コヨーテのあとをつけてこの土地を歩きまわることがよくある。今夜の夕飯のありかを知らせるように、広げた翼を傾けて空高いところでぶらさがっている死肉喰い目指して、コヨーテは丘陵地をよく知る賢い人がするようにして跡をつけ、用心深く、ある一点目指して歩いて行き、そこで死肉喰いと出会うのだ。こっちでは身をさらすのを避けて迂回路を行き、あっちでは道を選ぶために(たいてい最良の道を選ぶが)溝の縁で小休止と、最小限の労力で目的地にたどり着こうとする。セヤビ婆さんの時代から、シカは積雪が始まる山の中腹を出て、谷を横切りながらえさ場を変えてきた。ブラック・ロックを越え、チャーリーズ・ビュートの浅瀬を渡り、峡谷の入り口へと進んできた。それは冬の牧草地であるワバンの丘への最も楽な道である。シカたちはたとえ行く道が消えて今は畑になっていても、そこを通っていく。でもシカたちがシエラの山から出てくるティンパー・クリークの河口から見てみると、クリーク、ブラック・ロックのてっぺん、チャーリーズ・ビュートは一直線に並び、ワバンの山の登り口に落ちる大きな影へと続いているのがわかる。ここを歩くうちに、シカたちはチャリーズ・ビュートがほとんど唯一の渡れる浅瀬であること、谷を越える最も近道であることを悟ってきたようだ。野生動物というのは、生きるための大切なことのすべてをこのようにして学んできたのではないか。月の変化だけはどうも勝手が違うようだが。山かげから突然現われた月に、びっくりしているキツネやコヨーテを見たことがある。輝きを増していく月明かりの中をこそこそ逃げるようにして、茂みの陰からそっと覗きみているのを、山の上にくっきりと昇りきるまでそれが何なのか確信がもてずにいるのを、そして終いには、使い古された冗談話に引っかかったみたいな面持ちで立ち去っていくのを、わたしはこの目で見ている。さまよう月の存在は、狡猾な獣たちにとって、いわばいらだちの種。ときならぬ月の出現が、せっかくの悪だくみをだいなしにしてしまうことがあるからだ。

 

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