「雪のシエラ」の河川峡谷は、「ブロードウェイ」のような通りよりよほどの価値がある。谷選びは道選びと似て、名前だけ見ても区別がつかないが。山の街道の名前にはそれぞれの地方の様々な歴史が詰まっている。近隣地区が徐々に広がっていく古い町がそうであるように、占有されたり発見されたりの経緯を名前の中に読み取ることができる。セロ・ゴルドやピニョンという言葉の中にスペイン系カリフォルニア人を見ることができるし、シムズ、シェファードどちらも西部開拓者の名前、ツナワイは多分ショショーニの言葉、オーク・クリーク、キアサージ(命名の時代がわかる)、ティンパーはパイユートの言葉、ミスト・キャニオン、パディ・ジャックスもある。シエラ西側の道はどれも、サンホアキンに向かって下っている長く曲がりくねった道。でもシエラ東部からの道、わたしのところからの道は、馬での一日旅で湖水地域へと行ける。翌日には峠の道に達するけれど、そこまで来れるかどうかは、今までどれくらいそこを行き来したかが少し、多くはその人の体力の程度による。尾根道は険しく、風が強く吹きつけるが、そこが一番高い峰ではない。見上げれば七、八百メートル上に、雪帽子がそびえている。樹木限界地点より上の道を通らずにシエラを通り抜けることはもちろん可能だけれど、心躍る体験をしそこなうことになる。

 ある新山はピラミッドのような形で、サメのひれのような尾根が連なる山に流れ込み、その連なりは雷鳴轟く他のシエラの山々にぶつかり合流している。連なる山の眺めは、遠くからはのこぎりの歯のようだが、近くで見ると花崗岩の塊が、氷河期の恐ろしいまでの鋭い磨き上げできらめいている。恐ろしいまでの、と書いたけれど、見た目はまさにそのとおり。雨のあと濡れて、煌めく山塊が夕焼けの中を泳ぐとき、神の真意がどれだけ長大で揺るぎないないものであるかに人は思い至る。

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