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逃げた川(1)

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太陽に向かって、東の方角にのびているオッパパゴーの前の小さな峡谷に、ピニョン松のクリークと呼ばれる澄んだ茶色の川が流れています。オッパパゴーの山では見かけない種類の松が生えているからそう呼ばれるのではなく、川の流れる峡谷に、珍しく松の木があるからその名がつきました。長い葉っぱの黄松、指ぬき松、アメリカカラ松、銀モミ、ダグラストウヒと、あらゆる木が、峡谷の斜面の高いところ高いところへと生え上がっているのに、背の低い灰色木の実のピニョン松たちだけが、違っていました。最初にここにやって来た人々が、スペイン語でピニョン(松の実)と呼んだ木です。

 ピニョン松の峡谷は気持ちのいい見晴しにあり、太陽に身をさらすように横たわっていましたが、それ以外には、これといって森林警備隊が気にとめるようなものもない場所でした。上流は、水際がせまっていて、牛やヒツジが通れるすき間もありません。ヤナギが茂り、息つまるような水流。茶色のカバの木々におおわれ、クレマティスの白いつるがイバラの茂みにからまりついています。下流になると、峡谷はヒバリの一飛びくらいの幅の草地を囲むように広がり、花が咲きこぼれる湿地になっていて気持ちよさそうです。ここでは水がひとたび芝土手の迷路を走りぬけると、すべてが水浸しになります。それから、行けるところまで、骨白石のウォッシュ(間欠川の河床)をひと洗いしながらメサを横切って走りぬけ、峡谷の口のところで消えてなくなります。細い流れなので、そんなに遠くまではいけません。この川の水源は山のもっと高いところや、雪がとけて岩からしみ出した水が溜まるオッパパゴーの土手のくぼ地にあります。でも、この小さな川は、人間の子が自分がどうやって生まれてきたのかを知っている程度にしか自分のことを知らなくて、ピニョン松の峡谷のはるか上の方のガレキの下から自分が這い出てきたんだということ以外、なにも知りませんでした。それに、このあたりはマスが住めるような深さの水たまりがあるわけでなく、灰色木の実のピニョン松たち以外には一本の木さえ生えていないのです。そんなわけで、今まで一度もメサを越えて町まで行けた試しのない小さな川でしたけれど、ここから逃げ出す決心で胸がいっぱいになっていました。
 「そんなことしたら、どういうことになるのか自分の胸にきいてごらんよ」とピニョン松。「もしきみが町まで行きつけたとしたら、町のやつらはきみをかんがい用水にして、畑に水を引こうとするだろうね、きっと」
 「そのことなら」と小さな川、「ぼくはひとたび流れ出したら、町で止まることすらできないんです」。小さな川は、土手の間をきらきらと埋めつくしているミミュラスの花が、激しい水流でボロボロにされるときが来るのを、じりじりと待っていました。夏の終わり頃にときどき、ほんのわずかな流れが生まれることがありましたけれど、草地のところまで行くのがやっとでした。
 「いつかきっと」と小さな川は石たちにむかってささやきました。「ぜったい逃げ出してみせるさ」




逃げた川(2)

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 もし小さな川がその気になれば、この自分の居場所ですてきな友だちにことかくことはなかったのです。鳥たちはヤナギに巣をつくっていたし、ウサギたちは水を飲みにやって来ました。ボブキャットはカバの木の向いの土手に寝ぐらをつくり、シカもたまに来て草を食べていきます。いいことがありそうな場所でした。ある年の春、二人の年老いた男がピニョン松の峡谷にやって来ました。二人は元鉱夫で、長いこといっしょに働いてきた仲間でした。大儲けしたと思うと、貧乏になったりもしたし、厳しい状況、奇妙なことといろいろ経験ずみでした。それは川の流れがきれいに澄み、南風が大地の匂いを運ぶ、そんな日でした。野生バチがヤナギの中でブンブンうなり、草原はケシムネヒバリの赤色に埋めつくされていました。年老いた男の一方が言いました。「ここはいい草地だな。水も充分だし。家を建てて木を育てよう。オレらは、鉱夫をやるにはもう年だ」
 「はじめるとするか」もうひとりが答えました。これが長年のあいだ共に働いた、二人のやり方でした。一方が考えたことを、もう一方が実行に移す。二人は暖かな春の息吹が体中に沸きおこるのを感じ、荷物を取ってきて、その記念すべき一日を始めました。男たちは大地を掘って、植物を育てたいと思いました。
 川のそばに家を建て、木を植えたこの二人、鉱山のキャンプ地では、「ちび」と「のっぽのトム」と呼ばれていて、元の名前が何だったか忘れられているほどでした。ちびの方は果樹園いっぽんやりで、のっぽのトムは野菜を植えるのが好きでした。そこで二人はそれぞれ好きな方の世話をし、朝夕の涼しい時間になると庭を歩きまわっては、相手の作物を手にとってでき具合をほめあうのが、いちばんの幸せでした。
 「オレらの老後のいいすみかになるな」とのっぽのトム。「それに、死んだらここに埋めてもらえるしな」
 「ピニョン松の下にな」とちび。「埋めるところの印もつけてある」
 二人はとても幸せな3年間を送りました。この間に、小さな川の方は、逃げ出すことを忘れてしまうほど、この二人のすることに関心をもつようになっていました。でも、年々草地が少しずつ掘りおこされ、作物が植えられ、男たちがダムや溝をつくっては流れを管理するようになったきていることにも気づいていました。
 「このままだと」と小さな川。「世の中に飛び出して行く前に、ぼくはかんがい用水にさせられてしまうぞ。もう出発しなきゃ」
 ちょうどその冬、大きな嵐のおかけで、小さな川はとうとう、メサを越えて草地をうなりながら流れて行きました。流れはきれいに掃き出され、後には流れが残していった泥の跡があるばかり。冬の間ずっと、ちびとのっぽのトムは飲み水を泉から運び、流れが帰ってくるのを待っていました。春になっても二人は、季節の果実が実を結ぶのを、あきらめることなく待っていました。しかし木に果物はならず、のっぽのトムが植えた種は土の中でしぼんでしまいました。夏の終わりになってやっと、二人はもう水は戻ってこないとさとり、悲し気にこの地を立ち去りました。







逃げた川(3)

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 ピニョン松のクリークに何があったのか、あまり幸せな時を過ごさなかったということ以外、今では知るものもいません。小さな川は嵐に巻きこまれて外の世界に出ていった後、投げまわされ、他の流れと混ぜあわされ、自分を見失い、当惑していました。小さな川は、いたる場所で水が働いているのを、水車をまわし、畑に水をまき、取り引きされ、あられとして、雨として、雪として降りおちているのを目にしました。そして長い旅の最後に、ピニョン松の峡谷のオッパパゴーの岩の下から、自分がはい出しているのに気づいたのです。小さな川はハッとわれにかえり、昔ここで起きたことをくっきりと思い出しました。
 「やっぱり、家がいちばんだ」と川は言い、昔の友だちを探して、水路の中を走りまわりました。ヤナギはあったけれど、バサバサと大きくなっていて、てっぺんが枯れていました。カバの木は死にかけながらも、なんとか自分の場所に立っていました。クレマチスのあったところには、朽ちた残骸があるばかり。ウサギたちさえ、逃げ出していました。小さな川は泣きながら草地を走っていき、荒れた水路で、まだなんとか生き残っている果物の木をなぐさめようと、うろうろするのでした。ピニョン松の峡谷には、なんとも活気のない日々が流れていました。
 「これはみんな、ぼくのせいなんだ」。小さな川は、いっしょうけんめい、この土地を昔のようにしようと、手をつくし続けました。
 白クレマチスが荒れ果てたカバの木の影で再生したころに、若い男が妻と子どもをつれてやって来て、草地でキャンプをしました。その一家は、家を建てる場所を探していました。そして草地で長いこと、ちびとのっぽのトムが出ていった後の、誰も住んでいなさそうな家を眺めていました。
 「なんてすてきな場所なんでしょう!」と若い妻。「町からちょうどいい距離だし、川はわたしたちだけで使えるわ。それに見て、果物の木も植えてある。ここに住みましょうよ」。若い妻は子どものくつとくつしたを脱がせると、川で遊ばせました。水がはだしの足のまわりで渦巻き、うれしそうにドクドクと音をたてました。
 「わあ、どうぞ住んでください」と幸せいっぱいの川の水。「ぼく、あなたたちのお手伝いができます。庭に水を引くいちばんいい方法だって知っているんですから」
 こどもが笑いながら、はだしの足で水しぶきをあげました。若い妻は、夫が川を上ったり下ったりして果物の木を調べているのを、心配そうに見ていました。
 「すばらしい場所だ」夫はそう言い「いい土だ。でも水が確かなのか、心配だな。ここ2、3年の間に、ひどい水不足があったようだ。ほら、ちょうど川の通り道にカバの木立がある。でも、全部枯れてるよ。いちばん大きな果物の木の枝もやられてる。この地域では、水を確実に手にいれることが必要なんだ。ここに果物を植えた人は、川が干上がったんでここを捨てたんだと思う。もう少し遠くまで行った方がいいな」。それで夫婦は荷物をかかえ子どもを連れて、そこからさらに先の方へと発って行きました。
 「ああ、そうなのか」と小さな川。「自分の本分を忘れたから、こういうことになったんだ。でも、あの家族といっしょに暮らしたかったなぁ。あの赤ちゃんとぼくは、仲良しになったのに」
 小さな川は、自分が素敵なことを起こす川なんだと期待されなかったとしても、もう逃げたりしないと心にきめたのでした。じっさい、あなたがピニョン松の峡谷に行ってみれば、小さな川が、悲しそうな音をたてて、草地の上をとぎれとぎれに流れているのに出会うことでしょう。

(2003年11月29日改稿)

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