中央シエラの東側は、高地の谷の方に向かって急激に落ち込んでいる。薄暗く列をなす松の帯が走る、四千メートル級の頂上が、前山もなく直接河岸の段丘のところから立ち上がっているのだ。段丘やメサが下っている縁で、断層によって地面が川の窪みの方へ落ち込んでいることがあり、その陥没に沿って行くと、泉か間欠性の湿地を見つけることがある。ここでは植物界は、高度と町の人々の牧草地としての利用によって手が加えられた、湖水庭園のような見映えだ。クレス、青スミレ、キジムシロ、そして柳に囲まれた湿地には、白いニセアスフォデルが生えている。わたしたちが植物の名前づけに際して、あまりに簡単に「ニセ」という言葉を使ってしまうのは確かだ。ニセゼニアオイ、ニセルピナス、というように。アスフォデルは偽というわけでなく、花は小さく、葉っぱばかりが目立つが、天が定めた特徴のすべてを有する真性の百合である。この世のものでない見映えに育つことを表す名前を持ってしかるべき花。メサの草地原産の花には、何エーカーもの広い庭に、満開の季節の春には空色の羽をひらひら舞わせる、青白いアイリスがある。一つ一つの花は、ほっそりとはかない見映えで想像力を刺激するが、草原全体を見渡すと、沙漠の砂地を横切る淡いブルーの蜃気楼の川ようで、天上のものへと気持ちを駆りたてる。まさに詩人の花だと思う。花束には向かないし、牧草地でも厄介者だけれど、それゆえにより愛されることを必要としている。ある日、インディアンのウィニナップが葉っぱの中央から丈夫な繊維を引き抜いて罠をつくるところを見つけた。アイリス畑は、きれいな金色のほとんど無柄のキンポウゲと、這うように茎が伸びる赤っぽいキク科の花に縁どられている。英語を話す子供たちは、いつもキンポウゲの花を手にしているんじゃないか、と思っていた。本来の仲間である小さなカエルと出会わないときは、自然とその次に好きなものに向かい、それを代わりに大事にする。キンポウゲを調べていて、呼び名のせいで愛されている、関係種でない他の四つの花に気づいた。なんと、その呼び名とは牛の糞なのだ。

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