嵐が地上に及ぼす影響について、地形学の本で読んだことがあるだろうが、そこにはわたしたち現代人に何をしたかは書かれていない。覚えているのは、ある雷雨の夜、キアサージの斜面で自分の住処を(多分家族もろとも)、地滑りで巨岩の下に埋められてしまったクーガーが、悲痛な鳴き声を上げていたこと。夕映えの、あたりが闇に沈んでいく薄紅色の時間帯に、地滑りのものすごい爆音を耳にした。クーガーは狩りから戻ってきたところに違いなく、一晩中、崩れ落ちた断崖の巣の前をうろついて、まるで人間が泣き叫ぶように悲痛な声を上げていた。もうひとつ覚えているのは、同じ嵐の季節に、湖が何日も白く濁り、激しい雨によって流された泥のせいで湖の底が盛り上がり、マスが腹を見せて打ち上げられたこと。突然の洪水の威力にはびっくりさせられた。とはいえ、次の年のために必要なマスは、湖にも高地の草地の始まるあたりにも生き残っていた。何よりも心を痛めたのは、わたしの好きな峡谷で起きた雲の破裂による災害。ボブキャットの母親がウォッシュにある壊された巣で、溺れ死んだ子らをくわえているところを見たのだ。巣は安全と思われる水際より遥か上にあったけれど、予想外の災害には充分でなかった。時がたてば、神々のようにものを見ることができるようになって、こういうことに対して哀れみを持ちすぎることもなくなるんだろうけれど。
冬の始まり頃にやってくる大雪は、何よりも見る価値がある。高地の土手の根雪以外、まだ雪がない季節のことだ。この大雪は遅咲きの花々がまだ見られる頃に、そして渡り鳥がまだ松樹林にいる間にやって来ることがある。低地では谷の道で数はまだ少ないもののクロウタドリの姿を、トゥーレアリ湿原では低く滑空するマガモを見かけるだろうし、ウィアムソン山の後ろに雲が集まっているのに気づくだろう。最初、森は何かを待ち構えるような静けさに包まれる。風もないのに松の木がギシギシと音をたてる。空はむっつり。モミが水辺で幹をゆする。絶え間なく声を上げていたせせらぎが、急に静まった部屋の気配に驚いた子どものように、水音を落とす。
根雪を溶かす太陽が隠れ、それをゆっくり追うように水音が変わる様は、森で聞く音の中でも意味深いものだ。そのあと、小さなラッパ風が通ると、森の生きものたちが巣穴へと声をたてて走り込む。ときに数日もの間、ラッパ風の警報はあたりをさまよい、森はさらに静まっていく。ハイイロホシガラスとうるさく鳴くカケスだけが、平気で飛びまわる。彼らだけ余裕の様子だ。牛たちは丘を降り、地面暮らしの生きものは巣穴の入り口を早々に閉ざす。気温が下がり、峡谷の中を行き場のない雲がうごめいている。そこで多分雷が一鳴りし、にわか雨が来るかもしれない、でもたいていはしんしんと雪が降り始め、松の木々がゆっくりと白い気配におおわれる。雪は降り続け、湿って嵩のある雪があたりを埋めつくし、真昼を白い夜に変える。