今日は満月、わたしはロディ・ガーデンでオクタビオ・パスの足跡をたどって歩いています。ラアト・ケ・ラアニ(夜の女王)の花の香りとデリーの漆黒の空から降り注ぐ二つの美しい星がよく調和した夜でした。星のひとつはオクタビオ・パス、もうひとつはパブロ・ネルーダです。

あれは一年前のこと、わたしの妻がデリーの自宅でわたしを屋根の上に連れ出し、詩のワインを饗してくれたのは。妻はオクタビオ・パスとパブロ・ネルーダを朗読しました。わたしは酩酊し、ワインのもつ力がわたしの心を高く高く引き上げ、とうとう二つの輝く星、オクタビオ・パスとパブロ・ネルーダのところに行き着きました。

わたしは大いなる期待を胸に、詩人や作家の夢の地、インドへ来ていました。インドはわたしにとっていつも、心の母国でした。飛行機が着陸したその瞬間から、わたしは我が家にいる自分を感じました。こうしてロディ・ガーデンを歩きながら、鳥の歌声、ラアト・ケ・ラアニの芳香や夜の静けさとともに、命の祝祭のただ中にいるわたしの元へ、星や月を招き入れていました。


暗く、哀しみに沈む、深い闇
霊廟のドーム
突然、紺碧のなかへ
撃たれた鳥が(179頁)


オクタビオ、ひとりの詩人がひとりの詩人に向かうときのやり方をお話しさせてください。わたしたちは同じ肌の色、同じワインを飲み、同じ家に住む者同士。友だちや家族と遠く離れて寂しい気持ちの数えきれない夜、あなたはそこにいて、わたしの誘いを待ちながら、書棚のいちばん上からわたしを見おろしていました。

オクタビオ、あなたはわたしの国に、アフガニスタンに来たことがありますね。そして謎に包まれた神秘の国についての詩をいくつか書きました。あなたはハーフィズ、リサヌル・ガイブ、マウラナ・ジャルルディン・バヒを読みましたが、わたしは今、まさにその場所にいて、偉大な詩人たちの辿った道をロディ・ガーデンで追っているのです。ここはインドへの感謝を表す記念物として、アフガニスタンの王によって造られた庭です。インドを母なる国と思っていたに違いない、教養ある王からの贈り物でした。

ロディ・ロードはアーティストや作家にとってわが家と言える場所。ここで過ごす夜、ラジャン夫人と出会うことがあります。夫人は年配の才能あふれる詩人で、ロディ・ガーデンからそう遠くないところに住んでいます。わたしの友であるメキシコ大使が、文化的体験の夜にわたしを招いてくれるのです。彼の家はかつてあなたの住んでいた家ですね。インドに住むこのメキシコ大使の家は、作家や詩人、音楽家たちがいつも立ち寄る場所になっています。彼自身、素晴らしい味わいをもった詩を書く洗練された詩人なのです。彼の詩の夕べは、オクタビオ、あなたに捧げられています。こんな風な回想の紹介とともに。「皆さん、わたしたちは大きな木の下に座っていますが、この木はオクタビオ・パスにちなんで名づけられました。オクタビオの詩とわたしの詩を、この優れて詩的な木の下で詠みたいと思います」 その木はとても大きな木で、豊かに広がる枝々と緑の葉でたくさんの詩人や作家に安息の場を与えてきました。大使は詩を詠み、わたしは葉のすきまから月を眺め、輝く星に目を向けています。


真夜中の静寂
何世紀も昔から流れ着いたのではなく
撒き散らかし、打ちつけられた
固定観念のようでもなく
白熱の真っただ中へ
デリー
  二つののっぽの音節


わたしはロディ・ガーデンの緑の草の上に寝そべって、友人のハリル・グダズが演奏するやわからかで優しいシタールの音色に耳を傾けています。ハリルはインドのサローン奏者、ウスタッド・アムジャド・アリ・ハンの弟子です。わたしの目は絹のような雲のかたまりをさまよい、そのひとつを偉大なるインドに、母なる国、アショーカ王のインドに見立ててみています。わたしはその雲が、優しい雨粒をアフガニスタンとインドの地に落としてくれたらと願います。わたしはこの二つの国の上に、ただ一つの空を望んでいるのです。わたしの友、ハリルは言います。「サロードがアフガニスタンの楽器ルバブから発展してできたものだということ、知っていますよね」 アフガニスタンとインドは同じ音楽を奏でていると感じています。ガズナ朝の君主マフムードという男が我々を分割するまでは、わたしたちはいつも同じ音楽を奏でてきたのです。ソムナト寺院(インドにあるシヴァ神の聖地)を破壊したこの男の野蛮さが、わたしは我慢ならない。そうであってもなお、詩人や作家、音楽家のサンクチュアリになっているこの素晴らしい庭をつくったロディ(パシュトゥーン族)には、わたしは誇りを感じています。

詩人や音楽について話すと、わたしはあなたがアミル・フスルの白い大理石の彫像に出会ったときのことを思い出します。アミルの魂は冷たい大理石を貫いて、あなたの魂に届きました。その隣りには魂の聖者、アブドゥラ・カブリ(今日ではネザムルディン・アウリアとして知られる)が眠っています。フスルが王に仕えることを妨げ、人々に仕えることを忠告したのは偉大なるスーフィー、ネザムルディンでした。一人のスーフィーが世界で最も栄光ある王朝のムガール皇帝に、泥の家々の真ん中にもう一つの王宮があることを示しながら、異議を唱えたのです。

たくさんの鳥で木は重い
その手に午後のときを抱えて。
アーチとパティオ。水の樽、
赤い壁の間に毒の緑。
通路がサンクチュアリへと導く。
そこには物乞い、花々、癩病、大理石。

墓に、二つの名前、それぞれの物語。
ニザム・ウディン、知りたがりやの神学者、
アミル・フスル、オウムの舌。
聖者と詩人。するどく
星が一つ、丸屋根から芽吹く。
はかなく、光が池に落ちる。

アミル・フスル、オウムまたはモッキンバード。
二人のもてるそれぞれのとき、
泥の悲しみ、声のあかり。
音節の数々、さがしまわる火、
詩は放浪の建築、
ひとつひとつが時間であり燃焼。
(174頁)


ここはアフガニスタン人によってつくられたデリーの記念碑でした。クトゥブ・ミナールがアフガニスタンの「ジャームのミナレット」を模してデリーに建てられたことで、人々をこの謎めいて神秘の土地へ誘ったように、アフガニスタンにやって来るきっかけになっています。しかしながら、あの当時でさえ、かつて存在した様々な時代、多様な宗教による壮大な文明の証が、ほんのわずかしか残されていなかったことに、あなたはきっと失望させられたことでしょう。ゾロアスター教徒のアフガニスタン、仏教徒のアフガニスタン、ヒンドゥー教徒のアフガニスタン、ムスリムのアフガニスタン。アフガニスタンの街のいくつかは、チンギス・ハンやティモール・ザ・リムの時代の暴徒たちに破壊されました。破壊されたものは、千年の時を過ぎても建て直しされることがありませんでした。バーミヤーンには、シャーレ・グルウレー(街の灯りや喧噪)のかけらもありません。偉大なるブッダの眼差しの元にあった街、バーミヤーンで、チンギスは輝きの街のすべてを破壊しただけでなく、そこに住む人々も皆殺しにしようとしたのです。さらには、人だけでなく、すべての生きものを、犬も猫も鼠までも殺したのです。歴史をひもとけば、街を完全に破壊した後、チンギスは与えた被害を検証するためそこに出向き、廃墟の中を走りまわる一匹の鼠を見て、いかに人々が命を失い建物が一瞬のうちに崩れ去ったかに大いなる満足を得ました。チンギスは兵士たちに言いました。「この国から命という命を絶滅したい」。アフガニスタン人のもてる命や文明の尊厳は、イスラムの名のもとアラブ人によって、蛮行の名のもと蒙古人によって、東洋の富の分配の名のもとイギリス人によって侵略されて以来、消え去ったというのが真実です。カブールに残っていたものを最後に破壊しつくしたのは、文明人である破壊者、イギリス人でした。ところが破壊の文化は、アフガニスタン人自身によっても受け継がれました。アラウディン・ジャハン・ソズはガズニの街に火を放ち、そこにあった文明を完全に抹消しました。そのようなことをしたのは彼だけではありません、こういった動向が続いたからです。ごく最近にも、共産主義者、ムジャヒディーン、タリバンが自国の破壊を分かち合いました。何も残されていないところに、自分たちの歴史を語る象徴と死への誇りを据えたのです。彼らはブッダの穏やかな顔に銃を向けました。バーン。そこを深い闇に変えたのです。

オクタビオ、あなたはペルシャ詩界の素晴らしきオウム、アミル・フスラウの詩を読んで、ひどくがっかりされたことでしょうね。そこに描かれる古い文明や豊かな歴史をもつ国、アフガニスタンを知って。あなたがここにいた間に、そういう歴史が残すものは何も見つけられなかったはずです。土を掘り返す時間はなかったでしょうが、錬金術師のアブ・シナがいなくとも、土の匂いを感じたのではないでしょうか。バグワ沙漠に広がる、偉大なる詩人を歓迎する赤いチューリップと出会いましたね。あなたはこう言いました。「美しい花々を生むこの土があるかぎり、詩人や作家や哲学者、錬金術師はここで生まれるだろう」。あなたは正しかったとは思います。でもアフガニスタンで優れた詩人や作家が現われたのは、ずっと後のことでした。詩人も作家も、国家や人々に支えられていなければ存在できません。過去400年の間、本を愛する教養あるアフガニスタンの王はいませんでした。詩人や作家が何を書こうと、すべて塵となりました。王たちはみんな、ただの戦争司令官であり、人々はその司令官や侵略者たちから身を守るため山中に隠れていました。敵は中にも外にもいたのです。

今という時は動かない
山並みは骨であり雪である
それは始まりのときからここにあった
風はたった今生まれて
           老いることがない
光と塵がそうであるように
           音をたてる風車
バザアルは色を紡ぐ
        呼び鈴、モーター音、ラジオ
黒いロバの石まじりの足音
歌声と不平の声がからまる
背の高い灯にのみが打たれる
沈黙のはざまに
       少年たちの輪が
弾ける
ぼろぼろの服を着た王女
耐え苦しむ川の岸辺で
祈り   放尿し  媒介となる
          今という時は動かない
年月の水門がひらき
        日々がきらめき溢れる
    瑪瑙


*****


今という時は動かない
      6月21日
今日は夏の始まりの日
      二羽、三羽の鳥
夏が庭をうむ


*****


今という時は動かない
       山並み
    四分割された太陽
石になった嵐は黄土色
      風がむち打つ
        目をあけると痛い
空はもうひとつの深い奈落
       サラン尾根の峡谷
黒岩をおおう黒雲
血の一撃の握りこぶし
     石の門
水だけが人間だ
この絶壁の孤独の中では
人間の水であるあなたの目だけが


アフガニスタンは旅人です、あなたやわたしのように。アフガニスタンは歴史の中を旅してきました。ブッダの影響を受け、アフラ・マズダー(究極の真理)の灯りに照らされ、丘に、山に、沙漠に寺院のキノコを並べ、ハイヤームの朗唱で目をさまし、スーフィーの魂の太鼓の音を聞き、畑で愛の実りを育てる人々とともにある、幸せな時代を通って。アフガニスタンは自分で顔をつくりだしました。歴史の奥深く、旅をしながら。


かれは自分で顔をつくりだした。
         その背後で、
かれは死と復活を生きた
何度も。
   かれの顔はいま
その顔から得たしわがある。
かれのしわには顔がない(187頁)


カブールへの、そしてその先のバルフへの道には、目の前にただ、自然のままの見事な美しさがありました。シルクロードを旅するときのキャラバンサライ(隊商宿)の素晴らしさと出会うには、あまりにも遅すぎはしましたが。わたしもまた、あの時代に生きていたのならと願わずにいられません。おそらくオクタビオとわたし、イブン・バットゥータ(モロッコ生まれの14世紀の大旅行家)はいっしょに旅をして、友だちになることができたでしょう。三人はシルクロードでカブールへ行き、そこでカブールの人々が、市場では少なくとも四つの言葉を駆使して商売をしているのに出会ったと思います。わたしたちは、インドのムガル・ガーデンを模したチャルバを見るでしょう。カブールの道々から聞こえてくる音楽を耳にしたでしょう。カブールには音楽家やダンサー、ストーリーテラーの専門家が溢れるほどいたものですが、いまはまったくその影はなく、生き長らえたわずかな歴史書にその足跡があるくらいです。

いま、こうしてここロディ・ガーデンにいて、わたしはあなたのことを、わたしの国のことを考えています。そして、少なくともインドは、その美しさと魅力をたもつことができた、という結論に至ります。多くの異なる宗教と宗派が共存する国、そして寛容の国です。クトゥブ・ミナールを歩けば、チャルバを歩けば、あるいはロディ・ガーデンを歩くだけで、わたしは自分の母なる地がここであることを見い出すのです。ここでわたしはあなたと詩を発見しました。


参照:
すべての詩は、エリオット・ワインバーガー編集による、1957ー1987年の詩集(HarperCollins Publishers、インド)からの引用です。

訳:だいこくかずえ

<訳者注>
オクタビオ・パス:メキシコの詩人、作家、批評家、外交官。1990年、ノーベル文学賞受賞。1962年〜1968年、在インド、メキシコ大使。
ハーフェズ:14世紀のイランの詩人。
リサヌル・ガイブ:「楽園へ我らを導く者」と信じられていた予言者。
マウラナ・ジャルルディン・バヒ:13世紀のムスリムの詩人、イスラムの法学者、神学者、スーフィーの神秘主義者。アフガニスタン生まれ。
ウスタッド・アムジャド・アリ・ハン(Ustad Amjad Ali khan):インドの古典音楽家でサロード奏者。
ソムナト:インドの西海岸、グジャラートにある寺院。シヴァ神の聖地のひとつ。