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12. 喪の日々
あの日以来、オジニは静まりかえってしまった。以前のようなおしゃべりもしなくなった。父さんの死がオジニを変えてしまったようだった。ひっそりと内庭で日々の仕事をし、かつては母さんにとがめられながらも、毎日訪れていた父さんの部屋にもめったに入ることがなかった。女が男の部屋へ入ることはあまりほめられたことではなかったのだ。母さんが恒例の秋の旅に出ている間、オジニが母さんに替わって、夜遅くぼくの部屋を見回りに来た。オジニはぼくが書きものをするのを眺めていたけれど、何を書いているのか聞きもせず、書き方に口を出すこともなかった。そして「もう寝なさい。母さんの言いつけでしょ」とやさしく言った。
真夜中過ぎまで、教科書に取りくんでいることがよくあった。勉強は以前よりずっと難しくなっていたし、日本語をたくさん学ばなければならないことや、すべての教科書が日本語に置き換えられていたことから、習得に多大な時間がかかった。歴史はすべて学び直しが必要だった。朝鮮独立時代に起きたあらゆる出来事は削除された。朝鮮はもはや独自の歴史をもつ国家とはみなされなくなったからだ。日本の一辺境となり、ぼくらは日本の天皇を日々あがめることを求められた。
地理や自然科学など他の科目も、専門用語の覚え直しや学習要項の変更のせいで、大きな負荷がかかった。これらの科目は日本語の授業のために切りつめられた。そのための時間はなかったのだ。ていねいな説明や注釈なしに教科はざっと進められ、ぼくらは自分で教科書を読んで答えを探した。残りの科目は生徒の手に押しつけられた。
同級生のキソプはたびたびぼくの家に来ては、話をしていったり、宿題の手伝いをしてくれた一人だった。キソプは病気がちで、学校に何週間も来れないことがよくあった。それでもなおキソプは学年でもっとも優秀な生徒の一人に数えられ、ぼくの数学の面倒をあくことなくみてくれた。ぼくの隣にすわって、問題を解くのを見守ってくれた。やり方を間違っても、ためいきなどつかず、にこやかに正してくれた。
ヤンマも毎晩、家にやって来た。学校で何かわからなくて困ったことはないかと聞くと、2、3分で帰っていった。ヤンマは誰よりもぼくの勉強の手助けをする力があった。ぼくらの中でもっとも賢く、もの知りで、日本語もよくできた。ヤンマはどんな質問にも簡潔、明瞭に答えてくれ、終わるとあっという間に消え去った。というのも、他にもヤンマの助けを必要としている者たちが待っており、さらに自分の勉強もあったからだ。
マンスも、やって来てぼくらの仲間入りをした。この1年、マンスは学校で席が近くて親しくなった。マンスはおもしろい話をいろいろしてくれた。よく歩く散歩道の話、近所の不思議な老木の話、水浴びするのにちょうどいい渓流の話、小さな寺や見つけたばかりの仏塔の話。さまざまな知識をたやすく自分のものにしていた。自然科学の事象もぼくよりもずっと理解していたから、勉強をときどき手伝ってくれた。
こうやって友だちの助けを借りていたけれど、勉強についていくのに、みんなよりたくさん勉強しないと追いつかないのだった。どうしてそうなのか、ぼくが「古い学校」で長く学び過ぎたせいで、科学的な考え方になかなか慣れることができないのか、よくはわからなかった。まったく理解できないことがたくさんあった。原子やイオン、エネルギーの意味もほとんどわかっていなかった。さらに新たに代数が加わり、それがまたぼくを苦しめた。方程式は難解で、何のためにそんなことをするのか途方に暮れた。マンスもキソプもそれを説明できなかったし、ヤンマでさえ、方程式はあとで高等物理学を学ぶときに役に立つ、ということくらいしか言えなかった。
ぼくが夜遅くまで机に向かっていると、母さんが部屋に来て、鉛筆や筆をぼくの手から取りあげ、教科書を閉じ、ノートをしまい、もう寝なさいと言うのだった。ぼくがまだ終わってないんだと言うと、母さんはこう返した。「そこまでする必要はないでしょ。言うとおりにしなさい」
ある夜のこと、母さんは、ぼくが床についた後もしばらく部屋に残っていた。「何がそんなに大変なの?」 そう母さんは聞いた。
「ぜんぶだ。。」 ぼくはつぶやいた。「数学、物理、化学、どれもぼくにはよく理解できない」
母さんはしばらくしてからこう言った。「今の学校のことができないからといって、そんなに気をおとさないで。ヨーロッパの教養はわたしたちとはあまりに違っている。ただあなたに合わないだけよ。昔のことを思い出してごらん。あなたは古典文学や詩をいともたやすく理解していた。素晴らしかったわ。ねえ、今のつらい学校をやめて、秋になったらソンニムの村に行きましょう。家の土地ではいちばん小さいけれど、素晴らしいところよ。栗や柿の木があってね。いい休養になるし、お百姓たちの仕事を知るいい機会だと思うよ。静かな村で休めば元気になれる。せわしない町暮らしよりずっとあなたに合ってる。思うにあなたは、古い時代の子どもなのよ」
悲しかった。ぼくはずっとそのことを恐れていた。高い文明に行きつくにはそれしかないからと、父さんがぼくを導いた新しい科学の世界。それに自分が向いていないのではないか。この4年間の懸命の努力の末に、あまり才能がないからといって勉強をあきらめなければならないなんて、ただただ悲しかった。
「どうする?」 母さんは黙って横になっているぼくに聞いた。
「そうするよ、母さん。言うとおりにするよ」 ぼくは小さく答えた。
「いい子だね」 そう言って母さんは部屋を去った。
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