食料については、手に入れたいと思うかどうか、それだけの話。沙漠のインディアンはみんなチャックワラという黒白まだらの大きなトカゲを食べるが、鶏肉に似た白い身で淡白な味がする。ショショーニもコヨーテも好きなのは、木の芽を食べる沙漠ゴーファー・ガメで、飲み水なしで、冬の間は砂地に穴を掘り、二十五年は生きるとされている。乾燥地帯では多くの種子類は食料になり、ベリー類も同様、また多くの薮木は樹液を含んだままの状態で良い薪になる。メスキートの豆はサヤがらせん状でも真っすぐなものでも、粉に挽き、水に入れてどろどろに煮て、乾かしてケーキ状にする。硫黄色の、切るときには斧が必要な固さになるが、長旅には素晴らしい食料となる。水に入れてハチミツとハチの巣で発酵させると、軽く酔えるおいしい飲みものになる。
春の次にショショーニの地を訪れるのに素晴らしい季節といえば、朝の山にシカ星が低く白くたいまつのように登るとき。ウィンネデュマを登って進み、セイリーン盆地を下り、そしてメスキート谷の斜面を登っていくといい。テントはなしで、もし寝る場所が欲しいなら、インディアンに小屋を作ってもらう。ヤナギを円形に立てて支柱にし、それをアーチ状に引っぱり、小枝でうまく頂上で縛ってまとめ、葉っぱはつけたままにしておけば、天井の隙間から星も眺められる。でも、ああ、ウィニナップのようにショショーニの土地について面白い話をしてくれる人はもういない。
ウィニナップが語ることはもうない。あの人はもう死んだんだから、パイユートの多くのまじない師がそうなったように。
集落では、くじを引いた者、それがまじない師となる。やりたがる人はめったにいないけれど当たれば避けられない役目、定められた仕事。自分の治療した患者が三人死ぬとき、まじない師は自分の命と診療所を明け渡さなければならない。負傷による死は数に入れない。骨折、弾丸の穴はインディアンに理解できるけれど、麻疹や肺炎、天然痘は魔術のせいなのだ。ウィニナップは十五年間まじない師だった。薬草治療における相当な技術だけでなく、持てる特権をうまいこと使っていた。患者が他の治療を受けていた場合(たとえば若い世代の人々がよくかかっている白人の医者とか)、まじない師は診療を断ることが許されている。あるいは患者を診る前なら、患者の病状をまじない師の管轄外である超自然現象に当てはめて、邪悪な霊の怨念がコヨーテのからだに乗り移って歩きまわっているなどと言い、原因はそれだと断定し、自分の不利益を避けたりもする。でもこのことが深く追求されることはあまりないようだ。それが利かない場合は自分が身を隠す。ウィニナップは麻疹が流行したとき、これをやった。年に一度の薬草摘みからの帰り、ブラック・ロックで麻疹の流行を聞いて道を取って返し、病魔が治まるまで行方知れずとなり、集落に戻らなかった。集落の半分の子どもたちがビーズをからだに撒かれて小さな墓に埋められた。
ウィニナップの話はそれほど大きく取り沙汰されなかったのかもしれない。まじない師がこの谷で殺されたことは12年間なかったし、していれば刑の実行者たちは白人に厳しく処罰されていた。「大雪の年」の冬のこと、肺炎が流行し、インディアンたちは何の警告も受けないまま死んでいった。湖から北部の溶岩台地にかけての地域で、インディアンたちはまじない師の治療のもと、スチームの治療小屋の中で死んでいった。白人の医者の使う薬でさえ、何の効力もなかったのだけれど。