素九鬼子さんへ

葉っぱの坑夫

素九鬼子さま

もし何かの偶然で、このページをご覧になることがあったら、葉っぱの坑夫までご連絡いただけると嬉しいです。そんな偶然があり得るのかどうか正直なところまったくわかりませんけれど、インターネットというのは検索エンジン、互いに貼り合うリンクひとつとっても、さまざまな偶然や思いがけない出会いがありますから、何が起こるかわかりません。それを信じて、いまこの手紙を書こうとしています。

素さんの作品は、フラグメンツの企画をたてた最初のころからぜひ掲載したいと考えていたものの一つです。素さんの「旅の重さ」をはじめとする作品を読んだのはもうずいぶん昔のことですが、清冽でいきいきとした文、生命力あふれ野性を秘めた作品の印象はいまも強く残っています。他に似たもののない作品だと思います。素さんの最初の作品が出版されたのが1972年、そして1977年に最後の作品を出した後、素さんは本の世界から姿を消されています。デビュー作『旅の重さ』が、作家由紀しげ子さんの死後その書斎から発見され、筑摩書房の編集者が著者である素さんを新聞広告などを通じて探したけれどとうとう見つからず、見切り出版し、出版の2年後にやっと素さんが現れるという登場のミステリアスと同様に、今回素さんの連絡先を見つけることができない状況もなにかミステリアスなものに感じてしまうのは一読者であるわたしの身勝手というものでしょう。10月末に、当時素さんの本を出版した筑摩書房、角川書店の編集部と連絡を取りましたが、どちらも素さんの現在の消息を知らないとのことでした。

わたしの知っている素さんの情報は、結婚後に『旅の重さ』を書いて由紀しげ子さんにそれを送ったこと。それが由紀さんの死後、その遺稿の整理をしていた編集者の手で発見されたこと。当時は横浜に在住していたこと。出身は愛媛県西条市で、県立西条高校に通っていたこと。そして本名と旧姓。それくらいです。本名をたどって探すことも考えてはいますが、なぜかあまり気が進まないのです。それにペンネームとちがって本名は非常によくある姓・名です。もしこれを実行しようとしたら、日本全国のたくさんの同姓同名の方に、「あなたはひょっとして素九鬼子さんでしょうか」という質問をくりかえすことになるでしょう。

素さんの作品は『旅の重さ』にかぎらず、6册出ているどの本も今はすべてが絶版となっています。一部の図書館(国会図書館や都や県の中央図書館)でしか手に取ることができません。その図書館でも書架にあることはなく、入館者の目にふれない書庫の中でひっそりと眠っている状態です。偶然には出会うことのない作品になっています。

わたしが『旅の重さ』に20年ぶりくらいの再会を果たしたのは、素さんの全作品を所蔵している立川の多摩中央図書館で、10月の終わりのことでした。
  
    ママ、びっくりしないで、泣かないで、落付いてね。そう、わたしは旅にでたの。ただの家出じやないの、旅にでたのよ。四国遍路のように海辺づたいに四国をぐるりと旅しようと思ってでてきたの。さわがないで。さわがないでね、ママ。いいえ、ママはそんな人ではないわね。

何十年ぶりかに出会う『旅の重さ』のこの冒頭。わたし自身の長い長い時間の隔たりを越えてなお新鮮でした。

    ああ、ママ、旅にでてはや三日になるわ。ああどんなに楽しいことでしょう、蒲団の上に寝ないで、草の上に寝るということは。

読みすすむひとつひとつの文章が輝いて見えました。まだ10代の子どもだったころの自分に光を当てるように言葉の光線がからだの深いところに射しこんできます。

    ママ、今ね、海辺に坐っているの。瀬戸内海の柔らかい波音がとてもいいわ。もやもやしている心に打ち寄せてくるこの波音は、ちょうど錆びた幾千という鈴が遠くの方で鳴っているような感じです。

そう、この『旅の重さ』は、全編がママへの手紙で構成されていましたね。高校生の娘が家出の(いえ放浪の旅の)道中から送り続けた本一冊分の手紙。

    夏草のきついにおい、ママもしってるでしょう。夜中にふとそのにおいにむせて目が覚めることがあるの。そのときほどわたしは満たされた気持ちになることはないわ。

読んでいると、これは小説ではなく、素さん自身のことであったということ以外考えられないくらい、この旅や心情がリアルなものに感じられます。

    わたしは男の傍に並んで腰を下して、一緒にパンを食べたわ。わたしが男にもパンを二つ上げたの。男はおいしそうに食べたわ。男の白い歯が、わたしの心を痛く刺したわ。ヒッチハイクをしているの、と男はたずねたわ。いいや、わたしは放浪しているんだと、きっぱり言ってやったの。

こうして手当たり次第にタイプしてみて、どのページもどの段落もどの行も、書き写してみたいことばにあふれているのに気づかされます。こころして選ばなくとも、パッと開いて偶然目にしたところを書き写すだけで、どれもがすばらしいフラグメントになるのです。このように書き連ねていてもきりがないのでこの辺にしておきますが、果たして素さんと、このフラグメンツを通じて再会できるのでしょうか。まったく当てもなければ自信もありません。現在の状況を数字で言えば、再会率5%くらいでしょうか。あてずっぽうですが。でも素さん本人ではなく、素さんの過去を知る方から現在の素さんの情報が入らないとも限りません。なにしろ、この不思議のつながりの場、ひょっとして生命体の一種かもしれないインターネットのことですから。

素さん、そして素さんを知る方、もしこれを読まれたら葉っぱの坑夫までご連絡ください。今後の対策を練りつつお待ちしています。よろしくお願いいたします。

2000年12月12日 Web Press 葉っぱの坑夫/大黒和恵(editor@happano.org)


文中の引用:素九鬼子「旅の重さ」(筑摩書房/1972年)より


素九鬼子
愛媛県西条市に生まれる。1972年、「旅の重さ」(筑摩書房)でデビュー。『パーマネントブルー』(筑摩書房/1974年)、『大地の子守歌』(筑摩書房/1974年)、『鳥女』(角川書店/1977年)、 『鬼の子ろろ』(筑摩書房/1977年)、『さよならのサーカス』(筑摩書房/1977年)の作品がある。

Copyright by Moto Kukiko(文中の引用文)

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