11.その他の水辺

西部では、それなりに水量のある流れが灌漑用水になるのは宿命と言える。水の流れはそれを望んでいるようにさえ見える。流れは岩の間の溝地を通って、耕作可能な土地めざして行けるだけ行く、あるいは行こうとする。でも人工の水路ならどれだけ遠くまで行けることか。年中忙しくしている人が自分の内面を見せる暇がないのと同じように、灌漑された川と親密になるのは難しいこと。親しくなるには、灌漑用水がまだ小さな川だったときのことを知っていなければ。そのそばに住んだことがあって、朝に夕にたてる水音に耳を傾け、雪水の水量が上下するのに目を向け、はるか南のエクリプスから北のツイステド•ダイクを横切る谷の流れを、村の水門にほとばしる水の壁を見ていなければ。草地を流れる小さなきらめく堰の流れに、アオサギが静かに歩いているのを知らなければ。

 水路の気持ちをわかろうとするなら、老エイモス•ジャドソンが銃を片手に水門の上にしゃがんで、雨のない夏が終わるまでの間、自分の水圏を見張っていたのを見ていればと思う。エイモスはツールクリークの半分を所有し、残りの半分は隣のグリーンフィールズ牧場のものだった。「水の実りの短い」年が続いた年月、それはほんのわずかな雪しか高山の峰々に降らなかった年だったり、降ってもすぐに溶けてしまった年だが、エイモスは流れてくる水をすべて自分の水路に取り込み、ウィンチェスター銃を手に死守しようとした。グリーンフィールズの最初の所有者であり、ジャドソンと用水権を競うジーザス•モンタナ(一目見れば、ジャドソンに人種的な優位性があるのがわかるはず)は、ジャドソンの永久所有地の中を(銃弾が五発ほど発射された)歩いてやってきた。それはホメロス的な紛争決着をしていた時代のことで、事件は伝説として残っただけだった。十二年後、グリーンフィールズ(今ではそれほど緑ではないけれど)を所有するクラーク家の者が、ジャドソン家の人間を銃で撃った。多分、クラークは昔のように伝説で終わることを望んだが、陪審員は過失致死の判決を下した。その事件によってグリーンフィールズ牧場の用水権主張は勢いをなくしたが、エイモスは変わらず、カナダヅルがツールクリークの水中でヒキガエルを見張るように、孤独な変人ぶりで水門の上に座りつづけた。

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