前日はストックホルムの旧市街で過ごしていた。
これまで数か月過ごしたヨーロッパのムードから一転して、雑多な熱気のあふれる街に。
いろんな人種、階層、思想、時間、が色とりどりに編み合わさって、街を作っている。
ストリートが1本違えば、暮らす人の種類が変わる。
シビアに住み分けがされているのかもしれないけれど、旅人として、そのカラフルさを眺められるのは楽しい。
どの街角でも、誰かが誰かと話しているし、車のクラクション、飲食店で食器をがちゃがちゃ洗う音、道行く人の鼻歌だったり、車窓からこぼれる音楽。いろんな角度からいろんな音が降り注いでくる。
洗練された大都会だけれど、裏通りでは、焦げた鍋を磨いて使うような、ほつれたセーターを繕って着るような、そんないなたい雰囲気も同居している。
どこに焦点を合わせるかによって、ひとつの街がいくつもの世界を見せてくれる。
この街でなら、どんな格好をしたって浮くことも、目立つこともないだろう。
ただ、馴染んで、街のパーツの一つになってしまう。
とても気楽で、すこしさみしい。

タクシーの乗客は次々に降ろされ、残りは私達だけとなった。
通りを歩く人達は、気づけば黒人がほとんどになって、この辺りからハーレムだなと思った頃、ホテルに到着した。
どこの町でも、ホテルに着いて一番最初にするのは、最寄のスーパーマーケットを教えてもらうこと。
この日は、もう日も落ち始めていたので、暗くなる前に夕食の材料を買いにでかけた。
小さなスーパーで、夕飯時の地元のお客さん達が食材を選んでいた。
店を出れば、それぞれの生活があるけれど、今はみんな単純に夕ごはんのことを考えているんだと思うと、ほほえましい気持ちになった。
日本にいる時より、しみじみ考えてしまったのは、スーパーにいる人達から滲み出る生活感に懐かしさを感じたからかもしれない。
わたしは日本にいる時、一人暮らしをしているから、スーパーのレジに並んだ時、カゴの中身が貧弱で、家族分の食料や日用品を買いこむ姿を見ると、生活感の厚みに圧倒されることがある。
だけど、その時は家族連れだけじゃなくて、一人分の買い物をしている人からも、それなりのスケールの生活スタイルが感じられて、なんだかいいなあと思えた。      
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4. マンハッタンの内と外〜ニューヨーク(アメリカ)