7.メサの小径

メサの小径は、ナボトの草地の角にあるパイユートの集落の中から出ている。峡谷につづく森の道や、川沿いに登っていく牛の通り道のどこからでも合流はできるけれど。とげの薮木の間を縫って走る白くきれいに踏みならされた道で、馬一頭、インディアン一人が抜けるのにちょうどいい道幅。道は、つまり、パイユートの集落から始まって、暮れなずむ丘を通り、ショショーニとの境界へと続いている。草地のところから丘の斜面を斜めに横切って登り、ヒエンソウの高さのところまで来ると、オッパパゴーの山の正面に沿って南に向かう。右手には高い山並み、左手には丘陵地帯と「ビター・レイク」を見下ろしながら。このあたりのメサは起伏がなく真っ平らで、ウォッシュと呼ばれる涸れ川の窪みはあるものの、木のない空間が広がり心解き放たれる。

 メサの小径は馬の背に乗って、西部育ちの馬だけがやってみせるコヨーテのヒョコヒョコ歩きで行くのがふさわしい。この地方のスケール感の中を徒歩でまわるには、風景のひと色、ひと塊を通り過ぎるのに時間がかかりすぎて、多様性が楽しめない。多様性を見ようとするなら、群生する薮木地帯への旅は一日では済まないものとなる。薮木は主として段状になったところやシエラの東斜面の麓をおおっている。ヨモギ属、コレオジン、スピノサの薮が大きく広がり、このなわばり内に他の樹木類が育つことはない。これは選択による結果であって、追い出されたわけではないようだ。いくつかの薮木はそれぞれ花を咲かせるハーブ類を従えている。食べ荒しの元凶である羊が、ひ弱な植物たちを棘の薮木の庇護の元に移動させた、その影響力はどれほどのものであろうか。それはもっと以前、セヤビ婆さんが語る時代の、レイヨウが羊のように群れでメサを走りまわっていた頃から始まっていた話かもしれず、いずれにしても、茎丈30cmほどの草類は、強い薮木に囲まれてでもいない限りほとんど芽を出すことができない。コレオジンの中のヒエンソウとか、どのスピノサにも見られる紫の蔓のファセリアとか。季節になると、婚礼の歌みたいに花期の短い小さな花々が、首から上だけ出して薮木の上に広がる。ヒエンソウは背が伸びて、甘く香り、ここ一番の見せ場を飾り、薮から顔を出してからだを揺らし、花粉を木の上に撒き散らす。ナバホの花嫁たちが婚礼の籠を満たすために集める花粉だ。花粉集め以上にたやすくないのが、この花に同じ花色を見つけること。ヒエンソウは植物学上は青い花であるが、黒セージの切り株のところで馬を降りて、それを証明してみせようとすれば、白ギリアが青白い花面を傾く太陽に向ける頃になってもまだ、花色あわせをしているはめになるだろう。ギリアは子どもたちが「夕べの雪」と呼んでいる花で、子どもたちがつける野生の花の名よりいいものを考えようなんて無駄なこと。


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