身勝手、綱渡り、なりゆきまかせの魅力。人生も小説も。

V.S. ナイポール著/斉藤兆史訳
「ある放浪者の半生」(原題:HALF A LIFE/2002年・岩波書店刊)


原題のHALF A LIFEは、主人公の人生前半のことではなくて、どっちつかずの「中途半端な生」のことを指しているのではないか、とこの本の訳者斉藤兆史さんは「あとがき」で書いている。カリブ海トリニダード生まれのインド移民三世ナイポールの描きだす小説世界は、ちょっといいようのない、なんとも捉えがたい、身勝手で自堕落でなりゆきまかせの人生を歩むウィリーとその周囲をとりかこむ、同様に雑多で説明しにくい生を生きる人々の世界でできあがっている。そして物語自体もそのように、つまり説明しがたい進み方ですすむ。インドでの少年時代の、父親のウィリーへの十年にわたる身の上話ではじまった小説は、アフリカの妻のもとからヨーロッパに逃げ帰った四十一歳のウィリーの、妹への語りのさなか、しりきれとんぼのように終わるのだ。(えっ、こんな終わり方でいいの?でももう話はぜんぶしたから。もう終わったから。というウィリー/ナイポールの声が聞こえてきそう。)

ウィリーの父親の生き方も、その話(若いころの)も、ふに落ちないところが多い。まずいことになって、その罪のつぐないのために寺院の庭はずれで沈黙の行(いじめられないため)をしながら乞食生活を送るうち、人々の尊敬を集める(押し黙っているせいで)にいたり、果てはイギリスの作家サマセット・モームの訪問まで受け、その著書にまで記される・・・ウンヌンカンヌン。主人公ウィリーのミドルネームがサマセットなのはそこから取られた、とのこと。

当のウィリーの半生も、その語られ方も、奇妙なところがいっぱいある。が、こんな率直さは見たことない、というくらいの率直さで語られてもいる。二十歳になって、身の回りの世界から逃れるためだけの理由で、インドを離れロンドンに渡ったウィリー。そしてすぐにロンドンに失望する。バッキンガム宮殿は藩王(マハラジャ)国の王宮よりおちるし、地下鉄の広告やガイドブックに書かれていることはよそから来た人間には不親切でなんの役にもたたないしろもの、と。ウィリーはのちにこう思うにいたる。「ここに来てから学んだことと同じだ。すべてが変な方向に進んでいく。世界はそこで止まるべきであったとしても、果てしなく動いていく」

「再訳」と題された(意味不明)第三章で、ウィリーは知り合ってまもないアフリカ出身のガールフレンドに、とつぜん「アナ、君と一緒にアフリカに行きたい」と宣言して、実際に結婚して行くことになる。カレッジ卒業後、大学の寮を出なければならず、その後の生きる見通しが何もなかったための思いつき。それなのにアナの田舎につくやいなや、「自分がどこにいるのかわからない。何があってもここで暮らすような顔をしてはいけない」と自分にいいきかせる。が、次に書かれていたのは、『彼はその地で十八年暮らした。』の一行である。そして十八年後の雨のある日、家の前の石段ですべって頭を打ったウィリーは、町の病院で目をさましたとき、アナにむかって突如「別れよう」と言うのだ。アナが「ウィリー、転んだだけよ」と言ってもきかずに、「世の中には、滑りやすいものが多すぎる」と答え、ベルリンに住む妹に手紙を書き、その六週間後には本人もそこにいるという具合なのだ。

そこから終わりまでの残り約半分は、ベルリンで妹に語る十八年間のアフリカ話。そしてその話はといえば、人生において最良の部分は終わってしまったのに、自分はなにもしていない、隠れているのが長過ぎた、とアナに語るところで、そして同時に小説も突如おわる。三章からなるこの小説は、第一章が「サマセット・モームの訪問」、第二章が「第一章」、第三章が「再訳」である。これが日本語訳で300ページ弱におよぶ小説のすべて。2001年ノーベル文学賞受賞作家の最新小説は、思いつきと綱渡りと身勝手さで破たん寸前の中途半端な生き方を、そこぬけの率直さ(インドにとっては外部の目となる越境作家ゆえの、公平にして冷淡な視線による)で語りぬいた新しいスタイルのお伽話だとおもう。


2002年12月21日午後5時45分
大黒和恵・editor@happano.org

●参照:V.S. ナイポール著「ある放浪者の半生」(2002年・岩波書店刊・2500円)