セヤビが籠づくりに心を傾ける以前は(というのは籠作りは何よりも家の中で主婦がやる手仕事とされていたから)、踊ることと髪を花で飾ることで気持ちを表わしていた。その頃、春があたり一面に満ちあふれ、求愛の血潮が湧きたつとき、娘たちは自分の花を選んでリースをつくり、黄昏時になるとそれを身につけ、若き渇望が若き渇望に呼びかけるようにして踊った。娘たちは、何が心を騒がせるのか、自分の花が何を表わしているか、何が求愛のときを知らせるのかを歌った。
「じゃあ、セヤビの花は何だったの?」
「わたしのは、双子の白い花(クレマチス)、それを髪と服につけて、それで歌った」

わたしは双子の白い花
川のそばに咲く 小さな白い花
ああ、仲良く対になって、川のそば
ああ、ふるえる 白い花
こんなにも 娘の心はふるえてる

 と、こんな風に、籠を作るようになる前のセヤビは歌っていたが、晩年になってからは、ひざを抱え込んですわり、昔の思い出話をしては笑う日々だった。でもセヤビが多くを語ることはあまりなかったし、わたしがパイユートたちの知恵や「戯(たわ)け話」を何でそんなに聞きたがるのか理解できないようだった。セヤビは素早い伝達能力をつけようと、息子をマキバドリの言葉で育てたが、そのことを後々まで認めようとしなかった。その言葉の美しさや意味深さを充分知っていたからこそ、部族のしきたりに背きつづけたのだが。

 「ねえセヤビ、あなたが死んだとき、いっしょに籠も燃やすことに何の意味があるの?」 セヤビの籠を一つでも増やしたいわたしは、物欲しげに言った。セヤビいわく、「あんたたちが、きれいな花に埋もれて死ぬのといっしょだよ」


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