実際、やって来て、まず驚いたのは、建物のあまりの古さだ。
趣があるというのをとうに通り越して、朽ち果てかけている。
通りを走る車は、昔の映画でしか見かけないような古いアメ車ばかりだし、
スーパーらしき所に入ったら、歯ブラシ1本、電池が3個・・・というようなディスプレイがされていた。
これが灰色の空に覆われていたり、建物も灰色の石造りであれば、鬱々した印象になりそうだけれど、
すべてはあっけらかんと抜けるような青空のもと、建物の色は、あちこち剥げ落ちてはいるもののカラフル。
その上、あちこちの街角やお店からは、サルサが流れてくる。
キューバの人達は、国から最低限度の生活物資や食糧は支給されているから、
嗜好品さえ求めなければ、食べていけないという目には遭わない。

すれ違う人々は、ふっきれたように、からりと明るく、子どもからお年寄りまで、なんだか楽しそうだ。
物欲がない訳ではないと思うけれど、あからさまに物足りなさそうな顔をした人は見かけなかった。
大部分の人の間では、なにかで埋め合わされて、ぎりぎり辻褄が合っているのではないだろうか。
物に頼れない分、自分で何かを生みだすしかない。音楽だったり、ユーモアのある会話だったり、
ダンスだったり、文学だったり、スポーツだったり、思想や革命の夢だったり。
最低限の生活は保障されていることが前提となって、物を持たないことや深い諦念と引き換えに、
健康やあかるさが生まれているのだろう。

それは、ほんとうに奇跡的な危ういバランスで、ほんの少しでも政情が変われば、
たちまち何もかも変わってしまいそうだと思った。
実際、特に、若者の間では、国に対する不満が高まり、熱を帯びているらしい。
それは当然のことだと思うけれど、わたしも、満たされすぎないことによって生み出すことができるものの
可能性について、もう少し考えてみた方がいいのかもしれないと感じた。  
(つづきを読む)

14. ゆめみるちから〜ハバナ(キューバ)