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籠女--- 第一話(1)

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その入植農家の小屋は、丘とメサの間の、三日月形のくぼ地に立っていました。小屋の前には、くろがね色の土地が遠くまで広がっていましたが、川の居留地がはじまるあたりでそれは、ブルーのもやの中に消えていました。連なる丘は美しい稜線を流し、互いに溶け合い、その尾根は、後ろのでこぼこ山のうっすら白い雪を冠ったあたりにやわらかく消えていました。きれいな、広々とした空がこの地をおおい、流れこむ風はあたたかく、やわらかでした。

 入植者の息子が泉につづく小道を走りでようとしていたその途中で、籠女(かごおんな)がやってくるのを見つけて、きびすを返し戻って来ました。その子は籠女が恐かったのです。そして恐がっている自分を恥じていました。それで母親には、泉に行くのをやめたことを言いませんでした。
 「マハラが洗濯に来ているよ」母親は言いました。「さあ、泉に行って友達におなり」。けれどもアランは、母親のスカートをギュッとつかむばかり。インディアンの女が、母親のたのみで洗濯にやってくるのは、これで3度目でした。女はもの静かでおっとりしていて、微笑みさえ浮かべていましたが、アランはマハラの女が恐かったのです。この土地に来る前に聞かされていたインディアンの話は、どれもこれもゾッとするもので、そんなことはないと言われても、すぐには信じられませんでした。アランは晴れた日に、丘の向こうのカンプーディ(インディアンの集落)から、煙があがっているのを見つけることがありましたが、何かなと思うくらいで、とくにそっちで遊んでみようとはしませんでした。
 籠女は、アランが見たことのある唯一のインディアンでした。女は小枝を積んだ大きな円すい形の籠を背にかつぎ、ときおり屈んで額にくい込むシカ皮のひもをゆるめながら、メサを横切って歩いて来たものです。同じ型の少し小さな籠に、ヒヤシンスやタブースの球根を入れて歩いていることもありました。またビン型の籠に、泉の水を汲んで運んでいることもありました。頭にはいつも、ボウル型の籠を帽子がわりにかぶっていました。長い髪をたらし、帽子の縁からは、黒い瞳がこぼれんばかり、ビーズのようにきらきらと輝いていました。アランは、いつか籠女が自分をつかまえて、小枝を投げ入れるようにすばやく背なかの籠の中に納め、メサの向こうに連れ去るんじゃないか、と空想していました。というわけで、泉からやってくる籠女を見たその朝、母親のスカートにぶら下がったのです。
 「恐がることはないよ、アラン」と母親。「とっても親切な人だし、男の子がいるみたいだよ」
 籠女は、アランたちに白い歯を見せて笑いかけました。「この子、とてもかわいい男の子」とアランを見て籠女。それでもアランはまだ、この女を信じまいとしていました。アランは、家族でいまの家に引っ越ししてきたとき、駅から乗った馬車のぎょ者が言っていたことや、小屋の窓から籠女がこちらをじっとのぞき見ているのを見たことを思い出していました。
 「行儀に気いつけた方がいいぞ、坊や」とぎょ者が、まじめくさってあごを振りながら言います。「あの女はそのうち、坊やをあの籠にいれて連れて行きそうだもんな」。アランはじっと外を見たものです。
 この払下げ請求地の丘陵に来てまもなく、入植者は家の囲いを作るのを手伝ってもらうために、インディアンたちのカンプーディを訪ねたことがあります。一緒に行ったアランは、そこに着くなり父親の手をつかみました。父と子は、インディアンたちが小さなみすぼらしい小屋に住んでいるのに出会ったのです。服もよごれているし、みんな地べたにすわりこんでいました。でも、太っていて人は良さそうでした。犬や子どもたちが、お日さまの下で眠っていました。アランにとってなんだか、がっかりさせられる風景でした。
 「とうさん、あの人たちは僕たちになんかしない?」アランは家を出るとき聞いたものです。「なんてこと言うんだ。そんなこと考えるんじゃないぞ」父が答えました。「インディアンはもう、昔とは違うんだよ」
 アランはカンプーディを見ながら考えていましたが、父親の手を引いて帰ろうと誘いました。
 「こういうインディアン、ぼく、きらい」と言ってから、すぐにいけないことを言ったと気がつきました。籠女の小屋がすぐ正面にあり、突然、女が扉から顔を出したので、アランは聞かれてしまったと、籠女の光る目を見て思いました。アランは口をつぐみ、帰る道々ずっと、カンプーディの方を振り返っては、何か追ってきはしないかと確かめるのでした。
 「夕ごはんを食べないなんて、どうしたの?」母親が聞きます。「熱いお日さまの中を歩きまわったのが、いけなかったのかしら」。アランは何を心配しているのか言おうとしなかったけれど、ほんとうは言った方がよかったのかもしれません。その夜、籠女がやって来たのですから。







籠女--- 第一話(2)

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 籠女はアランが恐れていたように、つかまえて背なかの籠に投げ入れようとしたりはしませんでした。床の上に籠が降ろされると、アランは自分からそこに近づいて行きました。籠女のことをあまり恐がっていない自分に、アランは驚いていました。
 「ぼくをどうするの?」とアラン。
 「インディアンがどういうものか、おしえてあげる」と籠女。
 アランは、籠女の背に乗せられ、がんじょうな肩の動きを感じながら、低いメサを横切り、連なる丘を登っていきました。
 「どこに、行くの?」少年が聞きました。
 「コーン・ウォーターの谷、パーランプへ。わたしたちがいちばん幸せだった頃の場所」
 ふたりは、樫の木々の間を抜け、ジャコウのような野生のブドウの甘い匂いをかぎながら、水際にそって進んでいきました。ヤマヨモギが斜面から見えなくなり、葉の生い茂った背の高いバックソーンの木が立ち現われました。風の長いため息が、背の低い松のところにいたふたりを、空にむかって押し上げました。ふたりは銀色モミの上に吹き上げられ、押しやられ、うなだれたトウヒの木々の上を走り抜け、しめった草原を、ゆびぬき松の森を進んでいきました。土の香りが立ちのぼってきました。やがて籠女と少年は、見晴しのいい、けわしい岩のある高いところに出ました。
 「なんでここには木がないの?」アランが聞きました。
 「その話をしてあげる」籠女が言いました。「昔、大洪水があったとき、数えられないくらい大昔のこと、水がやってきてこの地をおおいかくした。高い山の頂上以外すべてを。インディアンたちは逃げて生きのびた。動物たちもいっしょに、その洪水から逃げた。木は高い場所に生え登って生き残った。でも水がなかなか引かなかったから、インディアンはたき火をするのに、木を切り落とさなければならなくなった。動物という動物が食べつくされた。小さな動物だけは岩影で生きのびた。やがて水は引き、草木が大地をおおい始めたけれど、山の高いところには一本の木も生えなかった。すべて焼きはらわれてしまったから。ごらんの通り」
 アランは山の頂上から、ぐるりと連なる丘々が肩をぶつけあうようにして、コーンウォーターの幸せの谷を取り囲み、見おろしているのを眺めました。
 「ほらここ」籠女が言う。「わたしたちの祖先は、その年の種まきの時期にやって来た。トウモロコシを植えたら、丘から小川が流れてきて、水をもたらした。さあわたしたちも、降りてみよう」
 ふたりは曲がりくねった、けわしい石だらけの小道を通り過ぎました。松の木がふたりを閉じこめるようにぎっしりと、まわりに生えていました。
 「煙があがっている」とアラン。「松の木の上に、青い煙」
 「インディアンの家のいろりの火」と籠女は答えると、下へ下へと降りていきました。
 「歌がきこえる」と少年。
 「あれは臼を挽きながら歌う、女たちの声」と籠女は言い、足を速めました。
 「笑い声が聞こえる」少年がまた言います。「水の流れる音とまじってる」
 「あれは娘たちがひざまで伸びた髪を洗う音。あの子たちは水辺にひざまずいて頭をたれ、流れる水に髪を浸し、お日さまに向かってキラキラ光る水玉を振りまくの」
 「ああ、いい匂いがする」とアラン。
 「あれはマツカサの中で松の実が焼ける匂い」と籠女。「昔とかわらない香り」
 ふたりは丘のくびれの、水が歌っている楽しげな場所にやって来ました。「インディアンのウイキアップ(円すい形の小屋)が見えてくる」と籠女。「どの家のとびらも東側にあって、お日さまの方に開いている。ここにすわって、何が見えるか待ってみよう」
 女たちがウイキアップのそばにすわって、ヤナギとシダの茎で籠を編んでいました。上手に羽根の模様をつくり、縁に貝殻ビーズを通していました。何人かはシカ皮を、サボテンの白い筋とトゲの針をつかってきれいに縫っていました。ほかの女たちはトウモロコシのもみがら取りをしていました。女たちがならんで金色の粒を籠の中に投げ入れていると、風がその皮を吹き飛ばしていきました。その間中、さっきの女の子たちは髪をお日さまで乾かしながら、声をあげて笑いあっていました。それから花とビーズのきれいな紐で髪をしばり、赤土をほおに塗って仕上げをしました。子どもたちは野営地のまわりで、はしゃぎ騒いだり、ハダシで川を走りまわっていました。
 「あの子たちは働かないの?」とアラン。
 「見ててごらん」と籠女。







籠女--- 第一話(3)

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 はるか山の方から、かすかな雄叫びが聞こえてきました。野営地がざわめきと歓声でいっぱいになりました。子どもたちが手をたたきます。遊びをやめて、たき火の方に小枝をひきずり始めます。女たちは籠を編むのをやめて、鍋を持ち出してきました。男たちが狩りから帰って来る声を聞いたからです。若い男たちが肩にシカを背負ってやってきます。ある者はライチョウを、ある者は籠いっぱいのマスを抱えて。女たちが肉を調理する準備をします。何人かが肉を切り分け、灰の中で焼くための塊にしています。男たちが赤々と燃える火のそばで、矢に羽根をつけたり弓を張り直したりしながら休んでいます。
 「今日の肉をたべる前に、明日の分の準備をするのはいいこと」と籠女。
 「しあわせそうだね」と少年。
 「食べ終えたとき、もっと大きなしあわせがやって来る」と籠女。
 夕食が終わると、インディアンたちは歌い踊るために、集まりました。年老いた男たちが次々に話をはじめ、子どもたちはどれが一番おもしろいか耳を傾けています。話のあいまに、みんな一緒に歌をうたったり、だれかが自分のつくった新しい歌を披露したりします。だれよりも素晴らしい歌をうたった者がいました。その男は、色の土でからだに縞を描き、髪にはワシの羽飾りのヘアバンドをしていました。手には野ひつじの角に小石を入れたガラガラをもって。男は火の前に立ち、それで拍子をとって、歌をうたいました。男は古い戦争の歌をうたい、殺されたシカの歌をうたい、ハトの歌や山で育っている若い牧草の歌をうたいました。人々はとても喜びました。心に歌があれば、それが何をうたっているかはあまり気にしませんでした。男たちがダンスに手拍子をうち、踊る男の足もとの大地が、踏みならされては土ぼこりをあげました。
 「あの男は、狼の歌をみつけた男」籠女が言います。
 「それはなに?」アランが聞きました。
 「わたしたちの古い言い伝え」と籠女。「あるところに歌をつくれない男がいた。そのため男は部族の誰からもほめられることがなかった。それで男は悩んだ。男が川のそばでタブースを集めているとき、狼がやって来て、男にこう言った。『タブースをわけてもらうのに、何をあげたらいい?』男は答えた。『歌で返してくれればいい』
 『よろこんで』狼が言った。そして狼が男に歌をおしえ、その夜、男はみんなの前で狼の歌をうたった。その歌はみんなの心を内側から燃えたたせた。それから、男は歌う喜びに満たされ、死んだようにその場に倒れこんだ。男が深い眠りにおちたその夜ふけに、狼がやって来て、歌を持ち去った。男も、歌を聴いた人々も、誰も、その歌を覚えていなかった。だからわたしたちは言うの、だれも歌ったことのない歌をうたう者がいると、『狼の歌をもっている』と。名言でしょう。さあ、もう行かなくては。子どもたちはみんな、おかあさんのそばでぐっすり。もうすぐ一日がはじまる」籠女が言いました。「また来れる?」とアラン。「ここは今とかわらずにある?」
 「わたしたち一族はよくコーンウォーターの谷間に来るから」と籠女。「今みたいなのは夢の中だけの話だけど。さあ、早く。帰ろう」。ふたりが小道の上に舞い上がると、東の空はもう白みはじめていました。新しい一日が始まろうとしているのです。
 「聞いて!」籠女が言いました。「コヨーテたちがうたっている。コヨーテが狩りから帰るときにうたう歌。朝はもう近い」

コヨーテが鳴いている
あれは夜明けにうたうんだ
あれがうたう
コヨーテが鳴いている

籠女がうたう、そのことばとことばの合間は、長い遠ぼえで満たされていました。狩りをするときの恐ろしい猛り狂ったうなり声と、人間の声を半分ずつもった歌声です。その声にアランの髪は逆立ち、寒気が背なかを走りぬけました。野生の遠ぼえはどんどん耳もとで大きくなり、アランはがたがたと震えはじめました。気がつくと、からだの下でベッドが音をたてて震えていました。それはアランの震えのせいでした。
 「かあさん、かあさん」アランは叫びました。「あれはなに?」
 「コヨーテが鳴いているだけよ」と母親。「いつも夜明けのこの時間になると鳴くのよ。なんでもないわ。もう一度寝なさい」
 「だけど、恐いんだ」
 「あなたを襲ったりはしないから」と母親。「午後になるとメサのあたりをうろついている、あの灰色の小さな動物じゃない。ほら聞いてごらん」
 「でも恐いんだ」アランは言いました。
 「それならわたしのベッドにおいで」と母親。そうしてアランは、あっという間に、深い眠りに戻っていきました。

(2003年11月29日改稿)

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