サラエボのヨシュア・アビヌンさんの体験談


ヨシュア・アビヌン サラエボより

 1945年の終戦の10日前にヤセノヴァッツ絶滅収容所では、ナチが1200人の囚人達全てを殺す場所を作っていました。そこへ最後のチャンスをうかがっていた囚人達は団結し、ナチの警備員たちのすきを見計らって彼らに向かって必死で突撃しました。その不意打ちにあわてたナチの警備員たちは囚人たちの一人も逃すまいと機関銃で逃げ惑う彼らをねらって撃ち始めたのです。しかしそれでも囚人達はひるまずに弾丸の飛ぶ中を走れる限り走り、収容所を囲ってあったフェンスを越え、そのまわりに作られていたぬかるんだ沼地を渡り脱出したのです。しかし1200人いた囚人の中で最終的に弾丸を逃れて逃げ切ったのはたったの80人だけでした。

 ヨシュア・アビヌンは19歳のときに、生まれ育ったサラエボからヤセノヴァッツ絶滅収容所に移送され、それから23歳までの4年間、彼はそこに収容されていました。当時の彼は栄養も十分に取れず、体重は50kgあたりで、背丈もとても小柄でした。そのいかにもひ弱そうなヨシュアが次々と囚人達が殺されていく絶滅収容所で4年間も生き延びたのはなぜでしょうか。

 ヨシュアはナチによって収容所に移送される前はサラエボで床屋をしていたので、収容所でも床屋として仕事を与えられ生き延びる事ができたのでした。

その収容所では、他の収容所でもよく見られた光景ですが、囚人を殺すのが面白おかしいゲームのような親衛隊員がいました。彼は気が向いたときに囚人達を一列に並ばせて名前を順番に呼んでいきます。そして返事をした者を銃で何のためらいもなく軽々と撃ち抜いていきます。この親衛隊員にとってはこんな事は何でもなかったのです。ある日ヨシュアはこの列に並ばされました。何人かの名前が呼ばれ銃声が響いた後、ついに彼の名前が呼ばれたのをヨシュアははっきりと聞きました。しかし、彼は恐ろしさのあまりに返事ができず、あせりました。そしてさらに彼には少しドモリの癖があったのです。返事をしようとしてもドモッてしまってまったく声になりません。そこへその親衛隊員がヨシュアの前を通り過ぎます。そしてヨシュアの隣に並んでいた囚人が彼にささやき、言いました。「君の名前だよ」。親衛隊員はこの小さな声を聞き逃がしはしなかったのです。親衛隊員はふりかえり、銃声が空に響きました。しかし親衛隊が撃ったのはヨシュアではなく、「君の名前だよ」とささやいた彼の隣の囚人でした。そのたった一言がヨシュアとその囚人の生死を分けました。親衛隊員にとってヨシュアの名前とその本人であることが一致するかどうかなどどうでもよかったのです。こうしてその時ヨシュアは隣の囚人が身代りに撃たれ、彼自身の死は免れました。そして終戦の10日前の脱出劇が起こり、やせ細り小柄で子供のように背丈の低かったヨシュアは弾丸の中を走り抜ける事に成功しました。

 戦争が終わり何年か経ってからヨシュアは裁判所へ呼ばれました。あの親衛隊員は終戦後、戦争犯罪人として逮捕されたのち、裁判にかけられ、彼の行っていた殺人ゲームの立証をする為にヨシュアは裁判所に呼ばれ、あの当時彼の見たとおりのことを話しました。

 彼はすべてを戦争で失ってしまい、終戦後も帰るべき、そして待つべき家族のいなくなったサラエボには戻らず、現在81歳になった彼は真っ青なアドリア海に面した美しい街に一人で住んでいます。去年彼に会って直接この話を聞いた時、彼は穏やかな老人というよりも、優しいブルーの瞳をした、はにかんだ笑顔の恥ずかしがり屋の小さな少年のように見えました。

テキスト:大桑千花

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