メサの上空にはいつも独り飛ぶタカがいて、静けさの青い塔がそのあたりから立ち上がり、ワシがぐるぐる回りながら宙にぶら下がり、ハゲタカはもっと上空の澄んだ空気の中でメリーゴーラウンドをやっている。コヨーテとこうした死肉喰いの鳥たちのおかげで、メサから無惨な死骸が一掃されて、いつもきれいに保たれている。

 風も立ち木のないところでは箒となる。葉のまばらな低木につもる砂を払い落とし、巣穴族の家の前を町の表通りのようにきれいに保つ。地面の上に目ざわりな痕跡を残していくのは人間。ここメサでは、パイユートの打ち捨てられた集落が荒れ果てて醜い異物と化し、草を葺いた枝編み小屋は躯体がすっかりゆがんでいる。集落は水場のそばにあるものだが、湿地帯の中にはつくられない。パイユートは浄化のため、住居に風通しと太陽を求めて高い場所を探して住むが、そこが住むに適さなくなると移動する。

 昼間の集落では煙も上がらず、人気もあまりなく、スズメバチの巨大な巣の密集地の様子とそっくりだ。小屋は小さくて茶色で煙突がなく、東に向いて建っていて、住人たちは未知のものがやって来ると薮木にさっと隠れるウズラの才を見せる。でも実際は人々が真っ昼間から家にいることはあまりなく、目の見えない者や役立たずの者が残って留守番しているだけだ。昼間は労働の時間で、メサのあちこちでは女たちがチアの種をスプーン型の籠に振り入れているのが見られ、溜まると革ひもで額にひっかけて背負った円錐形の籠の中に空けていく。

 朝夕には男たちが個々に何か用事で出歩いていたり、ぼさぼさ毛並みのポニーの鞍に獲物を吊り下げて、けしかけながら乗りつけるのに出会うかもしれない。獲物はシカか、ときにレイヨウだったり、ウサギ、もっと南のショショーニの土地の方であれば、トカゲだったり。

 メサには大量のトカゲがいる。小さな灰色の矢のようなもの、もっと大きくて脇腹が鮭色のものは、早春のトゲ薮の下で脱皮した自分の皮を食べていたりする。薮下でシュルシュルと縮んだり広がったりする手の平ほどの場所を見つけることがあるが、あっという間にまた元の砂地にもどっている。これぞ魔術。もし通りざまに捕まえることができたら、トカゲは魔法を失い平たくなって、角のあるガマガエルのような生きものになるが、見かけは気味悪くても無害な、土色をした生きものである。骨董屋が25セントで買って剥製にするようなものにすぎない。メサでは、植物や四つ足動物と同様、男たちには活動期があって、その時期以外に男たちと出会うことは少ない。たとえばロデオといって牧牛に焼き印を押す季節、たぶん4月頃、流れ者のカウボーイたちが牛集めで道なき道を走りまわり、そんなところに牛はいるのかというような場所から牛を引っぱってくる。早ければ二月には、羊の群れが南からシエラの高地の牧草地へと登っていく。羊飼いたちは、長い時の流れの中を、羊たちに負けないくらい変わらないまま生きている種族。長々と続く羊を引き連れた人見知りする毛深い男たちは、少し服が今風なくらいで、聖書に出てくる羊飼いデイヴィッドの同胞そのもの。なるべくして屈強にして簡素な生活者であり、迷信深く、怖がりで、幻覚に惑わされやすく、言葉というものをほとんど持たない。羊の毛刈りのとき賑わいの輪に入れてやって、薄くて酸っぱいワインをしこたま飲ませれば、少しは人間らしさを取り戻すだろう。プティ・ピートという、セリソーからレッド・ビュートを巡回し、サルト平原をまわって歩く羊飼いは、分厚くて毛深い胸板を雨風に晒し、長い杖を振りまわし、賢くて主人よりパリッとした犬を兄弟のように連れ歩き、メサの小径を来る年も来る年も行き来している。


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