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籠女--- 第二話(1)

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つぎにアランが籠女(かごおんな)と会ったときには、パーランプへのふたりの旅のことを話しかける勇気はなかったものの、このマハラのことをそんなに恐いとは思いませんでした。アランは母親に聞きました。「インディアンが昔のように暮らせたらいいのにって、思う?」

 「いいえ、どうして」母親は笑いながら答えました。「そうは思わないわ。いまの方が暮らしは良くなってると思うけど」。けれどもアランは納得がいきません。つぎに籠女に会ったとき、アランはまだこのことが気にかかっていました。
 ある日のこと、入植者の男は、家族を連れて町に出かけました。そこで荷馬車から降りたとき、アランが最初に見たのは、マハラの女たちといっしょに道ばたにすわっている籠女でした。籠女は肩から毛布をかけ、通りの方を見ていましたが、その目はぼんやりとして、いつものようではありませんでした。
 人波ががマハラたちの前を通り過ぎていき、店のドアの前に投げだされた女たちの足を、犬ほどにも気づかわずまたいでいきます。何人かのインディアンの女は子どもをつれていましたが、子どもたちはコーン・ウォーターの野営地でしていたように、大声ではしゃいだり走りまわったりはしていません。母親のかたわらにおとなしくすわり、服はよれてみすぼらしく、みんな物欲しそうな顔つきをしていました。アランはその子たちから目をそらすことができなくて、いつまでもその光景が心に残りました。そこは小さな町で、アランが母親について店を出たり入ったりしているあいだ、何回もマハラの女たちと顔をつきあわせましたが、籠女はずっと悲しそうな顔をしていました。
 母親は買い物がおわると、アランに10セント銀貨を渡して、好きなものを買っておいでと言いました。アランが走っていって角をまがると、そこには、ひざにあごをのせ、毛布を肩からたらした籠女がすわっていました。前まで行って、なにか元気づけるようなことを言いたいと思ったけれど、籠女のことをまだ恐がっている自分に気づきました。
 籠女は焦点の合わない、ぼんやりとした目で、アラン越しに通りの向こうを見ていました。アランは籠女が幸せの谷のことを考えているに違いないと思い、話しかける勇気のない自分をくやしく思いました。10セント銀貨を籠女のひざもとに投げ入れると、アランは走って逃げました。走っているとき、籠女が呼んだような気がしたけれど、聞き違いだったのかもしれません。
 その夜、アランがベッドに身を横たえると、どこからともなく籠女が立ち現われて、肩から籠を降ろしました。
 「コーン・ウォーターに行くの?」アランは籠女の方に近寄っていって、聞きました。
 「かつてのわたしたちの国へ」と籠女。「だから、そんなに悲しむことはないよ」
 ふたりは、糸のような三日月がうすぼんやりとセージを照らしている、メサの小道を通って行きました。密度の濃い空気の中を、ゆっくりと進んでいっているような気がしました。道がふたまたになっている所に来たとき、籠女は籠をおろしてひと休みしました。うさぎがピョンと茂みから出てきて、驚いていると、暗闇の中にまた跳ねながら戻っていきました。白いシッポが行き先を告げるしるしのようでした。
 「あれは何?」とアラン。
 「ちっちゃなタボット、みんなが巣穴でおどかしたりするやつ。さあ、わたしに寄りかかって」と籠女は言い、「タボットの話をしてあげよう」と続けました。アランは籠女の長い黒髪に頭をあずけ、ちっちゃなタボットの話を、タボットがわなを仕掛けてお日さまをつかまえた話を、聞きました。







籠女--- 第二話(2)

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 「ずっと、むかし」籠女が話しはじめました。「タボットは四つ足動物の中でいちばん大きくて、すばらしいハンターだった。朝、日がのぼるとすぐに起きだして狩りにでかけたもの。でも、タボットがいくと、道にはいつも大きな足跡が残されていた。タボットの誇りは、そのりっぱなからだと同じくらい大きく、とどろく名声を超えるほど激しいものだったので、これにはひどく傷ついた。
 『だれなんだ?』タボットは声をあげた。『狩りをするわたしの前に、こんなに大きな足跡をつけていくのは?わたしに恥をかかせようということなのか?』
 『おだまり!』タボットの母が言った。『おまえほど、大きな動物はいない』
 『それなのに』とタボットは言う。『足跡が、あるんだ』。つぎの朝、タボットはさらに早起きをしたが、目の前にはおおきな歩幅の、りっぱな足跡が残されていた。
 『よし、この生意気なやつに、わなを仕掛けてやろう』悪がしこいタボットはこう言った。弓のつるでわなを作り、前の晩にそれを仕掛けておいた。つぎの朝見に行ってみると、なんと、わなにはお日さまが掛っていた。地面のそこいらじゅうが、熱で煙をあげはじめていた。
 『おまえだったのか?』タボットがうめいた。『わたしの道に足跡をつけたのは』
 『ぼくだ』お日さまが答える。『さあここに来て、ぼくを自由にしてくれ、地球がまるごと火の粉になってしまう前に』。タボットはこのままではいけないと思ったので、ナイフで弓のつるを切ろうと火の中に走りこんだ。ところがあまりの熱さに、成し遂げる前にタボットは逃げ帰った。そして、からだは半分の大きさにまで溶けてしまった。そのとき、燃える火と煙が、空にむかって、くるくる巻き上がりはじめた。
 『もういちどっ、タボット』お日さまが叫んだ。熱さの前にタボットは行きつ戻りつしていたが、やっと三度目に走りこんで行くとつるを切り、お日さまは自由の身になった。でも、この間にタボットはどんどん溶けて、今の大きさにまで縮んでしまった。だから今はちっちゃいんだ。でもタボットの足跡を見れば、あいつがお日さまをわなでしとめた頃には、どんな大きな歩幅で跳びまわっていたかが想像できるだろう?」
 「だからものごとは」と籠女。「大きいものは小さくなり、かつて栄えていたわたしたちの仲間は、衰え去る」
 こう言うと籠女は静かになり、ふたりは山の上をどんどん進んで行きました。ここのことをもっと知りたいとアランは思い始めていたので、道のりはこの前よりもずっと近いような気がしました。ふたりは高いはげ山の尾根の上空を通過していきました。アランはコーン・ウォーターの野営地を探しはじめました。
 「煙がみえないよ」とアラン。
 「煙は、ハゲタカが肉塊にたかるように、敵を寄せつける」と籠女。
 「戦争なの?」とアラン。
 「長く、つらい」と籠女。「静かに、気づかれないように近づこう」
 太陽の東に向かって立ち並ぶウイキアップのところまで、ふたりは静かに松林の中を進んでいきました。集落はどの小屋も壊れ、崩れ落ち、荒れ果てていました。残っているのは年寄りと子どもだけで、その子どもたちも走りまわったり遊んだりしていません。みんな野ネズミのようにこそこそと歩きまわり、森で小枝のカサコソいう音でもしようものなら、ウズラのひなのように群がってじっと動かなくなりました。女たちは穀物畑の中で働いていました。丘の斜面で草の根っこを掘りだしては、食料にするイナゴを取っていました。黒く長い自分の髪を引き抜いて輪なわをつくり、岩の間を走りまわる光るトカゲをつかまえている女もいました。アランにはインディアンたちが、前よりやせ細り、がつがつしているように見えました。でも、いま集めている食べ物は、みんな貯え用のものでした。
 「みんな、何であんなことしてるの?」アランが聞きます。
 「戦いに行く男たちを、断食させるわけにいかないから」と籠女。「みて。何か新しい知らせかもしれない」
 森から若い男が音もなく出てきました。あのお祭りの夜、新しい歌をうたい、踊った男です。髪にワシの羽飾りをつけていましたが、それは濡れそぼっていました。脚にビーズ飾りをしていましたが、イバラで引きちぎられていました。顔とからだには模様が描かれていたけれど、血で汚されていました。男は野営地に入って来ると、弓をひざの上で折りました。
 「あれは敗北のしるし」と籠女。「ほかの者も、やがて帰ってくる」。怪我を負った男たちかが命からがら帰ってきましたが、女たちは戻ることのない者たちをまだ待ち続けているようでした。女たちが腕をなげだして激しく泣き叫ぶと、その声は松林の中に響きわたり、空気を震わせました。
 「静かに」若い男が言いました。「泣き声で、やつらをおびき寄せるつもりか?」。すると女たちは砂ぼこりの地面に静かにひざを落とし、声を殺してからだを震わせました。女たちの静けさは、泣き叫ぶ声以上に、悲惨でした。







籠女--- 第二話(3)

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 突然、森の中から、矢の嵐がおそってきました。鮮やかに彩られた、見たことのない矢の嵐が、戦いの雄叫びとともに、どっと押し寄せてきました。
 「目をとじて」と籠女。「見ない方がいい」。アランは顔を籠女の服の中に埋めて、荒れ狂う戦いの音を、それが去っていくのを聞いていました。アランが思いきって顔をあげると、壊された小屋や踏みにじられた食料が目に入ってきました。コーン・ウォーターの野営地はかろうじて形をとどめていました。残った者たちは、弱ったからだで、食べものを探さなくてはなりませんでした。指くらいのちっちゃなマスを採ろうと川に籠を仕掛けたり、松の木の皮をはいで、中にいる虫の幼虫を集めたりしました。
 「なんで前みたいに、シカをつかまえに行かないの?」とアラン。
 「さっきのやつらが森で待ちかまえていて、戦いを仕掛けようとしているから」と籠女。
 「なんでよその場所に行かないの」
 「やつらが見張っているというのに、どうやって出ていくの?」と籠女。
 何日も何日もこうして野営地を見続けているような気がしました。もの悲しい日々がつづき、以前と同じように、いちばん上等な食べものはもっとも強い者のために、取りおかれました。
 「どうしてなの?」とアラン。
 「それは」と籠女。「強い者は弱い者を助けるために、ここにとどまるのだから。これがわたしたちのやり方。誰ひとり文句を言ってないだろう?」。というわけで、弱いものたちは野営地のまわりをよろよろと歩きまわるか、ひざに頭をあずけたまま、長いこと一ケ所にすわっているのでした。
 「どうなるの?」とアラン。
 「いずれ、出て行くしかない」と籠女。「どんなにここに愛着があったとしても。トウモロコシの種はないし、冬も近い」
 そのとき空から、みぞれが落ちてきました。みんなはほんのわずかの家財道具を集め、背に積んだ荷によろめきながら、かつての幸せの谷を後にしました。女たちは長い髪をほどいて灰を塗りたくり、松林の中を、やせた腕を天にかかげ、悲しそうに泣き叫びながら、歩いて行きました。アランは声をあげて泣き出しました。籠女が肩をやさしくたたいてくれました。籠女の声はアランの母親が、何にも心配ないからもっと寝なさい、とささやく声のようでした。アランが泣きやむと、インディアンの女はアランを抱きかかえて言いました。「もう行った方がいい」と。「ここを出た方がいい」
 ふたりで山を越えながら、アランは、籠女が、いま見てきたことを忘れさせてくれるようなお話をしてくれればと願いました。でも、長い髪で顔をかくした籠女は、ひとことも口をききませんでした。夜は寒さを増し、恐ろしい闇のざわめきがあたりに充満し、アランは籠の中で震えつづけました。
 「あれは何?」闇の中を流れ星が横切っていったとき、アランが小さな声で聞きました。
 「あれはわたしたちの仲間に火をとどける、コヨーテ族」籠女が答えます。アランはその話をしてくれればなぁと思いましたが、籠女はそれっきり黙ってしまいました。ふたりは長い葉っぱの松林の境界線まで、山を降りてきました。アランは松葉の間から立ちのぼるヒューヒューいう風の音を聞いて、人の叫び声のようだと思いました。
 「あの音は何?」アランがささやきます。
 「あれはヒノノ。弟の松を弔っている、風の声」籠女は、この風の話もしてはくれませんでした。籠女はますます速さをまして進んでいき、その肩はアランの下で力強く動いていました。アランは風の音を聞いていましたが、それはどんどん大きく激しくなり、やがてギーギーときしむ家の音に変わりました。そこでアランは、ベッドの中にいる自分に気づいたのです。強い突風がメサを横切り、屋根の片われを吹き飛ばしていきました。
 次の朝、入植者の男は息子のアランに、カンプーディまで行ってこなければならないが、いっしょに行くかと聞きました。大喜びして、アランは仕度をしてくれている母親にこう言いました。「インディアンは今の方がずっといい暮らしをしているって、ぼくが思ってること、知ってる?」
 「あらまあ、そうね」母親はそう言って、ほほえみました。「わたしもそう思うよ」

(2003年11月29日改稿)

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