カブールで車に虹マークを付けることがはやったときのあの困惑、それはアフガニスタンがいかに自由な西洋から遥か彼方にあるか、ということを認識させられた出来事でした。



あなたがゲイでそれを誇りにしているなら、アフガニスタンはそれを人前で堂々と示す場所として、地球最後の場所かもしれません。そうであれば、最近、カブールや大きな町で、通りという通りをおおう「虹色のゲイを誇示する印」が溢れたのをどのように理解したらいいのでしょう。

通信社の草分け的存在であるアフガン・パジュワクが、この奇妙な社会文化現象を調べ始め、車にゲイを誇るステッカーやバナーを貼っているドライバーたちに話を聞こうと、記者を送り出しました。この中国製カーアクセサリーは突然人気を集めたと思ったら、カー用品屋ならどこでも見られるものにまでなったのです。

さらにおかしなことに、アフガニスタンのドライバーは自分の車に、自分がゲイでありそれを誇りにしているとおおっっぴらに公表していることを、ほとんど気にとめていないように見えることでした。ゲイの男たちが本当のパートナーと外面を保つために結婚した妻の両方と暮らす、というようなことをする保守的な国では、このような開放的な態度はきわめて異常なことに思えます。

言うまでもなく、パジュワクの記者はすぐに、車に虹マークを貼っているアフガニスタン人は、それが何を主張しているのかまったく知らないということに気づきました。ドライバーたちにとって、マークはただの新しいカーファッションに過ぎなかったのです。ということで西洋での意味を知った後は、誰もがすぐにステッカーをはがし始めました。

この虹マークのステッカーは最初、カナダから輸入された中古車に貼られてやって来ました。アフガニスタン人はこのカラフルな色合いが、西洋の最新流行のファッションだと思い込んだのです。それで取り入れました。

もし通信社がこの件に興味をもたなかったなら、ゲイを誇るマークはアフガニスタンじゅうに広がり続けたことでしょう。発生した元の環境から切り取られて、偶然のようにある国にやってきたものは、それがもつ必然性から離れて意味のない存在になります。世界中ではやったから、アフガニスタンの男たちも車好きになったように。

しかしアフガニスタンはもはや孤立した国ではないので、輸入されたマークは、中流階級の海外旅行者に始まり、海外居住者や海外からの帰国者たちの目にもとまり、解読される運命にありました。ひとたびマークの意味が知れ渡ると、大量のステッカーがはがされました。あるコメンテーターは、国外からやって来るファッションに盲目的に従ってしまうアフガニスタン人への警鐘として、この恥ずかしい出来事が教訓になってくれれば、という希望さえ述べていました。

ゲイを誇るカーアクセサリーがアフガニスタンのカーショップで、みんなが欲しがるグッズになってしまうというような無秩序ぶりは、このマークに限った話ではありません。公的空間で同性愛について論議されている話し方から判断して、この言葉自身が間違って理解されていることがわかります。

ゲイはここでは、ヨーロッパや北米で「小児性愛」と呼ばれているものと同義語なのです。それゆえに、アフガニスタンのライターがあえて性に関係する問題に取り組むという珍しいケースでは、土地の言葉「ハムジンス・バアジ(同性愛)」と「バチャ・バアジ(小児性愛)」が、同じことを表しているかのように、区別なく使われています。

西洋の民主主義社会では、この言葉は厳密に大人同士の同意した関係について言っている、という事実にここでは気づいていないように見えます。

アフガニスタンが甚だしく保守的な社会であることを考えれば、同性愛をあけっぴろげに議論する記事が存在すること自体驚くべきことです。そのような記事の内容は、ときにびっくりするようなものです。そういうわけで、アフガニスタン人の尺度から見れば、あからさまで分別がないと思われる記事では、一人のライターが、この国の社会状況が異様な行動を引き起こす原因となっていると立証したりしています。男女の分離の厳しさを非難して、その書き手は欲望は人間の自然な本能であるから、抑圧しても違うやり方でまた浮上するものだ、と指摘しているのです。「たとえば、修道僧や現世の喜びを放棄している人々は、太って大きなお腹を抱えていることがよくあります。彼らの欲望は食べものへのどん欲さとして再浮上しているのです」

このような少し奇妙な議論の流れに従っていくと、読者はとっぴな解釈に直面させられます。「もし必要であれば、年少の者との関係は、男の子ではなく女の子との間でなされるべきものです。なぜなら、体はまだ大人になっていなくても、女性の生体構造は生まれながらに男の相手をするようになっているからです」というような。

このような論争の中でよく登場するテーマとして、ヨーロッパの国々のヒジャブ(イスラム女性のかぶりもの)の扱いと同性愛への態度があります。アフガニスタンの書き手たちは、フランスがヒジャブを禁止していることがよく理解できないのです。彼らの見解では、ヒジャブは宗教的義務であるのに禁止され、同性愛の権利は守られている、同性愛はあらゆる宗教から禁止されているものなのに、というわけです。

概してこの手の記事は、疑問符と感嘆詞が盛大に使ってあります。大げさな書法は、アフガニスタン人の昔からの社会と自由主義市場を分けている深遠なる境界で、次々に反響を起こします。その自由主義市場からもたらされた中古車が大陸横断の旅に出ていき、ときに危険なほどステッカーを貼りめぐらせていますが、そこにある意味はまったく理解されていなかったのです。


訳:だいこくかずえ


2011年5月、ガーディアン初出。