瀧克則


浴槽にあごの端までつかり湯の表面に島のように浮き出た膝頭をむりやり沈める。すると足やそこいらの毛についた小さな空気の泡が音をたててのぼってくる。
身体が熟くなるのは血のいきおいをかきたてることであり、身体が何万年もの過去の記憶を覚ましつつある気がして、毛の先から立ちのぼる小さな泡を眺めると、そこに私を形づくるおびただしい過去がくるまれ湯の表面で割れている。
ずうっと昔、私がまだ水のなかに棲んでいた頃の静かでたいくつな日々が浮かんでくる。
水の移り行くなかで、ただひたすら揺らめいているだけの、音のない時間があった。その頃に戻るために私はいまを駆けめぐっているのかもしれないと思いながら、私は湯にくるまれている。


瀧克則著「墓を数えた日」(書肆山田/1997年)より


瀧克則
1948年、大阪・堺市生まれ。「墓を数えた日」で第一回小野十三郎賞受賞(1999年)。職業は土地家屋調査士。土地測量の仕事は、その土地がどうして今に続いているのか、その歴史が見えるという点で興味深い、と詩人は言う。他に「水の根」「器物」などの詩集がある。

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