山の通りでは針葉樹ほど壮観な見映えを見せるものは他にない。それ以外の木があるとするなら、ふるふる震える修道女のようなポプラ、引きこもりの樹木たちだろう。ポプラは水のあるところに群がって生え、丘陵地の松が雪の重さに耐えて体を折り曲げるように、斜面の下に向かって幹を曲げている。

 谷間からだいぶ上、峡谷の合流点には、心地いい夏の草原がある。ファイヤーウィードが巨岩の灰色と対照的に、草地で燃えたっている。水の流れが生まれ、氷河の切れ端のところをするすると進み、マスの住む青い池をつくる。松は堂々と枝を張り、自らが育つ場所を確保する。リンドウ、イチヤクソウ、小さなウメバチソウがその光と影の市松模様の中に咲いている。草原はいちめん白と紫で埋まり、どこにもかしこにも時計がセットされている。たとえば、小川の浅瀬でさざ波が小さな澄んだ音をたてれば(それは温められた高い峰から、雪解け水が流れて来たしるし)、夕べの火をともすとき。水音が変われば(ダグラスリスが薄暗い松の森から高く澄んだ声でチーチーと知らせない限り、気づかないだろうが)、星の守り番が、昇りくる太陽の最初の瞬きを彼方の山際に捉えたしるし。ホイットニー山が高見からそれを見つけて声を上げる。閃光はオッパパゴーからウィリアムソン山の正面に向かって光を放つ。ルコンテ山が西向く峰にそれをリレーする。山の小川が目覚め、走り、鳥が同調する。でも鍋の火の番をしている九百メートル下の峡谷では、まだ一時間くらいは朝が来ないだろう。高い峰々を横切る光のパフォーマンスは、バラ色に、紫がかって、やわらかく、煌めき燃え立ち、稲光と激しい光の氾濫、カードゲームに熱中している年寄りたちが、丁々発止のやりとりをしているみたいだ。

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