぎてゆき、冬がまたやってきた。とても寒い、でもあまり雪のない冬だった。ぼくの目の前に大きな可能性が開けたのはその頃だった。大学の医学部が次期試験の要項を発表したが、そこには5課目の学科しか含まれていなかったのだ。数学、化学、物理、そして日本語と中国語。ぼくがもっとも苦手とする英語と歴史はなかった。医学部の受験はぼくにとって大きな吸引力となった。周囲のみんなもぼくが他の何よりも医学に合っていると思っていた。いっぽう、医学部受験は優秀な生徒がたくさん集まってくるので難しいことでも知れられていた。志願者は中等学校のもっとも優秀な生徒の中から選ばれた者たちで、さらに試験に受かるのはその中の10人に1人だった。
 数日間よくよく考え、級友たちからの励ましもあって、とうとう受験申込書を提出した。1週間のうちに受験資格を認める通知が届き、同じ町の他の受験生たちと共に、指定の日に市立病院で試験をすることになった。筆と墨、鉛筆、小刀を用意するよう指示があった。
 試験の第1日目、まだ薄暗く寒さ厳しい中を病院に向かって歩いていった。看護婦さんに連れられて小さな部屋に入ると、3人の受験生が部屋の隅で待機していた。知らない顔ばかりだった。ぼくを見てにっこり笑ったけれど、みんな顔が蒼白だった。やがて試験官が来て、ぼくらの名前を呼び、申請書の写真を見ながらひとりずつ確認した。始まったら静かに問題を解くこと、まずよく考えて、それから答えを書くこと、と注意を与えた。それからぼくらは、明日から5日間行われる試験の要項をひとりずつ手渡された。
 第1日目は健康診断だけだった。病院の中の大きな部屋に連れていかれ、そこで2人の医師が身長や体重を計り、検眼と視力検査をし、背骨、肺、心臓、お腹、腎臓、と必要箇所を調べていった。他の3人の受験生が検診を終わったのちに、どうしてかぼくだけ、心臓の検診を重ねてされた。2人の医者が長いこと協議したのちに、やっとぼくも検診を通過することができた。
 筆記試験のために、毎日早朝に試験会場に着かなければならなかった。そこは小さな講義室で、数時間の筆記試験を受けた。1日目は数学を、次の日は語学を、その次の日は物理と化学の試験だった。数学はとても易しかったし、物理と化学もとくに問題はなかった。でも日本語古文と中国語古典を現代日本語に翻訳するのは非常に難しく、この試験に通る者はほとんどいないのではないかと思われた。試験官はストーブを背にこちらを向いて静かにすわっていた。ぼくたちが互いにやりとりしないよう監視しているのだろう。でもぼくらの誰ひとり、そんなことをすることはなく、静かに試験問題を解いていた。ただいちど、3日目の試験中に、小さな紙の玉がぼくの机の上を静かに転がっていったことがあった。そっと開いてみると、黄リン、赤リンの融点が書かれていた。
 試験最終日の口答試験で、試験官はなぜ医学を専攻したいのか聞いてきた。ぼくは生と死の起源を知りたいから、と答えた。試験官はぼくに笑みを見せると、しばらく鉛筆をもてあそんでいた。
 「高い目標があるんだね」と、賛同の意をあらわした。「でも、いまわれわれが必要としているのは数多くの普通の開業医だ、とくに衛生状態が整っていないきみの国ではね」
 話の途中で試験官が少しの間、席をはなれた。ぼくは受験者について書かれた記述を見る機会にめぐまれた。名前の下に欄があり、そこに評価が書かれていた。ぼくの名前の下にはこう書いてあった。言葉:率直、明解。性格:正直、優しい、礼儀正しい。勉強の目的のところは空欄だった。
 すぐに試験官はもどってきて、しばしの沈黙ののちこう言った。「きみの試験結果はとてもよかった。名前がリストに乗ってくるだろうが、リストに名前があっても、5人のうち1人しかうちの学校には入れない。もし結果が悪かったとしても、がっかりしないように。最後の審査は宝くじのようなものだからね」
 ぼくが去るとき、試験官はもう一度ぼくに笑いかけてこう言った。「きみが『わたしたちの国』というときは、朝鮮だけでなく日本帝国全体のことを考えるんだぞ。『わたしたち国民』というときも、朝鮮人民のことだけでなく、日本帝国のすべての人々のことを忘れんようにな」
 ぼくは答えなかった。
 それから3週間後、ソウルの医学部の学生として受け入れられたので、4月初旬にソウルに来るようにという連絡が届いた。その夜、ぼくが家に帰ると、家族全員と友だちみんながぼくの部屋に集まって賑やかにおしゃべりに興じていた。ぼくが部屋に入るとみんなはおしゃべりをやめ、ヤンマが学校からの手紙をぼくに手渡した。そこにいた全員がぼくのことを祝ってくれた。母さんでさえ、何も言わなかったけれど、喜んでいるように見えた。ぼくの手を何度も何度も握った。それ以上話すことは何もなかった。
 級友たちは、毎晩毎晩ぼくの勉強を手伝った成果がついに果たされたと感じていた。やがてぼくは大きな世界へと旅立っていく。いっぽうで級友たちはこの小さな田舎町に残されるのだ。家の使用人たちはぼくがもう永遠に帰ってこないと思ったようだ。クオリは自分では読めない学校からの手紙を不安げに眺めていた。
 ある穏やかな春の夕方、ぼくは友だちと連れだってヨンダンポのほうへと下って行った。そこにはいかりを降ろした汽船が停泊していて、ぼくはそれに乗ってソウルに行くのだった。マンス、ヤンマ、キソプが楽し気に話しながら先を行き、ぼくは母さんとその後を歩いていた。母さんは町を出る途中までいっしょに来て、旅のことや都会での生活のことをぼくに言いふくめた。
 「昔のことばかり考えたりしないようにね」 最後に母さんは言った。「時代は変わったのよ。あなたがいつも言っていたことだけど。向こうの新しい文明では、わたしたちよりずっと先をいっている人たちがいる。都会の人たちというのは思い遣りの心をそれほど見せないものよ。でもあなたはいつも優しさを忘れずに、そういうことにもめげずにやっていかなくてはね。何かをその人たちから学びたいと思うならば」
 友だちはぼくといっしょに月あかりに照らされた岸壁までやってきた。白い汽船が夢のようなたたずまいで岩山を背に停泊していた。ぼくはみんなに別れを告げて、小さなボートに乗り込み、白い船のところまで渡っていった。みんなは桟橋のところに立って、船が悲し気な警笛を鳴らしながら向きを変え、小さな湾を出ていくまで、見守っていた。3人が、ぼく抜きで、丘のほうに向かって帰って行くのを見て、悲しかった。何の話をしているのだろう? ヤンマが話しているのだろうか? それともマンス? ぼくの旅の話をしているの、それとも音楽の話? ナムクンヌン(南山)とスンニョサン(妖精山)の間を抜け、ぼくらの町をとり囲む草地を3人そろって歩いていくだろう。
 ぼくは船に乗っていた上級生たちから心からの歓迎を受けた。口々に試験に受かったことに祝いの言葉を述べ、ソウルでの手助けを約束してくれた。
 ヨンダンポは視界から消えた。スヤン山の峰も沈んでいった。スアブ諸島は、手でさわれるくらい近くを通過していった。そしてぼくらは外洋に出た。四方八方、水平線に囲まれ、月あかりが打ち寄せる波間を静かに照らしつづけていた。