雲の観察で最初に見つける兆候は、嵐の前の何かが起きそうな感じである。天気に変化はない。それは中空を動く「聖霊」の出現として見えてくる。聖霊は空の下に分身をかき集める。雨を、雪を、激しい風の叫びを、笑いを。すると観測に適した場所に設置された気象局が、自ら目にしたものには敬意を払わず、ただカタカタと計測結果を記録する。そしてそれを公表することで神はいないと宣言する。でも思い出してほしい、誰よりも山の嵐に詳しいジョン・ミュアーは、とても信心深い人間なのだ。

 シエラ高地の、山の頂上が砕けて陥没しているところ、カーンリバーとキングスリバーが分岐しているあたりとか、あるいは高地の小峡谷で東に向かって大きく口を開けているところを嵐の観察地に選んでみよう。そういう凹地が温かなワインのような空気に満たされる日には、銀の台座に白く輝くまるまるとした塊を乗せた雲が、天の道をしずしずとやって来る。雲はヒツジの群れのように集まってきて、頂上付近を空気の流れに乗ってぐるりとまわって手を結び、これから仕事をする場所のまわりにヴェールを引いて、涼しい空気で包み込む。もしその雲のひっついたり離れたりのパフォーマンスが日の出か日没に起こったなら(そういうことはよくあるが)、見た人は黙示録の壮麗さに立ち会うことになる。空高く雲の柱が現われ、山は白い雪を頂き、栄光に満ちあふれ、開け放たれた太陽の扉の前で平和に満ちた光景を展開させる。あるいは、見せかけの風に操られて踊る雲の亡霊そのものになる。でもそれが昼でも夜でも、ひとたび雲たちが準備を終えれば、谷から見上げた人の目には、峰を包む白いテントが見えるだけ。山の嵐の本当の姿を知りたければ、その内側にいるしかない。

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