葉っぱの坑夫

世界でいちばん新しい国、それは南スーダン。アフリカ東部にある、ケニアやエチオピアと隣りあった国です。2011年7月、スーダン南部の人々は、長い内戦の果てに、住民投票によって「南スーダン共和国」として、スーダンから分離独立することを選びました。(地図

第二次スーダン内戦時(1983年〜2005年)には、200万人の南部住人が北部政府軍によって殺され、数百万人が居住地を追われた、と言われています。それは昔からつづく北部と南部の争いであり、アラブと非アラブ(イスラムと非イスラム)の戦いであり、スーダン政府軍と人民解放軍(SPLA)の衝突であり、また南部にある油田や肥沃な土地を支配したいスーダン政府とそれに不満を抱く南部住民の攻防でもありました。

22年に渡る第二次スーダン内戦の間に、居住地を追われて逃げ出し、アフリカの大地をさまよった大量の子どもたちの集団がいました。ディンカ族やヌエル族などの南部に住んでいた約2万人の子どもたちが、村を襲われ着の身着のまま、親ともはぐれて孤児となり、集団で逃げまどうことになりました。その子どもたちはロストボーイズと呼ばれました(下は5、6歳から、多くが男の子たちだった)。子どもたちの多数が逃避行の中で、飢えやノドの渇き、爆撃や病気、ライオンやハイエナに襲われるなどの理由で死んでいきましたが、生き延びた子どもたちはエチオピアやケニアの難民キャンプに、なんとかたどり着きました。

アフリカの大地を歩き抜いたロストボーイズは、難民キャンプで成長し、子ども時代の大半をそこで送ります。2000年前後から、その中から運を得た者たちが、国際救済機関の助けでアメリカに渡ります。それ以降、ロストボーイズを題材にした小説や回想録、映画などが多数発表されました。その中にはブラッド・ピットが制作に関わり、サンダンス映画祭で賞を受けた”God Grew Tured of US”(2006年)もあります。また2014年7月には「空から火の玉が・・・」(三人のロストボーイズによる回想録)が、葉っぱの坑夫から出版されます。


ロストボーイズと南スーダン


現在の南スーダン

2014年6月現在、南スーダンはまた紛争に巻き込まれています。2011年の南スーダン独立後、油田の帰属をめぐる問題などで、スーダンと南スーダンは国境紛争の状況に陥りました。また南スーダン国内でも2013年末のクーデター未遂事件により、キール大統領と反政府勢力のマシャール前副大統領が衝突し、事実上の内戦状態にあります。フランスの公共ラジオは、6月10日、紛争の終結を目指し隣国のエチオピアで二者が会談、60日以内に移行政権を樹立することで合意した、と伝えました。

カクマ難民キャンプ

カクマ難民キャンプは1992年にできた、ケニア北西部のタルカナ地方にある難民キャンプ。その名はスワヒリ語の「どこでもない場所」を意味し、そこがいかに砂嵐吹きすさぶ、人里離れた場所であるかを表わしています。

現在138000人の居住者があり、南スーダン、スーダン、ソマリアを筆頭に、エチオピア、コンゴ、ブルンジなど周辺の国々からも戦争を逃れた人々が、毎日2000人程度やって来ます。

葉っぱの坑夫から7月に出版される「空から火の玉が・・・」でも、三人のロストボーイズがカクマで少年期の大半を過ごし、ここからアメリカに発っていったことが記されています。(この本の一部抜粋がこちらでお読みいただけます)

カクマ難民キャンプでは、FilmAidなどのアート系の人道的非営利組織が、ここに住む子どもたちや住民と深く関わり、たくさんの素晴らしいプロジェクトを実行しています。そのいくつかを映像で紹介したいと思います。(ページ左)

photo by Colin Crowley/Save the Children (taken on March 11, 2010)
南スーダンのバハル・アル・ガザールに住む少年。11歳のとき北部の侵略者に連れ去れ、2年間放牧キャンプで強制労働させられた。そこから逃亡し、1年間南スーダン人民解放軍に加わった経験がある。

カクマ難民キャンプの子どもたちが
FilmAidの学生たちとつくったミュージックビデオ

Heavy Abacus Kakuma Music Video(2012年制作、約4分)
Directed by Topaz Adizes & Paola Mendoza

スクリーン下にあるHDをonにし、その右のアイコンを押すと、フルスクリーン高画質でお楽しみいただけます。
制作のトバスとパオラは、カクマ難民キャンプで一ヵ月過ごしたのち、彼らのための映像作品をつくりたいと思いました。難民の子どもたちが自らの物語を口にし、自分の姿が大きなスクリーンの中に登場するのを見せてあげたい。FilmAidは難民たちの心のケアと社会復帰への教育プロセスとして、夜キャンプ内で映画を上映しています。トパスとパオラは、その上映会で、子どもたちの姿をその大きなスクリーンに映して、みんなで楽しく「素敵なものを」見れるようにしたいと思いました。この映像は国連でも上映され、ツイッターやブログなどで称賛を受けました。
クレジットが出たあとの、子どもたちの集合場面もお見逃しなく!
Vimeoサイトで見る。

We Are Kakuma(2014年制作、約10分)
by My Start(カクマ難民キャンプの子どもたちの映像プロジェクト)

子どもたちの生きる力と潜在能力を知る
- スーダンのロストボーイズの体験を通してわかったこと -

今年(2014年)に入ってから、”They Poured Fire on Us From the Sky”というノンフィクションをずっと訳していました。この7月に「空から火の玉が・・・<南スーダンのロストボーイズ 1987 - 2001>」として出版する予定の本です。

わたしがスーダンのロストボーイズのことを知ったのは、2011年1月のことでした。スーダンは1980年代後半から南北包括和平合意が署名される2005年まで、長期にわたる内戦状態がつづいていました。6年間の行政上の自治を経たのち、南部住民は住民投票により、2011年1月南スーダン共和国として独立しました。そのことをレポートしたスーダン特派員の新聞記事で、ロストボーイズと呼ばれる男の子たちの集団のことを知ったのです。

ロストボーイズ、それは戦火で村を追われて、家族とも離ればなれになって、アフリカの大地を何百キロも歩いて逃げた男の子たちの集団でした。下は5、6歳、多くがまだ小さな子どもたちで、男の子は日課としてヤギや牛の放牧をするので、そのとき襲撃にあい一人で逃げることになった、とも言われています。また両親から襲撃があったら、家を出て遠くまで逃げるよう、あらかじめ言われていた子もいたようです。


子ヤギと男の子 by Frank Keillor(Taken October 1984)

そうやって逃げ出した子どもたちは、集団となって、人民解放軍の兵士や大人の難民たちに先導されながら、砂漠地帯や豪雨の湿地帯など厳しい環境、気候条件の中を、食料や飲みものも満足にない状態で歩いて逃げました。

「空から火の玉が・・・」を訳していて一番に感じたのは、子どもというものが持つ潜在能力の高さでした。それは人間の力と言うこともできます。生死をわける困難な状況の中で、何をすれば生き延びられるかを考え、その答えをみつけ、実行する力です。小さな子どもであっても、必死になって考え、一番いいと思うことをすることで、自分を救う。自分の命を救える可能性を秘めた存在なのです。また子どもたちは、食べものや水など貴重なものを人と分け合うことで、より長く生き延びられることも見つけています。

「空から火の玉が・・・」は、三人のロストボーイズが避難と逃亡の日々をつづった回想録です。ベンソンとアレフォは兄弟、ベンジャミンは二人のいとこです。三人は南スーダンの北西部バハル・アル・ガザール地方に住んでいて、家族は牧畜や自作農を営んでいました。最初の一章は、襲撃される前の村での平穏な生活が描かれています。学校は村にないので行っていませんでした。6歳くらいになると、ヤギや牛の世話、畑の番など家の仕事をやります。三人とも1980年代生まれですから、その年代に子どもだった日本の人たちから見たら、想像もできない暮らしでした。たとえばベンソンの父親が、ライオンと戦うエピソードが語られています。それは先祖代々の契りをライオンが破ったからです。

この本の最初と最後には、ジュディ A・バーンスタインという女性の紹介文とエピローグが添えられています。ジュディはわたしがこの本の翻訳のことで、最初にメールにを送った人です。ベンソン、アレフォ、ベンジャミンのアメリカでの相談役であり、彼らがアフリカからサンディエゴに到着した三日後から、アメリカへの案内役を引き受けた人です。「はじめに」で書かれている三人との出会いとその後の交流は、非常に印象的で、わたしがこの本に惹かれて読もうと思った大きなきっかけになっています。

だいこくかずえ

スクリーン下にあるHDをonにし、その右のアイコンを押すと、フルスクリーン高画質でお楽しみいただけます。

I AM より
「故郷を離れたとき、自分は死ぬと思った」

「棒を手にしたタルカナの男を見た」

「自分は夢を見ているのかと思った」

「男か女か見分けるのは難しいと思う」

「見知らぬ人たちがここにやって来た」

「その日の終わりには、ここに慣れなくてはと思った」

「それが生きるということ」

'We Are Kakuma' は、カクマ難民キャンプの子どもたちによって撮影され、編集されました。FilmAidの学生たちの助けを借りて、カクマの子どもたちは、難民キャンプの暮らしを三つの側面から捉え、この作品をつくることに挑戦しました。

三つの言葉、つまり三つの視点「I AM」「THEY ARE」「WE ARE」によってストーリーは進みます。

'I AM':これは毎日やって来る新参者としての「わたし」の視点です。キャンプに着いたとき、新参者たちは、その気持ちを詩につづるよう言われます。そこからいくつかのキーワードとイメージが生み出されました。故郷で平和に暮らしていたら、ある日突然、見知らぬ土地へと追いやられ、厳しい状況の中を生き抜くという、想像を絶することを体験した「わたし」が映像に現れます。
'THEY ARE':これはここの難民キャンプを新たな目で見直す試みです。第三者(よそ者)の視点から、このキャンプを映像で捉えようとしています。
'WE ARE':これは映像をつくっている自分たち自身に目を注いだもの。心の内にしまわれた感情や人との関係、夢などがあらわになります。そして置かれた環境がちがっていても、どこにでもいるティーンエイジャーと変わらない顔が見えてきます。
Vimeoサイトで見る。


バハル・アル・ガザールの草原地帯 by BBC World Service (February 2011)

Heavy Abacus Kakuma Music Video from Topaz Adizes on Vimeo.

We Are Kakuma from My Start on Vimeo.