9.山の通り

山を走る通りはどの道も砦へと続いている。急な道、緩やかな道、そのどれもが丘陵の中核へと登っていく。よそへ向かう道は落ち込んだり交差したり、危険な方に寄っている可能性がある。丘陵のリフトと呼ばれる地溝部は互いに繋がっていて、そこに広がる高地の草地はときに谷と呼んでいいくらいの巾がある。(ここで区別しておきたいのは、谷とは地面が陥没した場所のこと、峡谷とは氷河の聖なる手によって鋤かれた溝のこと。)ロッキー山脈にはこのような丘に囲まれて広がる楽しい空き地を呼ぶいい名前がある。「公園」とロッキーの人々は呼ぶ。この辺の丘陵地帯では、高くそびえる石まじりの壁に挟まれた「行き止まり雨裂溝」にあちこちで出会う。この溝もまた、山の中心部へと向かっている。見分け方は他にどこにも出ていけないこと。

 どの山道もそこを縫う水の流れがあり、ときに水のない溝だけが走っている道もある。水の流れの慰めのないところは避けたほうがいいだろう。そこは何もない見捨てられたような場所、ただ美しさと狂気と死と神が支配するところ。シエラの中心部から東へ北へと外れたところには、そういう場所がたくさんあって、いったいそこに何が隠されているのか想像力をかきたてられるけれど、ふつうの旅人にとっては得るものはなく、のどの乾きを刺激されるのが関の山。

>>>
もくじ