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10. 夏休み


 前の学校は夏の休暇も、日曜日もなかった。とても暑い日はいつもより授業を短くして、水浴びに行くことが許されていたけれど。学校がないのは、月に2日だけだった。
 新しい学校では日曜日は休みだし、夏である今は、まるまる1ヶ月学校から解放された。素晴らしいことだった。父さんもそれを喜んでいた。そしてぼくに書き方の上達のため、遠い村に住む著名な先生のところで勉強するか、家に残って自分で書く練習をするか、どちらか選ぶよう言った。父さんはぼくの書き方に失望していて、この休みをそのために使うことを望んでいた。ぼくは後の方を選んだ。上等な筆を何本かと、真っ白な練習帳を与えられ、それを米粒くらいの小さな文字で埋めていくのだった。毎朝2頁づつ教科書を読み、それを書き写した。父さんはたくさんの漢字を繰りかえし繰りかえしぼくに書かせた。まるまる1頁を一つの字で埋めつくさなければならないこともしばしばだった。
 午後になると、ぼくはパドゥク(囲碁)の教えを受けた。盤の上で白と黒の碁石を使って遊ぶ格調高い陣取りゲームだ。白い方は美しく繊細な貝殻片でできていた。長いこと海で波に晒されながらも、真珠貝の光沢を表面に残していた。黒い方は、丸っこいかわら色のものだった。それは川底からとってきたものみたいだった。
 「さあ、おまえは黒をとりなさい」 ぼくが石を調べていると、「盤の上にしっかり打つんだ」と父さんは続けた。
 言われたとおり石を盤の上に置くと、あたりに澄んだ音が響きわたった。盤の中には銅線がたくさん張ってあるんだ、そう父さんは説明した。
 「対戦者が石を置いたら、その音が消えるまで待つんだ」と父さん。「自分の石を動かすのはそれからだ。軽率に動かしてはだめだ」
 ぼくが貸し点を20もらって、対局ははじまった。
 「もっとゆっくり!」 ぼくが自分の置きたい場所にまっしぐらに石を置こうとすると、父さんは声をあげた。「よく考えてから打つんだ。相手が弱いように見えるのはまず錯覚と思え」
 前に父さんはパドゥクは人間がするものじゃなく、神々がときどき山から降りきて暇つぶしにやるものだと言った。「神様が子どもが駆けくらべするみたいに、ばたばたと対局をすると思うか?」
 「神様っていうのは、どっしりしていると思う」ぼくは言った。
 「神様の領地に迷いこんでそこで対局を見た木こりの話を聞いたことがあるだろう。木こりが家に帰り着いたときには、斧は朽ちていた。時間を超越した神々の対戦は、われわれ人間から見るととてつもなく長いんだ」
 父さんとぼくは延々とパドゥクをやった。毎日、午後になって、暑さの盛りが過ぎるとすぐに、ぼくは碁盤をもって庭に行き、木陰に対局の用意した。ぼくらは籐のござに座って、盤を間に向かい合った。毎回ぼくは負けたけれど、いつの日か勝つ日がやってくることを疑わなかった。庭が影でおおわれて涼しくなるころまで、ぼくらはパドゥクをつづけた。そしてクオリが夕飯の仕度ができたと呼ぶのだった。
 夜になって母さんが父さんの部屋にやって来るころ、よくヤンマがぼくを外に連れ出しに来た。新しい生徒を学校に誘うために出かけることもあったけれど、それ以外は店を見ながら町をぶらぶらした。トンムン(東門)に向かう大通りを歩いていると、日本人の屋台によく出会った。
 日本人のことはよく知らなかった。ぼくらの国にいる日本人は文明人ではないとされていて、長いこと「野蛮人」とぶしつけな言い方をされてきた。ところがヤンマが言うには、日本人はヨーロッパから多くのことを学び、自国の改革を行なって、今では文明国のひとつに数えられているんだと。実際、日本の商人たちはヨーロッパから仕入れたらしい珍しいものをたくさん売っていた。お菓子、たばこ、ランプ、油、人形、いろんなおもちゃなど。そういった店のひとつに、くぎをいっぱい打った木の板を正面に立てかけた店があった。銅貨ひとつあれば、玉を入れ口から落とし、斜面をころがして得点する遊びができた。一等は柱時計で、日本人の物売りは飽くことなく声を上げてつづけていた。「さあいらっしゃい、遊んでってちょうだい、時計もってってちょうだい、さあさあさあ、ほらこの時計だよ、お客さんのものだよ」
 もうひとつの店では自転車を売ったり貸したりしていた。ヤンマはどの店よりも長居して、あれこれじっくり見ていた。そしてこれはヨーロッパから来たものだと結論づけた。こんなものは他で見たことなかったからだ。
 「ぼくが一度乗ってみるというのはどうかな」と、他の子どもたちをしばらく眺めてから言った。
 「あまり立派なものには見えないけど」 ぼくはこれがヨーロッパのような特別な場所からやってきた珍しい乗り物かどうか確信をもてないまま答えた。「君みたいな教養ある家の人が乗るようなものなのかな」
 ヤンマはうなずいて、少し考えたのち、乗るのをあきらめた。
 夜遅くまで、通りの屋台や店は明かるく照らされていた。ぼくらの国の商人とは対照的に、日本の物売りは黒い服を着ていた。黒い生地には白い雪模様や、縞や水玉があった。背にとても見映えの悪い大きな日本文字があるものを着ている人も多かった。優雅で美しい白い服の人はおらず、靴もはいていなかった。みんなカラカラと鳴るサンダルのようなものに指先をつっこんで、歩きまわっていた。日本の女の人たちも屋台で物売りをしていた。かごで運ばれるでもなく、召し使いのお供なしで、まるで自らが召し使いのように道ばたに顔をさらしていた。ここの女たちは下層階級の人々だからなのか、貧乏のために女の人まで道ばたに送り出さねばならない事情があるのか、と想像された。
 この人たちの国の写真は村であれ町であれ、目にしたことはなかった。ヤンマさえ日本人のことをよくは知らなかった。日本はいまは進歩して、汽車や汽船がたくさん走っていると繰り返すばかりだった。
 「世界にはいま、六つの文明国があると言われている」 そうヤンマは言っていた。「イギリス、アメリカ、フランス、ドイツ、ロシア、そして日本。日本がはいっているのは本当だ。いちばん末席にね。他の国の真似をしているだけだからさ」
 「じゃ、ぼくらの国はどこに入るの?」 ぼくは驚いて尋ねた。
 「とんでもない、どこにも入ってないよ」 それがヤンマの答えだった。「だってぼくらはほんのわずかの鉄道しかないし」
 「じゃあ、中国は?」
 「中国人は、かなり保守的だからなあ」 ヤンマは長い間をおいて答えた。「ユーさん、服の行商人の、そのブタのしっぽ(弁髪)は古臭いから切ってしまえばと言ったら、すごく怒ったよ。じいさん、かっとなって、ぼくの耳をたたこうとしたのさ。ぼくは一目散に逃げたけどね。ナンサン(南山)の裏にある八百屋、あいつも遅れてるよな。ぼくらの教科書がどれくらいわかるか、試したことがあるんだ。中国語で、中国はヨーロッパ文化を紹介しようとするか、と質問を書いたんだ。八百屋は一笑にふして、地面にパイプの先でこう書いた。『ヨーロッパは野蛮人の国である。儒教の教えを知らないから』」
 「保守的」という言葉は印象が悪かった。無駄に意固地なことを意味する言葉ではないかと想像された。中国人が本当に保守的な人々だとしたら、とても悲しい。ぼくにとって中国は、美しさや優しさや輝きを意味するものだったのだから。ヤンズ川、ドンチン湖、ソシュウ(蘇州)、コウシュウ(杭州)などの言葉を思い浮かべるだけで、蘇東坡、陶淵明などの詩を2、3行口にするだけで、素晴らしい世界が目の前に開けた。
 中国の小説をたくさん読んできたセッチェやオジニ、ぼくの姉さんたちも同じ考えだった。ヤンズ渓谷から見える朝靄も、ヨンの森にかかる月も見たことはないけれど、その他民族の王朝の土地を素晴らしいものとして、自分の故郷よりも愛していた。自分の国に対しては、「こんな小さな東の国」と軽いさげずみの目で見ていることもあった。
 
 夏休みも終わりに近づいたある晩、特別な出来事があった。夕食の後、ぼくはキソプともうひとりの奇妙な名前の少年、ホラン(虎という意味)に連れられて外に出た。二人はすぐにいっしょに学校に行こうと言った。今日は王か王妃かだれか著名な人の誕生日で、町で行進があるとのことだった。
 ぼくらが学校に着くと、200人はいようかという生徒たちがすでに校庭に集合していた。やがて体操の先生が来て、ぼくらを背の順に4列に並ばせた。ヤンマは背がいちばん高く、列のいちばん前に立った。ぼくはといえば、列のほとんどお終いのあたりにキソプと並んで立っていた。長い演説を聞かされた後、ぼくらは、町の人々や他の学校の生徒たちが見て敬服するような、立派な隊列で町を行進するよう言われた。
 すっかり日が落ちて、ロウソクの入った色紙のちょうちんがひとりひとりに手渡された。それを持って太鼓やトランペットや愛国心に満ちた歌とともに校門を出発した。ぼくらはチョンノ(鐘通り)に向かって行進した。南からも東からも、学生たちの集団が手に手にちょうちんを持ち歌いながら、同じ方向に向かってやって来るところだった。この夏に、もう二つ新しい学校ができていた。キソプが言うには、そのうちのひとつは、キリスト教宣教師によって創設されたそうだ。
 三つの学校がひとつに集結し、ぼくらは町を行ったり来たりして行進した。最後にサンムン(双門)を通り抜け、無数の中庭をもつ知事官邸に着いた。あたりは輝くばかりの光の海となった。
 ぼくはとても神聖な気分になった。ここでお祭りや行事が以前にもたくさん行なわれていたけれど、外広場より中には入ったことがなかった。そこから見える中の庭々の華やかな光の渦、聴こえてくる美しい音楽にぼくは心から感嘆したものだ。今日はぼくらの番だった。行列は堂々たるサンムンの下を行進した後、たくさんの広間を通って蓮会議場の中庭へと進み、そこで知事自身に出迎えられた。
 知事は、新しい時代の到来を即座に認知したぼくらの判断力をほめたたえた。わが国は、と知事は言った。小さな国ではあるが、われわれの祖先は高い文明を持ちそれを発展させた。そしてそれを日本に伝えた。今、先に進んでいるのは日本だ。日本はわが国の改革を手助けしようとしている。だから、われわれはこの東の兄弟国と同等の進歩が得られるよう努力しなければならない。
 ぼくらは熱狂をもって祖国と王をたたえ、「マンセ、マンセ」と叫んだ。
 儀式の終わりに、みんなは鉛筆一揃いと2册の練習帳をもらった。新しい時代への信任と歓迎を表わす行進へのほうびだった。
 ぼくらは意気揚々と家に帰った。素晴らしい一夜だった、そう思った。確かに、ぼくらの国は小さい。領土も狭い。だけど、それより大事なのはぼくらには英知があるってことだ。巨大で輝かしい国、中国はかつてぼくらの国を「小さな中国」と呼んだ。それはぼくらの先祖がとても賢かったからだ。そして誰がと言えば、ぼくらの国が日本に、その文字や、思想や、宗教や、建築や、それ以外にもいろいろなこと(神様ならご存知だろう)を伝えたんだ。今、新しい文明を習得することにおいて、ぼくらは日本に遅れをとった。だけどそれが何だっていうんだ? どうであれ、ぼくらは英知を持っていた。知事自身がそう言っていた。ぼくらは知事の言葉でひどく高揚していた。
 それは、祝福すべき夜だった、心からそう思った。