水の流れに沿って、のどの乾いた草や薮の道筋ができる。柳は流れが行き着くところまで追っていき、ほんの少しだけ先に行って水を挑発する。柳は水路からの水漏れ部分に根づいたり、水が川岸を超えてやってくるよう呼び込み、溢れた川の滴りに根を下ろしたりする。不毛の荒れ地に新たな水路を通し、三年のうちに、柳は岸辺を何キロにもわたって縁どっていった。さらに三年たてば、柳は大きく成長し、川をまたいで互いのてっぺんが触れあうようになるだろう。たぶん柳が水を先取りしてしまうので、大きな水路のまわりでは他の木が育つ余地が奪われてしまうのだ。はるか背後の峡谷の茂みの中から生え始めるカバの木は、もっと控え目だ。人間の出入りに尻込みし、将来にわたる水の確実な保証を求める。夏期の水の減少ほどでなくても動きを止め、これはわたしも知らなかったことだけれど耕作地を超えて川岸に陣取っている。水辺のいくつかの植物による耕作地帯の回避には、ある種の計画性といっていいものがある。寄生する植物に葉っぱを紛らわして生えるクレマチスは、村の囲いのところまで草で埋まった流れとともに降りて来て、使われていない牧草地の隅や廃水池のそばに生まれた野生の農園まで飛び越えて来る。でも途中の耕作地には根づこうとしない。どんな畑であれ、そこで育とうとはしないだろう。いっぽう、入植者とともに入ってきたヨーロッパ種のニガハッカは、生け垣やちょっとした薮際に居着きたがる。ニガハッカは多くの地元種より広く繁殖し、村のあちこちの水路のどこででも、とくに注目されることもなく生えている。灌漑用水路は公平な運び屋だ。西部の庭園にやってきた異国種の草や種のすべてを集め、岸辺に潜伏させている。そこで、夏の水の氾濫で道の方まで広がっているヨーロッパ種のゼニアオイ(Malva rotundifolia)を見つけるだろうし、毎春にはイチゴツナギの種とともに持ち込まれたタンポポの一つ二つが、芝地にすくっと立っているだろう。このどちらからも離れたところには、中国人の人夫たちが食用球根として近くの泥地に植えている百合がやって来ている。このシーグーは湿地にたやすく定着し、矢のように尖った葉っぱの間に見える白い穂状花序は、地元種の百合同様、見て楽しめるものだ。

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