ひとたび崩れ落ちた牛は、数日の間に死んでいく。長々と首を地面に伸ばし、ときおりまぶたを開けて光のない目をのぞかせる。ハゲタカたちは、完全に息がとだえるまで、くちばし一つ、鉤爪一つ、獲物に向けることはない。死肉喰いに死肉を片づけさせるのは、自然の経済循環に見合っていると思われるが、オオカミは違う。喉元に噛みついて短い死をもたらし、ハゲタカのように長くつけまわしたり、ときに獲物の上に舞い降りて不吉な死の待ち人となったりはしない。もし苦悶を長引かせられ死の餌食となるときを待たれているのが、人間だったなら。。。ティミー・オシェイが三日間、水なしでアマルゴサ平原を迷いさまよったとき、のっぽのトム・バセットがティミーを見つけたのは、道のそばではなく、ハゲタカどもが群がっている方角目指して進んでいった、その真下だった。「ハゲタカが羽を打つ音が聞こえて、その群れの影に足を踏み入れたんだが」とトム。オシェイは、二日目以降自分に何が起きたのか、記憶をすっかりなくしていた。友だちのユーアンがサン・ホアンの丘から戻ってきて言うには、戦場ではひどい殺戮や死骸を見てきたけれど、埋葬兵の山に黒々とした羽を広げてたかる、ハゲタカの姿ほど肝を冷やすものはなかったと。

 ハゲタカは三種類の(とても鳥のさえずりとは言い難い)耳ざわりで凄まじい鳴き声を持つ。短い警告の鳴き声と、それと同じ音節で高低や抑揚を変えた、あらゆる目的に対応する鳴き声がある。親鳥は子に対して、喉元でクックッという音を立てるが、ハゲタカにラブソングというものがあったとしても、わたしはまだ聞いたことがない。巣にいる雛鳥は、鳴き声というより息のような小さな声を立てる。ハゲタカの巣を見つけることはめったにない。どんな巣であれ大人は見つけられない。巣に出会うのはいつも子どもたちだ。しかし何とか突きとめようとするなら、静かで大きく開けた峡谷や、人の来ない卓上台地の上の見晴らし台に行けば、ずんぐりした木のてっぺんや、断崖の崩れたところに、巣が三つ四つかたまってあるのに出会えるかもしれない。

 ハゲタカが群れで暮らしている可能性はあるが、観察される雛の数の少なさからみて、すべての雌が毎年子を産んでいるようには思えない。若鳥と成鳥は、餌やりのときの大きさの違い、成鳥が飛び上がるときに見せるぼろぼろの初列風切羽によって、容易に識別できる。若鳥が初めての餌探しに巣を出るとき、親鳥たちはこれ見よがしにのどを鳴らし、がつがつむさぼるような盛大な喜びの声を上げる。オチビさんたちが餌を引っぱったり取りあったりしている光景は可愛いものだけれど、それは何を食べているのかに目をとめなければの話。

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