. わたしの隣りの草地

ここは神様が大昔から草原と呼んできたような場所、キアサージュの斜面の麓に広々と横たわり、少しだけ町の方に傾いている。北と南は古い氷河の低い峰に囲まれ、巨岩が散らばっていて人が住むのに適さない。東側は果樹園と村の作物園に隣接し、野生のイバラや蔓性の植物が柵を越えて園内にまで侵入している。村の中央通りは一つ一つ見映えの違う家が両側に立ち並び、草地の端のところまで来るとぷっつり途絶えて川沿いの脇道となり、その先に水源がある。

 この草地は耕されたり薪を供給することもなければ、ありとあらゆる草の種をここで繁殖させ、用水路を通って作物園や庭地に雑草をはびこらせるので、町の人からはまったく尊ばれることはない。でもわたしは春のいっとき、その素晴らしさを一目見ただけで、草地のそばに土地を買って、後に夢がかなったようにいつでも出入りできる小さなくぐり門のある家を建てないことには、とても心安らかでいられないと思った。

 エズウィック、ローダー、コナー、ラフィンがわたしがここに住む前に、この草地を所有していた。でもそれより前、パイユートの人々がそこに住みつき、パイン・クリークの流れのそばに集落をつくっていた。その後、牧草地として有望と見た牛飼いたちがやって来てパイユートたちと競い、それから毛深く自然児のような風采の口数少ない男たちに連れられたベエベエいう羊の群れが次々やって来た。羊飼いたちはえさ場の権利を主張するために、長いつえを振りかざして内輪もめをした。エズウィックはキアサージュで採鉱の波が怒濤の叫び声を上げていたその頃、この草地に入植し、村が今あるあたりに、牛飼いやインディアンを見張るため銃眼を空けた石の小屋を建てた。ところがエズウィックは死んで、ローダーが草地の持ち主となった。ローダーはそこらじゅうの山に牛を放していたが、市場への長旅にモウモウいう群れを連れ出すときは、地形変化の激しい沙漠を越える前の一時保留地としてこの草地を使った。ローダーはここを十五年間所有し、その後維持が困難になり、土地を担保として金を借りた。貸し主のコナーはローダーより賢く、もっと労苦の少ない生き方をしていた。すべての道が十メートルを超える雪に埋まったあの「大雪の年」の冬、返済期限が来て、ローダーは牛を売るためサン・フランシスコに発った。時期を逃さずコナーは法をたてに草地の所有権を主張し、それが認められた。十八日後、ローダーがかんじきの足を凍らせて、金をリュックに入れて帰ってきた。一連の法的処置による長い訴訟の中で、草地はラフィンの手に渡った。その頭のいい片腕の弁護士は、草むらから鳥をおびき出すような弁舌で、コナーの顧問をしてやり、その後ラフィンからわたしの隣人ナボトへと売られた。この草地の所有を心からうらやんでいたわたしは、聖書に出てくるブドウ畑の主「ナボト」(これを欲しがったイスラエル王に殺された)にちなんでそう呼んでいた。


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