初夏のカンボジアは、日差しが透き通り、そこらじゅうにあるこんもりとした緑や、水辺をきらめかせていて、
どこもかしこも瑞々しかった。
森の合い間には、小さな集落が現われ、色とりどりの睡蓮の咲く沼、
そのそばには高床式の簡素な家がいくつか並び、
木陰のハンモックで昼寝をする人や、すっぽんぽんで水を浴びる子ども達、
牛を連れたお年寄りなどが立ち現われては、消えて行く。

原始的とも言えるくらいの、シンプルな光景。
無意識に、自然に寄り添った、 人々の営みの様子。
思いだすだけでも、どうしてこんなに気持ちがなごむのだろうと思う。

カンボジアといえば、行ってみるまでは、地雷、国民の大量虐殺からまだ年月の浅い国、
乏しい知識から、深い影差す国をイメージしていた。
それは真実には違いなく、アンコールワットのガイドさんも、カンボジアには今も犯罪、
特に性犯罪や人身売買の問題が蔓延していると話をしていた。
それを脇において、カンボジアの村の風景を眺めて心惹かれるのは、観光客の甘い視点だからと言われても仕方ないだろう。
だからといって、私の感じたみずみずしい美しさや、のどかさが、カンボジアのうわべということではなくて、
それが本質ではないのかとも思う。
 (つづきを読む)

9. 森に溶けてゆくもの〜ベンメリア(カンボジア)