たぶんわたしたち人間は、野生動物の自律性や自らの営みについての自覚というものをあまり尊重していないのだろう。あるときテホンで、五匹のコヨーテがつるんで狩りにかかった。パステリアからツナワイに向かってレイヨウを追いたて、群れから一匹はぐれさせて仕留めようというのだ。それを見ていた一羽のワシがピノス山から舞い降りてきた。ハゲタカたちがはるか天空の彼方から姿を現した。タカの一群が少年たちが路上の喧嘩にうってでるみたいにしてぞろぞろと集まってきた。ウサギたちはチャパラルの茂みで身を起こしピンと耳をたてる。狩りの一行が行き過ぎれば自分たちはもう安全だ。森ではアオカケスがほら見てほら見てと騒ぎたてる。タカがアナグマにつづき、コヨーテは死肉ガラスにつづく。高い木のてっぺんではハゲタカが互いの出方を見ている。知る価値があることは何かといえば、こうした隣人の習性を次の世代がどれだけ自力で学びとれるか、そして同族の年長者からどれだけ教えを受けられるかだ。
死肉喰いのテリトリーは広範囲に渡るので、あっちにたくさんいたとか、こっちには少ししかいなかったなどの目撃者の話から、総数を言い当てるのは難しい。どこに死肉はあるのかといえば、それはハゲタカが集まるところ、でも三日間の旅で死肉に二度出会うことはまずない。モハベからレッドビュートに至る道は沙漠地帯で、牧草地はなく、小さな流れすらほとんどない。南の地域では、雨の少ない年、何千もの羊や牛の群れが高地の万年牧草地を目指してこの道を歩かされる。足首まで砂に埋めて這うように進む牛の背に、砂塵渦巻く重い風が吹きつける、長く困難な道である。最悪のときは、三頭に一頭が疲れ果てて道にうずくまる。レッドロックの山あいの道では、羊が悪臭を放つ死肉の行列をつくった。日射による被害である。この修羅場を嗅ぎつけて、ハゲタカ、ハゲワシ、コヨーテが近隣の地域からこぞって集まり、そのためテホン、セリソー、リトル・アンテロープでは、沙漠の清掃人である死肉喰いがそろって出払ってしまった。その夏の間中、死体は日に晒されてひからびるか、苦水の沼地で足をとられて土に返っていった。レッドロックからコヨーテ・ホールにかけて、コヨーテ・ホールからハイワイにかけての地域で、死肉喰いたちはたらふく食いに食った。
コヨーテは好んで死肉喰いにはならない、狩りをする方を好む。しかし全体として見ると怠け者なので、死肉喰いになり下がる傾向がある。その方が楽だからだ。アカギツネやボブキャットは、飢えが差し迫ったとき、餌食となった動物を食べることもあるが、死肉には手を出さないのが普通だ。また人間の手を経た食べ物には非常におくびょうである。