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作品と作家について


「ヤールー川はながれる」は、朝鮮半島出身の作家ミロク・リ−によってドイツ語で書かれた自伝的作品で、1947年ドイツの出版社R. Piperから出版されました。ミロクは、日本による植民地支配が始まった年の10年後の1920年、3.1(独立・抗日)運動を経て、ドイツに単身亡命しています。その際、中国との国境を流れる790Kmにわたる大河、ヤールー川(鴨縁江/朝鮮名:アムノク川)を夜の闇にまぎれて命からがら渡っていきました。そこから上海に出て待つこと9ヵ月、渡航許可を得て、船でヨーロッパへと旅発っています。

この作品では、ミロクの幼年時代からドイツ到着に至るまでの十数年間のさまざまな出来事が、ひとつひとつ思い出しては辿るようにして書き綴られています。二度と戻ることのなかった故郷のことを、母語ではない言葉で、外から改めて眺める気持ち(多分、郷愁と反発の相半ばするような)で書かれた作品ではないかと思います。

1900年代初頭の朝鮮半島は今のように分断される前の、一つの国であった時代の朝鮮です。中国(当時の清)の多大な影響下にあり、列強の利権獲得にさらされていたとはいえ、500年に及ぶ統一国家として国内文化が豊かに花開いた李朝時代を経て、大韓と国名を変えた時期にあたります。

中国の文化を同じように受け継いできた日本との共通点も多く、作品の中でドイツ語 → 英語と訳されてきた元の言葉(事柄)を、すでに日本語がそのまま持っている例も多く見つけ、改めて東北アジア文化圏の近しい関係性を実感しました。

翻訳するにあたっては、Hollym International 法人(ニュージャージー)/Bumwoo 出版(ソウル)から共同出版された英語版(1986年)を元にしました。大変読みやすい英語で、ミロクがシンプルなドイツ語で書いた、とされる元テキストを想像させました。ミロクの母語である朝鮮語もドイツ語もできない訳者が、英語版によって作品と出会えたこと、日本語に訳す機会を得たことを、大変幸運に思っています。翻訳という機能のもつ融和的、平和的、未来的な指向性を強く感じました。

最後に、この連載を訳者とともに歩んでくれることになっているアートワーク制作の浅倉恵美子さんを紹介します。浅倉さんはグラフィックデザインを職業としている人で、訳者とは過去にいくつかの広告制作の現場でのコラボレーションがありました。今回、この題材で作品を作ろうと決めたとき、浅倉さんが手がけたビジュアル作品のことが頭に浮かびました。世界を見る眼の確かさ、謙虚さ、それを土台にしたイメージ世界への自由な羽ばたき、そういった持ち味や特長が今回の作品づくりにきっと良い影響をもたらしてくれるだろうと直観したからです。

モニター上でテキストを読みついでいく大変さを、浅倉さんの絵の世界がやわらげ、楽しい時間に変えてくれるのではないかと期待しています。
ミロク、だいこく、浅倉、この三者による日本語版「ヤールー川はながれる」が、多くの人に楽しんでいただけたら嬉しいです。

訳者 だいこくかずえ
2005年4月23日


[ミロク・リ−]
ドイツ語で書き、ドイツで作品が出版された、朝鮮半島出身最初の作家。
1899年、海州(ヘジュ市/現在の北朝鮮)に生まれる。経済的に恵まれた裕福な家庭に育ち、四人兄弟の中のただ一人の男の子だった。ソウル医科大学に在学中の1919年3月1日、朝鮮全土で起きた独立運動(3.1運動)に参加。翌年、日本軍に収監されるのを避けて、上海経由でドイツに亡命する。ドイツではWurzburg、Heidelberg 大学で薬学を学び、後にミュンヘン大学で動物学、哲学、生物学を専攻する。動物学で博士号取得。卒業後の生計のための職業ははっきりしないが、雑誌や新聞などへの寄稿、執筆活動、翻訳などをしていたと思われる。朝鮮の文化や政治について主に書いていたようだ。晩年はミュンヘン大学東洋学部で中国古典、朝鮮語、朝鮮文学を教えていた。「ヤールー川はながれる」は長年の苦労の末書き上げられたもので、1946年にドイツのR.Pipeから出版された。ドイツ文学界でも知られた作品となり、学校の教科書にも採用された。またこの作品で、ミロク没後の1952年に当地で、散文作品に与えられる最高賞(賞名不明)を受賞している。1950年3月20日、51才で病気のため他界。ごく親しい友人数人が、ミロクから教わった朝鮮国歌を死の床で歌ったという。その4日後、ミュンヘン郊外のGrafelfing 共同墓地で、300名を超す友人知人に見守られて埋葬され、いまもそこに眠る*。21才で祖国を離れて以来、二度と帰ることはなかった。著作としては、Iyagi, Mudhoni (1974年), From the Yalu to the Isar (1982年), Other Dialect(1984年)などがある。

*英語版を編集したKyu-Hwa Chung(鄭奎和)氏によると、氏がドイツを離れるときに1995年までの墓地管理費を支払ってきたとのこと。それからさらに10年のときが過ぎている。

[ヤールー川]
鴨緑江(おうりょくこう)、朝鮮名はアムノク川。ヤールーは中国読みと思われる。(英語、ドイツ語ともYalu の表記)
中国東北地区と現在の北朝鮮の国境沿いを南西に流れる長さ790kmの大河。水源は白頭山で、黄海に注いでいる。唐代の『通典』の中で、「水の色は鴨頭の如し」と形容されているそう。日露戦争の陸上における初戦の場所としても知られ、またここ最近は、脱北者たちの亡命の経路の一つとして、新聞などで取り上げられることも多い。


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