ラス・ウバスの上には町がもう一つあって、そこも注目に値した。アーチ門と風通しのいい小さな農地の町で、ムネアカヒワ、クロウタドリ、果実好きの鳥、小さく賢いタカなど鳥の宝庫、そして夜になるとモッキングバードが鳴き出した。鳥たちは花々の香気と麗しい果実の匂いの上から、胸に突き刺さるような、耐え難く甘く優しいカヴァティーナの調べを降り注ぐ。歌うことは、ラス・ウバスの夜の一番のお楽しみ、真昼のシエスタと同じように。山肌の向こうから、海で洗われたばかりの月が顔を出すとき、そして月影がパティオの踏みならされた地面の上にレースをかけるとき、ブドウの蔓の下を隈なく、ギターのつま弾きと歌声が走り抜ける。

 ラス・ウバスでは、メキシコ(昔ながらのロータス喰いのお気楽育ちの土地)からの習慣をすべて、今も受け継いでいた。飲んで、騒いで、後で何か食べるものを調達する。子だくさんで(一家に九人とか十人とか)、闘鶏をやり、シエスタを今も楽しみ、タバコを吸いながら日が沈むのを待つ。それから町の人はいつでも踊っている。日暮れにアドービ土の滑らかな床の上で、午後にブドウ棚の下の湿った土の上で、甘い香りを嗅ぎながら。婚約式、結婚式、洗礼、ただギターがそばにあるからというだけでも充分。もし手近になかったとしても、ギターを持ってこさせて、何によらず踊る。

 この町の由来についてはちょっと説明がいる。メキシコから流れてきたアントニオ・セバドラという男が、タッパン地域で最初の鉱山発見があった後、洪水でそこを追い出され、ラ・ゴロンドリナの町までやって来た。そして豊富な鉱脈とトニーという格好の仲間を見つけた。ここで働くために、アントニオはセバドラ家のすべてを呼び寄せた。親戚の親戚にあたる家族にさえ声をかけた。妻の実家であるカストロ家全員、サイセ家、ロメロ家、エスチョバル家の全員、この人々は義理の家族の親戚たちである。それなりの町の始まりだった。こういうスペイン系カリフォルニア漂流者の多くが、無権利採掘者ということで、東部の事業者によって南西部から追い出された。そして銀の値が下がり、ラ・ゴロンドリナの鉱脈が先細りになると、事業者たちは手を引いていった。鉱山の熱気の渦はすっかりこの丘陵地帯から掃き出されたけれど、これといった野望もなく、よそへ行く金の当てもなく、あるいはこのエル・プエブロ・デ・ラス・ウバスに甘んじていられる人々は少なからずいた。

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