キューバでは、一般民家の間借りをしていた。
滞在数日目の夕方、昼寝をしていたら、友達に起こされ、ダイニングに行くと、わたしに向かって、「happy birthday!!」
その家のパパもママもおばあちゃんも娘も小さな息子も、みんな集まってくれていた。
旅の途中、11月末のキューバで迎えた誕生日。
友達が、キューバではほとんど見かけない、ケーキを探して、用意してくれていた。
あざやかなピンクの土台に白いクリームとバラのデコレーション。
全く洗練されていないし、スポンジはかさかさ。食べると砂糖がじゃりじゃりしたけれど、なんだか夢のあるケーキだなあと思った。

そんな夢は、日本では昭和の途中あたりに置いてけぼりで、今では成り立たないだろう。
それを懐かしいなあと思うけれど、かといって、そこに戻らなくても、新しい夢はたくさん見られるはずなのにと思う。
物に満たされているのに、日本人が、キューバ人より元気なく見えるのは現実で、
それを単純に、物が多すぎるせいにはしたくない。
それらの物も、もとはといえば豊かな生活を夢見る気持ちから生まれたはずだけれど、
夢見る方向性にあまりにバリエーションがなかったために、物質以外にも、足りていないものが
たくさんあることを見過ごし、バランスが悪くなってしまったのだろう。
足りないものが何なのか探り、満たしていくために、想像する方向性はまだまだいくらでもあると思うのだ。

一家は、キューバでは裕福な方の家庭だと思うのだけれど、ケーキなんて滅多に食べることはないようで、
おばあちゃんも夫婦も子どもも、みんな嬉しそうに食べていた。
翌朝、家のパパが部屋をノックして、新聞紙にくるんだピンクのグラジオラスの花をプレゼントしてくれた。
朝からわざわざ外に出て、花を買い、届けてくれた気持ちを思うと温かい気持ちになった。
旅の間、いつも、こんなふうなやさしい人の気持ちに支えられ、守られていたように思う。 
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14. ゆめみるちから〜ハバナ(キューバ)