宮川隆ブックデザイン展
リトルモアから葉っぱの坑夫まで
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 2004年2月23日〜3月27日(土) PROGETTOにて(川崎ラ・チッタデッラ)

宮川さんと5册目の本をつくり終えて思うこと
葉っぱの坑夫・大黒和恵
       
宮川さんとの本づくりについて思い返してみています。
宮川さんと本をつくるということは、自分がつくろうとしてる本について、もう一度新たな目でその作品を眺めてみることのような気がしています。

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本をつくるとき、まずはブックデザイナーである宮川さんに、出来上がった原稿を渡して見てもらいます。適当な時期をみはからって、その感想を聞きます。ここが第一のポイント。ブックデザイナーは関係者(翻訳者や編集者)以外の最初の読者だからです。

宮川さんと初めて本をつくったときのことが思い出されます。英語ハイク集「ニューヨーク、アパアト暮らし」をつくったとき、友人の紹介で初めて宮川さんと会いました。そのときどんな話をしたか。もう4年も前のことなので細部は覚えていませんが、英語や翻訳の話、ハイクや俳句の話、西洋と日本のものづくりそれぞれの個性について、宮川さんの出身地である宮古島のことばについて、そこでの暮らしについて、少年時代のアンディー・ウォーホルとの出会いについて、本というものの形や役割について、本の値段について、なぜ葉っぱの坑夫が非営利なのかについて、日本人について、沖縄人について・・・・。そんな話をえんえん5時間くらいしていました。

具体的な本の体裁をどうするか、などの話は少しはしたかもしれないし、全くしなかったかもしれません。雑談のような話、でも互いがどんなことを考えて生きているかがわかる話だったと思います。いっしょにものをつくるとき、考えてみれば、これほど大切なことはありません。ここがしっかりしていれば、途中の過程は信頼関係のもとに楽に進めます。あとは様々な具体的な作業や処理です。

これは宮川さんのものづくりにおける基本姿勢のひとつなのかもしれません。そしてわたしにも元々、似たようなところがありました。商業広告をつくっていた頃のことです。

5册目の本づくりは、2003年9月末に「籠女(かごおんな)」の原稿を宮川さんに郵便で送り、その感想をメールで受け取ったところからスタートしています。第一読者である宮川さんは、原稿で200枚以上あるこの作品を数日で読み通し、その時点でこの作品の美点や本づくりの柱になることをイメージの中にくっきりと据えているように見えました。

著者メアリー・オースティンとのつき合い(翻訳や原著の購読を通して)の長いわたしから見て、その的確さに目からウロコが落ちる思いでした。それがこの文の最初に書いた、「もう一度新たな目でその作品を眺めてみること」です。

このように、宮川さんとの本づくりは、ほとんどのエネルギーが「その作品がもっている何か特別なもの」に注目することに注がれると言っていいと思います。それさえちゃんと掴めば、宮川さんとわたしの間でそれを確認しあっていれば、OKなのです。あとは自然の流れにまかせればいいのです。ここが第2のポイントです。

ブックデザインの基本というのは実はこういうことなのかもしれませんが、今の日本の本づくりの現場でこれが普通に行なわれていることなのか、現在の商業出版の現場を知らないわたしにはわかりません。でも宮川さんとの本づくりを通して、デザインとは、形のことから入るのではないんだ、市場のことを頭にまず描いてそこから引き出された最終形に捕われて作業することではないんだ、ということが実感できるし、大切なのはその作品の意思や存在の仕方をこちらがどう汲み取るかなんだ、という理解にいたります。それは一種の翻訳作業なのかもしれません。著者の言葉や思想を、現実の世の中にモノとしてどう立ち上がらせるかという。

翻訳者は黒子ではない、そうはなれないし、翻訳者は一人の個性ある(望むと望まないにかかわらず)解釈人であり自分の受け取ったものを違う言語体系で表わすもう一人の創作者である、というのがわたしの考えですが、ブックデザイナー=翻訳者についても、同じようなことが言えるかもしれません。

宮川さんによると、デザインはデザインする者の生活そのものであり、生きている姿がわりに正直に映ってしまうもの、そんな風に思えるのだそうです。日々生活することと、物をつくることとの間には何があるのだろうかと考えてしまいそうになりますが、でも実はデザインも、パイユート・インディアンの人々がヤナギや枯れ草で籠を編むように、ヤカマの人々が山羊の角でスプーンを彫るように、手にした材料を前に、その日の気分や体調やなんかに左右されながら、手が進めていく仕事なのかもしれません。脳で考えていることと、手が成すことが未分化なまま、形を描いていくのがデザインなのかもしれません。たとえば、宮川さんにおいては。

ブックデザインにかぎらず、今の世の中では、物づくりの最初の地点で、コンセプトワークに重点が置かれることが多い気がします。茶碗ひとつ、野菜ひとつとっても。それはそのモノをどのように売るか、というところから考えがスタートしているから(と思います)。それはそれで有りだと思いますが、そうではないモノづくりもあっていいかな、と思うのです。コンセプトの輪郭がまだもやもやとしているうちに、手が頭に追いつき追いこされしながら形づくられていくような。今日を生き、明日を生きていくつくり手が生に投影されながらできあがっていくような物づくり。

今回の宮川さんのブックデザインの展示では、そういったそのときどきのデザイナーの生活感や考えや気分の断片が、連なり重なり合いながらランドスケープとして見えてくるといいな、そしてその振り巾が広ければ広いほど、その時期のデザイナーが、日常面でも変化の多いときを過ごしたのではないだろうか、という推測がなりたつのですが、、、、実際のところはわからない、想像してみるだけです。

2004年2月15日(ver.3)



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